MILITARY THING by NDEMN
23rd Feb 2017 by JUNPEI
好きなテイストやブランドが変わったりって事は、服が好きだと色々な要因で起きると思います。
最近あのスニーカー履いてないなーとか。
あの服どこやったっけーとか。
もう2月も終わり。新年度までたった1カ月。
あたたかくなってくるし、服の入れ替えと一緒に自分のアーカイブを見直しながら部屋も掃除して、ついでに一回断捨離という名のクリーンアップをしてみてもいいんじゃないでしょうか?
ここ数年インスタの相反する影響と時代性で、「イケてる」ってのがただスピードと資金力とビジュアルとフォロワー数の問題になってしまったような気がしてます。
例えばマイノリティやカウンターやオリジナリティ要素がストリートカルチャーの魅力として捉えてた身としては、例題やサンプルや見本みたいな流行の着こなしの「型」を「ブランド」と「旬なカラー」で固めただけのファッションが一番イケてるってのは、逆じゃないのかと思っていて。
ファッションのスーパーコーピーというか、そうなると中身までコピーされたように話す内容も発売日だとか誰があれを着たとかそういった同じような内容で「消費サイド」の話でしかないような…なんて思ってしまう時もあります。
別にそれがすべてではないし、もちろん好きなものの共通の話題で話せる事はめちゃ楽しいしw それも当然といえば当然なことかもしれませんが。
ただなーんか独自性が認められるはずのストリートシーンのファッションまで「ユニフォーム化・記号化」してねーかな?と。個人的にはファッションは「表現」でもあるわけで。
で、一番怖いのは「服の影響力」。
普段の服だと感じにくいと思いますが、例えばスーツ・礼服・和服…それぞれ着た時独特の感じがありますよね?気持ちや気分がちょっと変わるアレ。メイクもそう。
それの影響でヘンな感じにならないといいなーと。上記の3要素を満たすのがイケてる、なら、ある種のシステムのコントロール下みたいだなと。それが「ストリートカルチャー」な顔をしてるなんて最悪じゃないか?と。
こうすれば「正解」ってのをそれ通りするのはかっこいいんでしょうか?
しかもそれは誰かのスタイルであって、なんて。
流行や旬が悪いなんてまったく思いませんし、それがなかったらおもしろくないし、カルチャー自体が成長しません。
要はそれをそのままじゃなく、自分らしくやりましょうって感じです。
そんなこともありつつ、昨日はインスピレーションを求めて久しぶりにミリタリーサープラスショップへ。
横浜の老舗 マツザキ商店 さん。
土地柄アメリカ軍に強く、10坪ちょっとのスペースに上から下から40sのボックスの中からいくらでも出てくるので、ディグには時間と体力が必要w
ハーコーなアイテム達と相反するようないい感じのゆるさとおもしろさで迎えてくれる片山さんと共にオススメです。サープラスショップにしてはアメカジ寄りに使えるアイテムも。
これは安易なYEEZY的解釈とは別物ですよw
コレクションブランドからストリートブランドまで様々なデザインソースであり、実用性から生まれるディテールとデザインとストーリーやバックボーンを持つガチな服を見てみたくなったらぜひ。
自分の様々なベースの部分にあるのはミリタリー的なものでもあるというのを再確認しました。
それを強烈に印象付けた最初の出来事は8才?
小学3年生の時に見た、ベトナム戦争真っ只中の時代、大型野外フェスのはしり、1969年のWoodstockの映像でした。
反戦の意味を持ってミリタリーシャツに身を包み、Fワードをコールレスポンスし歌い出すカントリー・ジョー。
アイデンティティを現す民族衣装を着て、弾きこまれたギターを激しくストロークするリッチー。Freedomと叫びながら”Sometimes I Feel Like a Motherless Child”と黒人ゴスペル歌の詩を引用した即興。
Im going home、ヘリに乗って家に帰る、傷だらけか棺桶か。
アメリカ国歌「星条旗」。ジミヘンがぶっ飛んでいるのは子供にもわかった気がします。
名ライブが多すぎるウッドストック、Sly and The Family Stoneもそうなんですが個人的にかなり喰らったのが、若干20歳前後のこの頃まだ無名に近かった人種混合バンドSANTANAのSOUL SACRIFICE。
いろいろな意味でインスピレーションのある、「服」というより、そういう「スタイル」を提案していきたいなと思います。改めてw
「スタイルは大量生産できない」って誰の言葉だったっけ。
NDEMN