AUTHOR : KIKI

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最終話「24K GOLD」-後編-

4th Nov 2020 by

 

 

 

金子淳二郎。

 

 

2013年の夏。

 

初めてJunとニューヨークに行った。

正確に言えば連れていってもらった。と言ったほうが正しい。

交通費から宿泊費も出してくれ、

さらには現地での仕事までくれた。

この年から今年に至る迄、

彼がアメリカに行く度にほぼ毎回のように同行し、

ニューヨーク以外にも、

ロス、ベガス、香港、マカオ、台湾、タイ…

本当一体何十回彼と旅をしてきたか分からない。

 

最終回はブルックリンのアパートの一室から始まった、

Junがニューヨークで出店するまでの軌跡を記したいと思います。

 

 

 

 

1166 Manhattan Ave Suite 205 , Brooklyn,New York  11222

 

ブルックリンとクイーンズの丁度間、

レンガ調の4階建てのオフィスアパートメントに、

旧PRIVILEGEオフィスがあった。

従業員はユダヤ系アメリカ人のTeddy1人。

何回か前のReakwonの回で登場した彼だ。

この時はアメリカではオンラインのみでの展開だった。

天井高めのワンボックスオフィスに、

デスクにパソコンが一台とプリンターが一台、

それ以外は在庫とサンプルのみ。

 

ここが全ての始まりだった。

 

初めてJunと行ったニューヨークは大所帯での旅。

DJ IZO君が同じタイミングでDMCのアメリカ大会の特別ゲストで呼ばれていて、

彼のマネージャーのホッチさんもいたし、今はもういないLafayetteの武智君、

PRIVILEGE NY副社長のBONEさん、PRIVILEGE Sendaiの社長のDさん、

Junの地元の先輩のHagiさん、LAからきていた写真家のDanny Steezy、

Junと私を含めて9名でのニューヨーク旅だった。

旅の目的は、今はもうなくなってしまったが、

マンハッタンのローワーイーストにあった人気アパレルショップ、

“aNYthing”でのPOPUPショップだった。

 

私がニューヨークで学生の頃、

aNYthingには学校帰り頻繁に行っていて、

ローカルの中でもイケてる店として名が通っいた言わば憧れの店。

そんな店でPOPUPをする事自体私にとっては衝撃的だったが、

旅の一行の表情に緊張感はなく私は当時若干の温度差を感じていた。

 

JunやBONEさんの表情には緊張のきの字も見えなかったから。

 

POPUPが始まりLafayetteやPRIVILEGEのアイテムが陳列された。

来店する客達の面子も衝撃的だったのを覚えている。

 

「KIKIさん、Clarkが今から来るのでIZOとツーショット写真撮ってもらえますか?」

 

この頃はまだJunとの距離は遠く、

彼が私に直接話しかけてくる事も少なかった。

いつも低姿勢、敬語で私に話かけてくれていた。

 

「Clark…?ってまさかDJ Clark Kentですかw?」

 

「そうです、そうです。彼がPRIVILEGEの名付け親なんですよ。」

 

「マジっすかw?!了解です。準備しておきます。」

 

マジかよ。

ハンパじゃないとこ来ちゃったんじゃないか…

DJ Clark KentはJay-Zを発掘したレジェンドプロデューサー。

そんな人と何でこの人は繋がっているんだ。

自分は何年もこの街に住んでいたのにそんな出会いは一度もなかった。

 

一体この人は何者なんだ。

これが私の彼に対する印象というか当時の心の声だった。

 

少しすると店の前に厳つい高級車が停まる。

2メートル近い大男が子供を連れて車を降りてきた。

 

これがClark Kent…?

 

名前や楽曲は知っていたが顔は見たことがなく、

半信半疑の眼差しで大男家族を目で追った。

大男は店のまでJunとハグをして、

何やら世間話をしている様子。

そして副社長のBONEさんを見つけるなり、

 

「Yoooooooo!!!TBONEじゃないか!久しぶりだな!」

 

「おーーークラークーー。元気?」

 

この大男がClark Kentに間違いない。

BONEさんと話しているところに私も挨拶に向かった。

 

「初めまして、フォトグラファーのKIKIって言います。この後IZO君と写真撮らせてください。」

 

「初めまして、Clark Kentだ。写真だな。了解、後で声かけてくれ。」

 

この時が初めてClarkと握手を交わした時。

突然訪れた雲の上の存在との交流に、

私はもはやパニック寸前だった。

 

ただそんな緊張を速攻で吹き飛ばしてくれた事が一つあった。

 

それはBONEさんがClarkに日本語で話かけていた事だ。

当然英語で話すClarkに、戸惑いも無くそのまま日本語で返すBONEさん。

Clarkは日本語は話せないはずだけど…

それでも弾むClarkとBONEさんの会話。

そんな事ありえるのか。

もはやレジェンドとの出会いを遥かに超えるパニックに、

不思議だけど新しい感覚が宿っていった。

 

Junといい、BONEさんといい、この人達は何者なんだろう。

 

来店したお客さんを丁寧に接客するJunと、

店の中にはほぼいないBONEさん。

客とのコミュニケーションの中で、

アメリカ人の考え方や傾向を分析していくJunに対し、

街の流れや変化を冷静に観察するBONEさん。

今思えばこの絶妙なバランスが物事を進めていったのかもしれない。

 

それから何日間かPOPUPは続き、数日後に無事終了した。

片付けを終わらせてホテルに帰る一行の車内、

JunとBONEさんの会話が耳に残っている。

 

「ネコさん(Jun)、今回のPOPUPで思ったけどローワーイーストは微妙かもな。」

 

「やっぱそうかな?確かに前みたいな活気はないかもね。」

 

「出店はソーホーの方がいいんじゃないか?」

 

「でもソーホーは家賃が別格だよ。T-BONEお金出してよw」

 

「え?俺?仕方ねーかー。私の出番ですかね。」

 

「本当にw?頼むよ副社長。」

 

「まぁ考えておきますよ。」

 

この頃はJunとBONEさんの関係性もわからなかったが、

どうやらニューヨークでの出店計画にあたり、

試験的にPOPUPをやってみたというのが今回の狙いだったらしい。

アイテムに対しての客の反応、そのエリアの街の流れ、

関わるローカル達から聞く今のリアルなニューヨーク。

彼らが見ていたビジョンは、

POPUPをニューヨークの有名店でやるなんてことより、

もっともっと先にあった。

 

POPUPも終わり残り数日。

一行も団体行動ではなくなり、個人行動に変わる。

私はJunとBONEさんと行動を共にすることにした。

恐らくあの車内での会話から彼らの動きに惹かれていたのだ。

買い付けがてらに街を歩く二人だったが、

私には買い付けはオマケのように見えていた。

Junは空き物件を見つける度に募集要項の写真を撮り、

BONEさんは目に入る今のニューヨークを切り取っていく。

 

「ネコさん、さっきのクリーニング屋のロゴよかったね。あれサンプリングしたら面白いんじゃない?さっき飲んだ水のパッケージもよかったなー。」

 

「確かにいいね。T-BONEいいのあったら写真撮っておいてよ。」

 

「えーーーめんどくせーなー。」

 

「いいじゃんwパパッと撮るだけなんだから。」

 

「まぁ気が向いたら。」

 

私は今でも変わらないこの二人のやりとりが大好きだ。

全く違うタイプの二人が絶妙なバランスを保っている感じ。

 

この時私は、BONEさんに何となく聞いたことがある。

 

「BONEさんはいつもアイディアを街を歩いて考えるんですか?」

 

「アイディア考えるっていうか、俺らがやってるのはストリートブランドだからなー、ストリートに落ちてるアイディアを拾ってるだけですよ。すでに売れてるものパクっても意味ねーだろー。」

 

かなり破天荒な副社長のBONEさん。

彼に対して色々な見方をする人もいるだろうが、

私はある意味彼は天才だと思っている。

何も考えていないフリをして一番考えている。

“脳ある鷹は爪を隠す”という言葉が、

うまくハマりそうでハマらない人というかw

表現するのは難しいけど彼にはなぜか人を惹きつける魅力がある。

少なくとも私が彼のカリスマ性に惹かれたのは事実だ。

笑いのセンスも抜群です。

 

初めて同行させてもらった彼らとのニューヨークは、

私にとってはこれからを左右する旅となった。

この頃はまだ双葉がで始めた頃だろうか。

JunとBONEさん。

この旅で彼らの魅力に惹かれた。

そしてここから4年というという月日を経て、

ローワーイーストで花が咲く。

 

 

 

 

それから半年後。

 

Lafayetteの2014年秋冬コレクションの展示会でのこと。

当時のメインデザイナーの清吾さんからルックブック撮影の依頼が飛んできた。

 

「今回僕はKIKI君に撮って欲しいんですよ。どうですか?」

 

「やりたいです!絶対やりたいです!」

 

「じゃあ金子のほうに言っておきますね。」

 

「よろしくお願いします!」

 

私にとっては今までで一番のビッグジョブだった。

展示会の帰りに代々木公園を散歩しながら、

嬉しくて地元の友達に電話したのを覚えている。

ただ漏れの興奮に脳内でセロトニンが爆発した。

あの快感こそ今でも求め続けているものなのかも。

 

その後Junから正式にオファーをもらい、

展示会から数週間後、

彼らと2度目のニューヨークへ向かった。

Junと清吾さん、そして自分の3人。

モデルの選定も任され学生時代の友達にコンタクトをとり、

事前にモデルもブッキング済みだった。

ブランド関係なく自身初のルックブックの撮影。

どうやって進行していくのかもわかっていなかったが、

なんだかんだで撮影当日を迎えてしまった。

 

時間になりモデルが続々と集まってくる。

そしてすぐさま撮影が始まった。

友達の紹介とはいえモデル全員初対面。

私は撮影とモデルのケアーで頭がいっぱいで、

撮影が始まってからは無我夢中で撮り続けた。

 

緊張とパニックの狭間、

汗が止まらなかった。

 

そんな中Junはモデルと楽しそうに会話をしながら服を着せていく。

サンプルのサイズとモデルの体型、

発売時期とトップスとパンツのコーディネーション、

全て踏まえた上でその場で彼が考えて着せていく。

ある程度頭では考えているのだろうが、

その場でモデルをさばいていく様には生感があった。

楽譜のあるクラッシック音楽ではなく、

その場の空気に情熱を映すジャズのよう。

即興を自分のペースで捌く彼の姿に、

自分との分厚い経験値の違いを感じた瞬間でもあった。

ほぼパニック同然の私の背後で、

Junは先頭に立って背中を見せてくれた。

 

彼はいつもそうだった。

 

まずどんなことも自分がやって見せていた。

買い付けの時の下っ端仕事も、

事務所の掃除も必ずまず自分がやる。

言葉では何も言わずただ行動で見せてくれる。

だから人がついてくるのだろう。

 

私はニューヨークでのLafayetteの撮影を通して、

ぶっつけ本番に対しての免疫はかなりできたと思っている。

そしてそれは特にこの街では不可欠な免疫だと今は思う。

チャンスも転機も全て同じだけど、

いつくるかわからないビックウェーブは待ってはくれないし、

準備している暇なんてない。

今できなきゃ次がいつくるかなんてわかりもしない。

ニューヨークでは躊躇していたらもう終わり。

機材も体調も言葉も理由にならない。

結果を出せるか出せないか。

それ以外は何もないし、できない奴は相手にされない。

 

「お疲れ様でした!」

 

Junの声が皆の拍手と共にスタジオに響き渡る。

夢中過ぎて一瞬に感じた初のルック撮影。

非常階段のドアの前、

オートロックのドアを石で止め、

Junと二人でタバコを吸った。

 

「お疲れ様でした。ありがとうございました。」

 

「いやこんなチャンスもらって逆にありがとうございます。」

 

「あのパップってモデルかっこいいねぇ。めちゃくちゃ似合ってた。んーーーやっぱニューヨークに店欲しいな。」

 

「是非やってくださいよ!めちゃくちゃ楽しみです。」

 

「んーいろいろ物件とか見てるんだけど。まずオンラインをもっと売れるようにしてからだよね。どうするかなwまだ出店までは結構かかりそうかなw」

 

路上でタバコを吸いながら話す世間話の中、

この時私は初めてJunの口からニューヨーク店出店への気持ちを聞いた。

 

それから2016年までの2年間で、

マンハッタンで2回ブルックリンで2回POPUPを開催。

私も全てのPOPUPに参加させてもらったのだが、

色々な場所と環境で試験的に行われたPOPUPには、

毎回にJunの狙いがあったように見えた。

そして、この定期的に行ったPOPUPを経て2016年の冬、

ニューヨークでの試験的出店から全米へのチェレンジに変わる。

 

2016年2月。

 

ラスベガスで行われたトレードショー”AGENDA”に出店する。

 

 

 

 

集合場所のロスの某モーテル。

 

最初についたのは仙台組のDさん、MARZさん、自分だった。

 

ニューヨーク組と神奈川組はベガスに向かう2日前に落ち合う予定で、

私は彼らの到着までモーテルのプールサイドで爆睡していた。

今回のクルーは、日本からはJun、Akira君、Dさん、MARZさん、自分。

アメリカからはTeddy、Adreal、Manny。の計8人。

このメンバーでアメリカでの初のトレードショーに臨んだ。

ラスベガスで行われる”AGENDA”は3日間。

全米、世界中からアパレルブランドが集まり、

新しい取引先との契約や、

新作を披露するアメリカでも指折りのトレードショーだ。

そこにJunを筆頭にLafayetteが出店する予定だった。

 

だが伝えられていた到着予定の時刻を過ぎても全く誰も来ない。

神奈川組とニューヨーク組は空港で落ち合って、

一緒にくるという話だったが何かあったのだろうか。

するとニューヨーク組のAdrealとMannyが見えた。

Adrealが手を振っている。

 

「久しぶり!遅かったじゃん。なんかあったの?!あれ?Teddyは?」

 

「マジでやばいぞ!Akiraが税関で引っかかって荷物没収されているんだ。」

 

「マジ?!荷物ってまさかショーに出品するアイテム?」

 

「そうだ!しかも商品サンプルの持ち込みだから何日間か返してもらえないらしい。今JunとTeddyが税関で交渉してる。だけど多分あれは厳しいかもな。もう他の場所に運ばれたみたいだし。」

 

「いやそれはマジでやばい。出店するのにアイテムなかったらギャグだよ。」

 

「祈るしかないな。とりあえずJunもAkiraも入国は終わってるからあとは祈って待つだけだ。」

 

それから日が暮れても彼らは来なかった。

そして夜の23時頃だっただろうか。

プールサイドのパラソルの下でAdrealとチルしていると、

馬鹿でかいボストンバッグを何個も持ったJunとAkira君とTeddyが見えた。

 

「荷物返してもらえたんですか?!」

 

「何とか。ギリギリだったけどどうにかなったwいやぁもう終わったと思いましたw今日荷物運ばれちゃったら3、4日とり返せなかったから。本当ギリギリw」

 

安堵の表情を浮かべるJunと疲れ切った表情のAkira君とTeddy。

全く関係ないがTeddyの疲れは吐き疲れだったらしい。

ベガスについて空港かなんかで食べたブリトーに当たって吐きまくっていたらしい。

さすがTeddyって感じだった。

悪運も味方につけて一行でベガスに向かった。

出発前日に私はTeddyと史上最大の喧嘩をしてしまったがそこは割愛します。

今でもBestBuyの看板が忘れられない。

 

ベガスに着き会場のホテルに圧巻した。

さすがアメリカ最大級のトレードショーだ。

その規模は凄まじくテンションが自然と上がっていった。

出店ブースに案内され、準備を始める。

私はその様子を一部始終映像に収めた。

 

翌朝トレードショー1日目。

駐車場からカジノを通り抜けると、

とんでもない量のブースと来場者に喰らう。

世界各国から色々な種の人間が集まり賑わっていた。

Lafayetteのブースにも人集りができていた。

その様子を撮っていて思ったことだけど、

この時ばかりは全員が本気の表情をしていた。

真剣にLafayetteを売り込んでいる皆の様子は濃く残ってる。

やっぱ真剣な時は人間光ってます。

実はここでJunは後のPRIVILEGE香港店のパートナーに出会う。

この時は誰もそんな風になるなんて思っていなかったけど。

点と点は繋がるらしい。

 

無事1日目を終えた一行は、

出店者やVIP専用のプライベートパーティーに向かった。

ゲストは確かTravis Scott。

滞在しているホテルでタクシーを呼ぼうとしていた時、

Junが急に粋なことを言った。

 

「リムジン借りちゃうw?せっかくのベガスだしハイプに行ってみるw?」

 

全員満場一致でリムジンのハイヤーを呼んだ。

普段全くハイプな事はしないJunだが、

彼は金を使うタイミングが粋だった。

今までも自分のモノや車よりも人と情熱にベットしていた。

ベットされた方はそれを中々忘れない。

この人の為ならって気持ちが芽生えて何か手伝いたくなる。

粋な金の使い方。

これもJunから学んだことの一つだ。

パーティー会場は今まで行った中で最高のハイプだった。

ギラギラブリブリのセレブ揃い。

浮きまくってる自分が笑えてくるぐらい。

Travisのショーも半端なかった。

演出の規模もステージの作りも日本とはレベル違い。

マーケットの大きさの違いを生々しく感じた。

“楽しい”以外の感覚がない空間。

クルー全員がぶっ壊れ始めた。

普段全く酒を飲まないTeddyもベロベロ。

自分含めて全員がほぼ酩酊状態になる程飲んだ。

この時が初めて皆でこんなにぶっ壊れた時かもしれない。

少し全員の距離が縮まった感じがした。

 

そして2日目。

ロビーに集合する全員顔が死んでいる。

昨日やりすぎたせいだ。

Adrealが首を横に振りながらエレベーターから歩いてきた。

 

「だめだ。Teddyが起きない。気持ち悪いから今日は休むそうだ。」

 

嘘だろ。

 

またTeddyが舐めたことを言い始めた。

もうなんか段々笑えてきて、

特に無理矢理起こすこともなく、

Teddyをホテルに残し残りのメンバーで会場へ向かった。

 

 

 

2日目、3日目も無事にショーは終わり、

最後の晩皆で祝杯をあげた。

Adrealがスプーンでコップを叩く。

 

カンカンカンカン!

 

「皆聴いてくれ。今回のトレードショーは最高だった。まずはJun、そして皆に感謝したい。これから今回の機会が生きることを祈ってる。だけど次、次に俺達がやることはなんだ?…次はクソニューヨークでの出店だ。チアーズ!」

 

「チアーズ!!!!」

 

この3日間を見ていて一番大きく変わったのは、

ニューヨーク組の意識だったと思う。

一瞬の高ぶりなのかもしれないが、

トレードショーの反響や初日の皆でぶっ壊れたこと含め、

TeddyもAdrealもMannyもニューヨークでの出店に、

本気になっていた瞬間だったと思う。

 

蕾が咲いた頃。

この約一年後、Junはニューヨークに店を出す。

 

 

 

 

2017年、1月某日。

 

年が明けてまだ間もない頃にJunから電話が来た。

 

「明けましておめでとうございます。実はついに店出します。4月オープン予定何だけどKIKIさん来られますか?できればお店作るところから撮ってもらいたいんで1ヶ月前乗りでニューヨーク入って欲しんですけど。」

 

「おめでとうございます!絶対行きます!予定空けるので日程決まったらまた教えてください。マジおめでとうございます!」

 

4年前からここまで、点と点がまた繋がった。

 

オープン予定は4月22日。

JunとBONEさんと私の3人は1ヶ月前の3月後半、

ニューヨークに向かった。

時間差で大工の太郎さんも入国。

新店舗の場所はダウンタウンのローワーイーストサイド。

aNYthingでPOPUPをやった頃は微妙だと感じていた地域だった。

ただニューヨークの街の流れは早くて、

Junが出店を決めた頃ローワーイーストサイドは、

ダウンタウンの中でもホットスポットになってきていた。

 

オープンまでの共同生活が始まった。

太郎さんは遅れて従業員がくる兼ね合いもあって、

一人別の場所に滞在していたが、

それ以外のJunとBONEさんと私はブルックリンのアパートに住むことになった。

今でも忘れないのが、週末4人でクラブに行き泥酔して帰った翌朝。

リビングでコーヒーを飲んでいた私にBONEさんが話しかけてきた。

 

「KIKIさんおはよーー。ネコ昨日やり過ぎて死んでるんだろw」

 

「そうですね。多分死んでると思いますw」

 

「KIKIさん水ある?」

 

「ありますよ。」

 

冷蔵庫からペットボトルの水をとりBONEさんに渡した。

BONEさんはピルケースから錠剤を取り出して砕き始めた。

 

「えw?それなんですかw?」

 

「バイアグラwネコ二日酔いだからベッドの隣に水置いてたら一気飲みしそうだろw」

 

BONEさんはバイアグラを二錠粉々に砕き、

粉末状にして水に混ぜペットボトルを振る。

それをバレないように枕元においた。

起きてきたJun。

ペッドボトルを片手に持っている。

フラフラになりながらリビングの椅子に座り、

案の定水をゴクゴク飲み始めた。

この後は想像に任せます。

 

BONEさんのイタズラはかなりのセンスだった。

でもやり過ぎてとうとうJunにホテルに移動させられた。

多分住み始めて1週間ぐらいだったと思うw

 

入国翌日から大工の太郎さんの施工が始まった。

海外で材料や道具を準備するのが大変らしく、

かなり苦労していたのを覚えている。

太郎さんが施工している日中、

JunとBONEさんとTeddyと私は、

内装に使う家具や機材を探しに街にでていた。

細かい部分を含めると結構揃えるものが多くて、

結局オープンのギリギリまで施工と買い出しは続いた。

アパートに帰ってきてからもJunは毎日日本とのやり取りをする。

丁度半日違う時差が絶妙に休ませてくれないループを生んでいた。

 

そして向かえたプレオープンパーティー当日。

大勢日本人達がお祝いに駆けつけてくれた。

Lafayetteのスタッフも入れたら2、30人以上いたんじゃないだろうか。

現地の人間もたくさん来てプレオープンパーティーは大成功。

店は熱気で溢れてフルパンのパーティーは大盛況だった。

 

頭の中でシャンパンの栓が抜ける。

 

1ヶ月前に前乗りして1からできていく店を見てきたのもあったけど、

正確には4年間見てきて本当にオープンした。

 

そんな気持ちだった。

 

有言実行。

 

今でも一番尊敬しています。

 

 

 

 

 

 

オープン当日の朝。

大成功のプレオープンの夜は大人しく帰り当日を向かえた。

デリでコーヒーとサンドウィッチを買い、

アパートの前でJunとタバコを吸った。

 

「ついにオープンですねw」

 

「何だかんだついにきましたねwここからが勝負だけどw全然売れなかったらヤバいよw」

 

「大丈夫ですよwわかんないですけどw」

 

「まあなるようになるねw」

 

 

 

 

 

 

路上でタバコを吸いながら世間話をするこの光景。

 

 

どこかで見たことがある。

 

 

4年前の初めてルックを撮影したニューヨーク。

 

 

 

進んでいれば点と点は繋がる。

 

 

 

御社のCEO、最高にかっこいいです。

 

 

 

24K GOLD!

 

 

-完-

 

 

半年間読んでくれた皆さんありがとうございました。

また旅に出ようと思えました。

 

KIKI

 

 

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第二十四話「24K GOLD」-前偏-

28th Oct 2020 by

 

 

第二十四回。

今回は最終回前編。

半年間毎週水曜日投稿を公言してついに後2回。

次回でこのブログも一旦区切りをつけようと思います。

 

実は最終回の主人公はブログを書き始めた一回目から決まっていました。

後出しでは無くこのブログをここで書く意味として。

 

最後は私の人生を一番大きく変えてくれた人の話を書きます。

彼がいなかったら間違いなく今の自分はいない。

 

 

 

 

2011年3月8日。

 

4年間のニューヨーク学生生活から、

ヨーロッパ大陸、北アフリカからの旅を終えて帰国したのがこの日だった。

帰国してからのプランは一つも無くて、

ただ母国に帰ってきた実感に幸福感で一杯だった。

 

これから先のことは、まぁどうにかなるでしょ。

 

旅の感覚がまだ抜けないある意味フレッシュな時期。

そんな楽観的な気持ちを持って成田から実家のある仙台に帰った。

誰もいない数年前まで家族で住んでいた実家。

私が日本を離れて以来両親も兄も東京で生活していた為、

玄関を開けると何年も放置された生活感の無い埃の匂いがした。

とりあえず何日かゆっくりしよう。

そう思い、それから2、3日はとにかくダラダラと過ごした。

携帯電話も無く、

友達にも連絡ができなかったという理由もあったが、

旅でずっと一人だったせいか、

何となく誰かと会うという気持ちにもなっていなかったのが本音だった。

 

そして帰国してから4日目の3月11日。

ニューヨークでお世話になった人達に仙台名物の牛タンを送る為、

市内の繁華街までバスで向かった。

市バスの雰囲気にも懐かしさが込み上げて、

ただ窓の外を見ているだけでも安心感に包まれていく。

経った5年でも随分と変わった街並みは、

止まらない時間を象徴しているようだ。

そんなノスタルジックな感覚に浸っている間に、

バスは終点の仙台駅に到着した。

 

そしてこの数十分後に笑えない漫画みたいなことが起こる。

 

東日本大震災。

今世紀最大1000年に一度の震災だ。

 

仙台の一番町。

利久という仙台では有名な牛タン屋に向かっている最中、

偶然にも道端で旧友に出会い立ち話をしていた時だった。

 

「久々じゃん!アメリカ行ってたんでしょ?帰ってきたの?!」

 

「そうそう、数日前に帰ってきたばっかりでさ。今日はお世話になった人に牛タン送ろうと思って街に出てきたんだ。この辺はあんまり変わってないね。」

 

「何も変わってないよー、俺は子供が生まれたけどねw」

 

「マジで?!おめでとう!何だよめちゃくちゃ状況変わっでんじゃんw男?女?」

 

「男の子。めちゃくちゃ可愛いよ。まだ小さいから……..

 

あれ?….

 

なんか揺れてない?….

 

地震じゃない?」

 

 

この後の事は実際断片的にしか覚えていない。

旧友が”地震”という言葉を口にしてから間もなく、

今まで感じたことのないレベルで地面が揺れた。

ビルから慌てて降りてくる大勢の人間達に、

至るところから聞こえてくる窓ガラスが割れる音。

バネ付きの人形のように揺れまくる信号機が

5分以上エンドレスでバインバイン揺れている。

鳴り止まない恐怖に怯える人間の悲鳴と、

我慢が爆発して激怒した地球の地響きが、

一瞬で仙台の街を真っ暗にした。

地震の直後に降った大雪の吹雪が、

人々に追い討ちをかけるようにパニックを煽った記憶がある。

5年ぶりに帰国して、4日目で普通こんな事起きるか。

これから日本でどう活動していくか考える暇もなく、

私のこの先もこの震災と共に真っ暗になった気がした。

 

震災についてはここではこれ以上多くは書かないが、

日本中が揺れたこの未曾有の災害で、

私は本当の意味で0スタートを余儀なくされた。

 

持っていたのは微々たる金と撮り貯めた写真のネガだけ。

 

マジでこれからどうするか。

 

でも自分には語学と写真しかない。

 

だけどこんな状況でどう動けばいいのか。

 

その時二十代半ばだった私は、

そんな盲目的な状況の中足踏みすることしかできず、

二次災害であった放射能にビビりながら街を毎日歩くだけの日々が続いた。

そして震災から数ヶ月が経った頃、

津波で多大なる被害があった沿岸部は未だ復旧していなかったものの、

市内の繁華街は徐々に活気を取り戻しつつあった。

私は持っていたネガを現像しノートに一枚ずつ貼り、

自分のポートフォリオを作った。

それを十代の時からお世話になっていたDさんのところに持っていくことにした。

Dさんは仙台で何店舗かアパレルのお店を経営していた。

 

「おーーーー、久しぶりじゃん。帰ってきたか。」

 

「ご無沙汰しています。今自分写真撮っていて良かったら見てもらえませんか?」

 

Dさんはノートに貼り付けた私の写真を見てこう言った。

 

「ノートに写真貼ってポートフォリオだって持ってきた奴はお前が初めてだわ。もっとやり方あるだろwまあいいやwどうなるかわかんないけど、お前の写真に合いそうな人紹介するから仕事につながるといいな。」

 

この紹介が私の人生にとってのターニングポイントになった。

今思えばDさんがきっかけを作ってくれた人であった。

この場を借りてDさんにも感謝したい。

 

ポートフォリオをDさんに預けて数週間後、

ノートに貼っていた一枚の写真が紹介先でフォトティーに抜擢され、

そのフォトティーは全国で発売された。

そして発売後から撮影のオファーが絶え間なく来るようになった。

今まで目にも留められなかった写真家としての自分が、

一枚のフォトティーをきっかけに確実に流れが変わった瞬間だった。

 

世の中何が起きるかわからない。

 

今ではこの言葉を声を大にして伝えたい。

宝くじが買わないと当たらないように、

夢とか目標も進めないと叶わない。

寝て見る夢は想像だけど進んで掴む夢は執筆に近い。

章が変わったタイミング。

段落が変わった瞬間だった。

 

全てはこの一枚のフォトティーからが始まりだった。

 

そしてそのきっかけをくれたのがLafayette CEO金子淳二郎。

 

彼こそ私の人生を変えてくれた人であり最終回の主人公。

 

最後は私が隣で見てきた彼のアメリカで勝負する姿の一部始終を書きたいと思います。

 

最終回、是非読んでください。

 

彼ハンパないですよ。

 

きっとLafayetteというブランドを見る目が変わるはずです。

 

 

 

前編 

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第二十三話「クイーンズの一流ライダーナイジェル」

21st Oct 2020 by

 

 

2017年の秋。

 

一本の電話が鳴る。

 

「もしもし、キキさんクラークの友達が東京で撮影があるらしくてフォトグラファー探してるみたいなんだけど、もし興味あればどうですか?BMXのライダーなんだけど、ナイジェルって知ってる?」

 

ジュンからの電話だった。

 

「いや、わからないです。でもやりたいです!是非繋いでください。」

 

「じゃあキキさんの番号教えておくから連絡してもらいますね。多分本人から連絡いくとおもます。」

 

そのやり取りから数分後、

ナイジェルからテキストが届いた。

依頼内容は彼自身が企画している、

“Go!”という企画の撮影でのスチール撮影の依頼。

過去の彼の作品が一緒にリンクで送られて来ていて、

リンクを開き自分の想像の何十倍ものレベルの作品に絶句した。

さすがクラークさん。

 

絶対やりたいと思った。

 

この企画は簡単に言えば、

世界の色々な都市をナイジェルがBMXで走る。

だけの企画。

ただその中のストーリーが面白かった。

意外な登場人物や各都市ならではの構成も最高。

見たことがない人はYouTubeにあるので是非。

Nigel Sylvester GO!で検索してみてください。

 

ナイジェルからのテキストに二つ返事でやると伝え、

次に彼から私のギャラの値段を聞かれた。

 

撮影日数は3日間。毎日朝から晩まで一日通し。

 

最初は頭の中で計算が始まって数字が回った。

稼働する時間や自分の今のレートを合わせて計算する。

カメラで生活をする中で当たり前になっていた、

昔は全くなかった反射神経がこの時も敏感に動いた。

でも数字を回している内に不意に違う考えが浮かんで、

この企画ならチャンスに投資してみるのもいいかもしれないと思った。

目先の金より先にbetするのも悪くない。

理由もなく突然出て来たこのアイディアは、

すぐに自分の中で採用され完全な勢いでナイジェルに返信をした。

 

“今回はギャラはいらないから、

もし写真を気に入ったら次の仕事を投げてほしい”

 

“本当に?もちろんOKだけど、本当にそれでいいのか?”

 

“それでいいよ、ギャラはチャンスでいい”

 

“了解、決まりだ”

 

勢いは大事だと思う。

物事がどんどん進んでいくから。

ただ勢いの先がいつも上手くいくとは限らないが。

この時の判断が正解だったかは当然この時もわからなかったが、

ただ確実にいつもと違う感覚になれた実感はある。

 

初心に帰った感じというか。

 

連絡を取り合ったのはナイジェルが来日する約1ヶ月前。

最後のメールをしてからは一度も連絡を取らず、

あっという間に撮影の日を迎え、

私は仙台から待ち合わせの浅草まで朝一の新幹線で向かった。

この話が決まってから頭の中で何度もイメージトレーニングをした。

スタッフが何人いるのかも、

どんなシチュエーションなのかも知らされていなかった。

事前に何度かミーティングをして、

構成表が用意されたいつもの撮影とは真逆の境遇。

カメラを始めた頃のこの厳しい感じが心地良くもあった。

 

待ち合わせの場所に着くと誰もいない。

指定された場所は浅草寺付近のとある小道。

早朝の浅草寺は地元感が強くて、

私以外皆顔なじみの御近所さんたちが怪しげに私を見ていた。

全く来る気配もなくてナイジェルに電話をすると、

別の場所で既に撮影を始めているらしい。

 

いや連絡くれよって感じだった。

 

とりあえず再度指定された場所に向かい、

撮影クルーらしき集団が見えた。

3人の撮影クルー。

ディレクターのハリソン、サブディレクターのジェイミー。

通訳兼コーディネーターのロブ。

加えてナイジェルがいた。

 

「KIKIか?ナイジェルだ、よろしく。今日は浅草で何箇所か撮ってから相撲部屋、それから秋葉原にいく流れ。各場所で映像おさえてから何枚か写真を撮っていこう。」

 

「了解。じゃあ準備するわ。」

 

予定通り進めるには時間がかなりタイトだった。

映像撮影がメインで多分写真はプレスリリースにでも使うのだろう。

各場所で自分にどれくらいの時間が与えられているのかもわからない。

不安要素はたくさんあったが、

そんな事を考えている暇もなく各場所での撮影が始まった。

ハリソンとジェイミーがナイジェルに細かい指示を出す。

仕草、言葉、次のカットへの繋がり、服の見え方…

とにかく詳細の詰まったディレクションに関心しかなかった。

Vチェックをしながらナイジェル本人のアイディアも出てくる。

何テイクもあ互いが納得のいくまで撮り直し、

Fixされたオーケーカットはいつも最高だった。

 

彼らは正真正銘のプロフェッショナル。

 

私はこのクルーに会うまでアメリカ人に値して偏見というか、

自分の今までの経験から勝手なイメージを持っていた。

 

それは何にでもルーズで適当だ。という点。

 

自分が今まで仕事をして来た、

アメリカ人のラッパーやアーティストは、

時間にも内容にも適当さを感じていた。

撮影したものを見せると大体が、

 

”Dope”と言う。

 

本当かよ?って何回も思ったことがあった。

作品を作る上でイエスマンはいらない。

もちろん本当に良いと思ってくれているなら別だけど。

作り手と映る側が本気で作る作品にはエモさが滲む。

ナイジェルとハリソンのやり取りはまさにアメリカの勝新と黒沢だった。

 

浅草での撮影のメインカットは浅草寺中央でのカットになった。

ここでナイジェルから急に声がかかる。

 

「KIKI、ここで今回の東京トリップのメインスチール撮りたいから構図を考えてほしい。ただ時間がないから5分で終らせてほしいんだ。映像に時間がかかって次の相撲部屋のアポに間に合わなくて。」

 

今回のメインがいきなり来た。

しかももらった時間は5分。

余裕なフリをして準備を始めた。

内心は心臓がバクバクしていたけど。

 

「OK、じゃあ準備するから。」

 

一枚決めカットを撮れたら勝ちだ。

もしかしたらこの5分がこれからの色んなことを変えるかもしれない。

この尋常じゃないぐらいの試されてる感じがゾクゾクして止まらなかった。

5分の中で何個も撮っても良いのが撮れる気がしない。

だから構図を決めて一発勝負でいくことにした。

 

むしろ1分で決めてやる。

 

ナイジェルを本道の中心に置いて、

浅草寺を背景に、11mmの超広角レンズで下からややあおる。

この場所でのベストだと思った。

この構図以外は忘れる。

とにかくこの構図を完璧におさえることに集中した。

高速でシャッターが切られていく。

無我夢中とはあの瞬間のようなことだったと思う。

それしか見えていない、それ以外何もない空間。

実際その空間にいたことはあまり覚えていない。

連写で何十枚か撮った後撮れた写真を確認すると、

自分でも納得の一枚が写っていた。

 

撮れた写真をナイジェルに見せるとブチ上がっていた。

 

「これでメインカットは決まり!次に行こう!」

 

本当に1分ぐらいで終わったメインの撮影。

それから夜まで色々な場所で撮影は続き深夜になってホテルに戻った。

部屋にチェックインをしてカメラバッグを開けてメインカットを再確認。

嬉しくてずっと一枚のカットを見続けた。

最高に幸せな気分だった。

何かに勝ったようなあの感覚は忘れようがない。

 

それから2日間、

サブカットとして各ロケ地で写真は撮ったものの、

あの一枚を超えるカットは出なかった。

ナイジェルはもちろんハリソンもジェイミーもロブも最高のチーム。

“一流”は世界共通ですごい。

今回初めて本当の一流達と仕事ができた気がした。

撮影規模や機材の問題ではなく意識がプロだ。

ナイジェルとの仕事を通して一流を見せてもらえた。

 

最終ロケ地の竹下通り。

無事に撮影も全てが終わり皆とハグをして別れた。

原宿からタクシーに乗り東京駅に向かい、

最終の新幹線で仙台に帰った。

 

 

 

 

それから一ヶ月ぐらいが経ったある朝。

ベッドで目が覚めてアラームを止め、

いつも通りベッドの上、半分寝ながらIphoneを確認した。

インスタからとんでもない量の通知が来ている。

上にスワイプしても永遠に通知が止まらない。

 

何があった?

 

自分のページを開くと、

USのHype Beastがナイジェルの企画を投稿していたのだ。

何百万人、何千万人への拡散力のある媒体が彼を特集したのだ。

そしてトップメイン写真はあのメインカットが使われていた。

私にとっては今までの中でも指折りの衝撃の瞬間。

加えてとんでもない量のアメリカ人から撮影の依頼のDMが入っていた。

恐るべしHype Beast。

 

ナイジェルのこのGO!という企画はそれからすごい勢いで拡散された。

それからのナイジェルの活躍は半端じゃない。

ジョーダンから自分のモデルを出し、

サムソンのコマーシャルにも抜擢されて、

ナイキ、G-Shock…スポンサーもキリがない。

ディレクターのハリソンも去年出した映画が賞を取り、

この間はポルシェのCMを撮っていた。

 

二人ともやっぱり本物だった。

 

ナイジェルやハリソン、

この二人の一流と仕事をして今思うこと。

 

 

俺は一体何をやっているんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第二十二話「出会いとドラマ」-Skit-

14th Oct 2020 by

 

 

先日あるきっかけで行った食事会で、

一人の男性がこんな話をしていた。

 

「30代後半、このタイミングで旅に出たのは正解だと思ってますね。もし若い時だったら金も無かったからやりたい事もできなかったと思う。それに今の方が感じられることも多いと思うんですよ。大人になったからこそ冷静にものを見れたというか。痛い目にもほとんど合わなかったですし。」

 

彼はついこの間まで1年間バックパッカーをしていたらしい。

30代後半でバックパッカーをやることは、

勇気ある行動だと思う人も少なくないと思う。

実際に彼のように行動に移せる人もなかなかいない気がする。

私はそう言う意味でも感心して彼の話を聞いていた。

ただ彼のさっきの言葉を聞いた時から、

普段は右から左に抜けていく人の雑談が、

何かが途中で引っかかり上手く抜けていかなくなっていった。

 

何か気持ち悪い感じ。

 

否定したくないけど内心は否定してしまっていたのか。

自分の過去の行動を肯定したいだけなのかもしれないが、

この類の質疑は過去に何度も自分に投げてきたものでもあった。

20代中盤から貧乏旅をしてきた私は、

いわば彼とは180°真逆の環境だった。

金もいつもギリギリで、若さ故の間違いも何度も犯してきたし、

振り返ると人には言えないような事も多々ある。

今思い出すだけでも両手じゃたら足らないほど。

 

そして旅から帰ってきてから何度か考えた。

 

やっぱ旅に行くの早かったか?

 

今だったらもっと…

 

どのページをめくっても必ずどこかの段落でこの言葉が出てくる。

 

3つの点の先は無限に出て来そうだ。

 

経験値と共に失敗の数は自然と減っていった。

というより失敗しない方を選ぶようになっていったのかもしれない。

時間を重ねていくうちに自然と変わっていく物の見え方は、

今まで貫いてきた事を曲げるようで痛くて変に悔しかった。

年齢なんて関係ないと自分自身今でも思っているけど、

経験の量と好奇心や行動力は反比例していくのかもしれない。

何でも初めての瞬間は胸が躍るものだし、

20代ぐらいの頃は危険や不安も無視して進めるんだけど。

 

貧乏旅で危険も顧みずトラブルに自らダイブしていた頃、

チャイナエアラインのエコノミーが当たり前だった。

ニューヨークに向かうにも普通12時間のところが23時間かかる。

ホテルにも泊まれなかったし無論欲しい服も買えない。

6人部屋の激安宿に泊まり各国でハスりながらの日銭生活だった。

写真を撮りに街出る度に高級ホテルを見て羨ましく思っていたし、

旨そうな匂いのするレストランのメニューを見る度値段に白目を向いてきた。

それから帰国して数年が経って経済的にも精神的にも余裕が生まれ始めた。

帰国後も世界を歩く事は続けて1年の約3分の1は海外での生活を送り、

そして余裕が生まれて調子に乗り始めたのが最後。

あの頃の憧れがここぞとばかりに爆発した。

ANAのビジネスクラスに乗り、各国で高級ホテルに泊まり、

高級レストランで飯を食い、ハイプなクラブでシャンパンを飲む。

ちょっと前じゃ考えられない状況だったが、

思いつくあの頃の憧れをとにかく色々やってみた。

最初は夢見心地な優越感が溢れて、

 

これだよ!これ!って感じ。

 

でも続けていると憧れていたハイプも当たり前になって、

少し冷静になった時に憧れを得た変わりに失ったものに気がつき始める。

 

それは毎日に”出会い”と”ドラマ”が無くなったこと。

 

気がつけばあの頃は当たり前だった、

常識をぶち壊してくれる面白い奴にも全く出会わなくなり、

心を動かすようなドラマも全く起きなくなっていた。

 

なぜか。

理由は簡単だった。

 

本気で人と触れ合うことが無くなったからだ。

例を挙げるなら高級ホテルで他人と話す事はほとんど無い。

毎日繰り返すのは「Hi! How are you??」

こんなエレベーター前での嘘くさい適当な挨拶ぐらい。

金が流れる場所は基本的にリテラシーが高い人間が多いからか、

良く言えば予想外のことは起こらないが、

悪く言えば当たり前のことしか起こらない。

でも激安宿では話は別だ。

嫌でも毎日誰かに話しかけられるし新入りも頻繁に入ってくる。

すると必然的に色んな国のアタオカ達に出会い、

何か面白うな初めて嗅ぐ匂いに引っ張られ、

ついて行った先で何かしらのトラブルが起きる。

実はここが重要だったと今は思う。

トラブルの中には色んな大切なものが入っていて、

パニックになった時こそ本当の自分が見えるし人も見える。

本当に辛い時こそ本当の友達が分かる感じに近い。

内面が試されるこの瞬間だけは見た目も貧乏も金持ちも関係くて、

お互いが本心を見せ合うタイミング。

いい思い出でも嫌な思い出でも、

ピンチとか爆笑は共有すると相手との仲は一気に縮まる。

記憶に残ることを誰といくつ残せるか。

今はそれが一番大切だと思える。

 

だいぶ話は脱線してしまったけど、

つまり何が言いたいかと言うと、

旅をするのにタイミングは関係ないと言う事。

今旅をしたらきっと全く別の感覚を得るだろうし、

逆に言えばあの時旅した時の感覚は今は得られない。

その時々のタイミングで学ぶ事や感じる事は、

その時のあなたにきっと必要な事だから感じ取れることです。

 

だから旅にタイミングは関係ない。

 

行きたいと思った時がいつもベストタイミング。

 

金じゃ見えない景色もありますよ。

 

貧乏旅最高です。

 

 

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第二十一話「アイラブケンタッキー、チャー」-後編-

7th Oct 2020 by

 

 

 

 

ノーヘルで原付を3ケツする少年達と、

村の集会場に一つあるテレビに群がる労働者達。

逆走していく昭和の様な景色を置き去り、

掴めない答えが指の間を無情に抜けていく。

タクシーから流れる景色を静かに眺めるチャー。

車内には乾いていく窓から出した右手の雑音だけが聞こえていた。

 

 

タクシーで走る事約20分強。

無言のチャーは孤児院を出てから外の景色をずっと見ていた。

ここはもうアンコールワットなのか?

ついさっき入り口で謎のおっさんから一日券を二枚買い、

ドライバーに言われるがままに払った。

 

本物なのか…

 

そこを抜けてから今までの景色が、

明らかに遺産っぽい建造物に変わっていく。

当時は知識が全く無くてわからなかったが、

簡単に言えば画像で見るアンコールワットは、

馬鹿でかい敷地の中の一角にある一つの城?にしか過ぎず、

敷地の中には他にも何十もの建造物があり、

爆弾で破壊された形のまま残っている生々しい遺跡なども多々あった。

ちゃんと見て周るなら一日では多分足りないと思う。

いや確実に足らない。

 

進んでいくタクシーは行き先も言っていないのに、

着実に遺跡の敷地の中央に向かっていく。

オーナーがドライバーに伝言してくれたのか、

数分もしないうちに画像で見てきた、

例のアンコールワットが見えてきた。

 

とりあえずでかくて、広い。

あと人の数がハンパなかった。

 

さすが世界遺産。そんな印象だった。

世界中から観光客が来ているのだろう。

観光客がいるところはあまり行っていなかったせいか、

私はまずあまりの人の数に圧倒された。

進んでいくに連れてタクシーから見える、

人の群れは徐々にデカくなっていく。

 

だが進めば進むほど小さな疑問もデカくなっていった。

 

 

 

 

あれ?

 

何かおかしい。

 

よく見ると群衆は観光客じゃない。

 

現地民…?

 

 

タクシーが駐車場に車を止め、

私はチャーを連れて外へ出た瞬間、

案の定、物凄い数の物乞いの子供達に囲まれた。

 

「マネー!マネー!」

 

べぐる子供達は遠慮のかけらも無いほど、

ストレートに群がってくる。

私はこの様子を写真に撮りたくて、

鞄からカメラを出しシャッターを切ろうとした。

その時タクシードライバーが急に止めに入ってきた。

 

「だめだ!だめだ!勝手に撮ったら全員にもっとしつこくタカられるぞ!」

 

ドライバー曰く、

ここで物乞いをする子供達の多くが、

”ここ”で生まれているらしい。

 

ここで言うこことは本当に“ここ“のことだ。

 

冗談でも何でも無く、

彼らはアンコールワットの敷地中で生まれて、

生まれた時から観光客への物乞いで飯を食っているらしい。

だから彼らは道端での金の稼ぎ方を知っている。

一番近くにいた少年に写真を撮らせて欲しいというと、

撮り終わってから金をくれ。と言われるし、

ある奴はミサンガを強引に私の腕にはめて、

はい、金。みたいなガキもいた。

やり方がタイムズスクエアーで無理やりCDを売るハスラーと同じだ。

彼にとって観光客はウォーキングウォレット。

 

歩く金。

 

チャーの手を取り物乞いをかき分けて、

中央に聳えるアンコールワットに向かった。

物乞いをあしらうのに気を取られていたが、

そう言えばチャーは大丈夫だろうか。

急にチャーの事が気になってチャーの表情を伺った。

チャーはニコニコ笑っていた。

何の笑みなのかはわからないが大丈夫な様子だ。

城に近づくと観光客らしき人間が増えて、

城の入り口は列ができていた。

列に並び入場を待っている間、

辺りを見回した時、多少の安堵感に満たされ、

ようやく遺跡に来たことを実感した。

 

順路に沿ってチャーと二人城の中を進んでいく。

石造りの遺跡を手でなぞる様に触れるチャー。

彼にはこの光景が一体どう写っているのか。

一言も会話の無い私とチャーだったが、

彼の表情を見ていれば感じ取れるものは少なく無い。

耳が聞こえず片目が見えていなくても、

初めて見るものにワクワクする子供のバイブスは、

手に取るように伝わるものだった。

さっきまでは私がチャーの手を引き歩いてはずのなのに、

進めば進むほどチャーは逆に私を引っ張っていった。

アンコールワットの私個人の感想は、

 

さっき書いた通り、広い。でかい。

正直それぐらい興味がなかった。

でも一つ衝撃だったのは、

城の中に現地の子供がたくさんいたこと。

彼らは写真のモデルで稼いでいた。

遺跡と現地の子供の構図は実際かなりいい画になっていた。

国に帰ってあの構図を見せたらきっといい写真だね。ってなるのだろう。

ただ最後に金を払うカメラを持った観光客を見ていたら、

なんかやっぱりフェイクの匂いがした。

人工の背景を見て写真って作れるんだなと初めて思った。

それまでポージングや指示など皆無の、

ストリートフォトしか撮っていなかった自分にとっては、

これも今となれば一つのいい経験だった。

 

No fake shit

 

それから私とチャーは1時間ぐらいかけて、

メインの城を廻り駐車場に戻った。

チャーはまだニコニコしていて興奮冷め止まない感じだった。

私はドライバーに次のスポットに行ってくれと頼み、

馬鹿でかい敷地内の奥へとさらに進んでいった。

数分ぐらいでタクシーは止まり目の前にはまた遺跡。

正直さっきのメインの城と似た様な石造りの遺跡で、

さっきほどの迫力もなく、

もう帰ってもいいかな。感は否めなかった。

でもチャーはタクシーが止まるなり遺跡にダッシュしていく。

そしてチャーは私を手招きして、

早く来いとジェスチャーを投げてくる。

もし私が一人で来ていたらすでに帰っていただろう。

でもチャーが楽しんでいるならまだここに残る理由は十分だった。

 

チャーはどんどん進んでいく。

遺跡に触れたり、めちゃくちゃでかい木を見て口を開けていたり。

いつもパソコンの前で外の世界を想像していたのか。

引率がいないとチャーは外に出れないから、

彼にとっての”今”は私とは別次元の瞬間だったのだと思う。

いつか今見えている片目も見えなくなるチャー。

それが近い未来なのか遠い未来なのかはわからないが、

私には想像もできないほどの恐怖だと言う想像しかできなかった。

チャーはこの瞬間を覚えていてくれるだろうか。

 

それからいくつかの遺跡を周り私とチャーは帰路につき、

来た時とはまた別の道でタクシーは孤児院に向かっていた。

交通量の多い大通りに抜けると、

急にチャーが私の袖を思いっきり引っ張った。

びっくりしてチャーの方を見ると、

チャーは先にあるケンタッキーの看板を指差している。

興奮を抑えきらないチャーはめちゃくちゃ可愛らしかった。

ドライバーにケンタッキーに寄ってくれと伝え、

3人でケンタッキーに向かった。

レジ前でチャーを軽く抱っこしてメニューを見せる。

キラキラした目でメニューを隅々まで見て、

チャーは一つずつ指差していく。

チャーが頼んだチキンやポテトがレジに並んでいく。

その度にジャンプをして実物を見たくて仕方がないチャー。

チャーのピュアな姿を見れば見るほど顔は微笑むが胸は痛い。

これ以上なんで彼から自由を奪うのか。

すでに両耳も聞こえないし片目も見えないのに。

私はこういう瞬間が一番神様の存在を否定したくなる。

もう片方も見えなくなったら、

チャーの世界は無音の真っ暗になってしまう。

もし神様がいるなら何でそんなことするのか。

 

チャーのお宝達が乗ったトレーをドライバーに渡し、

先に席とって食べていてくれと伝えた。

会計を済ませお釣りをもらう時、

レジの女の子が私に言った何でもないこの一言が引っかかった。

 

「レシートはいりますか?」

 

この一言は今でも私の耳には残っている。

普段はレシートはもらわない。

でもこの時はレシートをもらうことにした。

 

席に向かうとチャーはすでにチキンにかぶりついていた。

2つのチキンとポテトとコーラ。

チャーは無言無心で食べ続けフードファイターみたい。

身という身を綺麗に食べて満足そうにコーラで流し込んでいく。

嬉しそうなチャーの笑顔も今でも覚えてる。

食べ終わり帰り際チャーは私と手を繋いできた。

一回も喋ったことないけどもう友達だ。

孤児院に戻るとオーナーが心配そうに駆けつけてきた。

 

「どうだった?チャーは大丈夫だったか?」

 

「大丈夫でした。あと帰りにケンタッキー寄りました。チャーめちゃくちゃ嬉しそうにたべてました。」

 

「そうか。ありがとうKIKI。無事で何よりだよ。」

 

「これケンタッキーでチャーが食べたレシートです。もしチャーが全盲になってケンタッキーに行ったら同じメニュー選んであげてください。」

 

オーナーは笑って頷いてくれた。

チャーはロビーに走っていき紙とペンを持って戻ってきた。

チャーは鉛筆でノートに英語を書き始めた。

 

“I Love KFC”

 

そこは”Thank You” だろw

 

私とチャーのアンコールワットの旅は終わった。

 

ろう者(生まれた時から耳が聞こえない人)で全盲。

チャーはこれからどんな人生を生きていくのだろう。

自分の意思も伝えるのも相手の気持ちを感じ取るのもきっと困難になる。

きっと色んな弊害が出てくる。

でもそこが本当に無音の暗闇なのかはわからない。

本当は彼らには私たちが見えない何かが見えていて、

聞こえていない何かが聞こえているかもしれないし。

 

きっと貧困も障害もヘルプが必要です。

考えて変わるのは自分の心の中であって相手ではありません。

もしあなたがリアリティーのある現実にぶつかって、

自分の良心や正義感と葛藤するなら、

それはあなたが何かしらヘルプしてあげたい。

と思っているからだと思います。

全然平等じゃなくていいと思います。

たまたま出会った要ヘルプな人に、

小さいラッキーを皆が落とせばいいと私は思います。

自分にできる事をできる範囲でやればいいだけです。

小さくてもラッキーがそこらじゅうに落ちていたら、

希望を持てる人もいるかもしれないし、

実際生き延びる事ができるかもしれないです。

自分自身もそんな世の中の方が好きになれそうな気がします。

 

考えた結果何もやらないのが一番何の為にもならないです。

 

最後に。

 

神様もしいるのなら一つお願いです。

 

チャーの味覚は奪わないでください。

 

 

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第二十話「アイラブケンタッキー、チャー」-前編-

30th Sep 2020 by

 

 

毎朝妻が作ってくれるアボガドトーストと、

くるみ入りのハチミツヨーグルト。

 

これがお世辞抜きでマジで美味い。

 

いつも私の方が早く食べ終わり、

トーストをかじる妻を窓越しに庭で一本タバコを吸う。

最近の毎日の日課だ。

夏の間に自由奔放に伸びきった雑草が生茂り、

どこから入ってきたのか?

野良猫が雑草をクッションに気持ち良さそうに寝ていた。

秋晴れの心地よい早朝、

目の前の光景は無言の癒しをくれる。

日々のなんでもない光景にホッとする瞬間は、

誰にでもあるようで実はとても幸せな事だと今は思う。

 

今回はある一人の少年の話を書きたいと思います。

 

彼の名前はチャー。

以前に書いたカンボジアの孤児院で生活をしていた時、

前にも書いた通り孤児院には色々な環境を背負った子供達がいて、

その中でも最も時間を共にしたヤーイーの話を書きました。

孤児院での約1ヶ月という時間の中で、

実はもう一人私の中で記憶に残る男の子がいました。

それが、チャー。

 

私は彼と出会いこの一つの質問を真剣に自分に投げかけたことがあります。

 

“自分がもし耳が聞こえず、目も見えなかったら”

 

これは同情でも情けでもなく、

当たり前のことすら感謝するべきことだという意味を込めて。

 

 

孤児院で私がヤーイーとみんなに語学を教え始めてから、

チャーだけは孤児院に一台だけあるパソコンの前に、

ずっと座り授業には参加していなかった。

授業以外でも彼だけは私が話しかけても全く反応がなく、

最初は言葉がわからないから無視されていると思っていたのだが、

ある日孤児院のオーナーにチャーの事を聞いた。

 

「なんであの子は授業に参加しないんだろ?」

 

「参加しない訳じゃなくて、彼は生まれつき耳が聞こえないんだ。しかも左目は見えていないし、右目もいつ見えなくなるかわからないと医者には言われているんだ。」

 

その時初めて彼がDeaf(耳が聞こえない人)である事を知った。

オーナーに事情を聞いた私は正直返す言葉も見つからず、

真剣な顔でぬるい唾を飲み込むことしかできなかった。

 

今まで日本でも障害を抱える人に出会ったことは幼い頃からあったが、

食べていくだけでも精一杯なこのカンボジアという国で、

両親もいない小さな少年が抱えるには、

あまりに大き過ぎるハンディキャップである事は明白だった。

そして特に引っかかったのは、

今はかすかに見えている片目もいつ見えなくなるかわからないという点。

 

ある日突然あなたの視界は真っ暗になります。

 

こんな恐ろしいことがあるだろうか。

彼がどれだけの不安を背負って毎日を生きているのか、

自分に置き換えたて考えただけでも、

恐怖にかぶりつかれ上下の刃が頭と顎ににぶっ刺さる様だった。

 

その事実を聞いた当日の夜、

いつも通り授業を終えて部屋に戻ってから、

どうしてもチャーのことが頭から離れず、

ベッドに仰向けになりヤモリがへばり付く天井を眺めながら、

一晩中チャーの事を考えてしまった。

 

彼がこれからどうやって生きていくのか。

誰がこれから社会の色々な事を教えてあげるのか。

この先彼が誰かを愛した時すごく辛い思いをするんじゃないだろうか。

これから彼が歩んでいく人生は、

私の想像できる範囲ですら過酷なものだったから。

そして今の自分がしてやれることはないかを考えた時、

冷酷で現実的なもう一人の自分が自分を問い詰めた。

 

お前一体誰なんだよ?

 

ユニセフの職員か?

 

いつから慈善活動家になったんだよ?

 

チャーのような障害を抱える子供は世界には何万といるだろ。

そんな子に会うたびにお前は気持ちを重ねて、

自分の無力さに浸りながら世の中の不平等さを嘆いて、

微かな善意でお前の忘れたい過去でも精算しようとしてんじゃねぇよな?

人の運命に自分を重ねて悲劇のヒーローにでもなったつもりか?

お前は今まで散々好き勝手生きてきたじゃねぇか。

今やってる授業だって実はお前の為にやってんだろ?

今更善人ぶるのもいい加減にしろよ。

 

これが自分の二面性なのかはわからないが、

自問自答の中で現れた2人の自分に頭がおかしくなりそうだった。

 

その日は全く眠れず、孤児院の二階のベランダで朝を迎えた。

自分の中で何か答えが出た訳でもなく、

むしろそれまで続けていた子供達への授業にすら迷いが生まれ、

もう何がなんだかわからなかった。というのが本音だ。

朝食を一階のカフェバーで食べ、

子供達が学校から帰ってくるまでの間何をするか考えていた時、

ロビーのパソコンの前にはいつも通りチャーが座っていた。

チャーはいつも何かをパソコンで見ているが、

何をしているのかは謎だった。

コーヒーの入ったマグカップを片手にチャーの後ろに行ってみると、

チャーはパソコンでケンタッキーのホームページを見ていた。

 

なんでケンタッキーw?

 

少し微笑ましくてチャーの肩を叩き画面を指差し、

Deafである事を忘れて思わず聞いてしまった。

 

「ケンタッキー好きなの?」

 

当然返答が返ってくるわけもなかった。

チャーは私を見つめただ首を傾げた。

その様子を見ていた孤児院のオーナーが私に話しかけてきた。

 

「一度ね私がケンタッキーを皆に買ってきたことがあるんだ。大分前の話なんだけど。多分その時のことが忘れられないんだろう。それ以来チャーはよくケンタッキーのホームページを見ているんだwここの子供達にとっては滅多に食べられないものだからね。」

 

「そうなんですね。シェムリアップにケンタッキーがある事自体知りませんでした。」

 

「KIKIはここに来て以来全然観光してないいじゃないか?アンコールワットもまだ行ってないんじゃないのか?」

 

確かにカンボジアに来て以来、

すぐに授業を始めて孤児院の周辺以外出ておらず、

観光らしいことは一度もしていなかった。

元々アンコールワットに行くのが目的みたいな感じだったのだが。

 

「そうなんです。いつでも行けるからと思って、実はアンコールワットもまだ行っていないんですw」

 

「じゃあ今日行ってくるといい。ここからタクシーで20分ぐらいだから。」

 

「そうですね。行ってみようかな。やっぱりカンボジアの人は皆大体はアンコールワットに行った事あるんですかね?」

 

「いや、無いと思うよ。少なくともここの子供達は誰一人行ったことはないよ。入場料もあるし、そんなお金があるならこの国の人は食べ物を買うだろうからね。」

 

「じゃあチャーも一緒に連れて行っていいですか?」

 

その時反射的にでた言葉だった。

そしてそれは昨晩の冷酷なもう一人の自分を、

思いっきりぶん殴れた瞬間でもあった。

何かが吹っ切れた。そんな気分だった。

 

「いいけど、大丈夫か?でも本人は喜ぶと思うよ。チャーは滅多にこの敷地からは外に出ないから。」

 

私はチャーの肩を叩き、キーボードを叩きアンコールワットの画像を見せた。

チャーと自分と画面のアンコールワットを指差し、

とにかくジェスチャーで一緒に行こうと伝えようとした。

でもチャーには全く通じていなくて、

オーナーの方を向き首を傾げている。

オーナーはペンと紙を持ってきて、

カンボジア文字で私の意思を伝えてくれた。

するとチャーは急に笑顔になり、首を大きく縦に振った。

 

「じゃあ決まり。今から出発だ。」

 

オーナーは私に携帯電話を一台渡し、

何かあったら電話してくれと言って送り出してくれた。

数分もしないうちにタクシーが来て、

私とチャーのアンコールワットの旅は始まった。

 

偽善?同情?情け?カッコつけるな?

全部ファックだ。

ごちゃごちゃうるせーんだよ。

 

耳が聞こえない片目が盲目の彼に、

完全に盲目になる前に産まれた国の宝を見せてやりたい。

 

理由はそれだけで十分だ。

 

人生初のアンコールワット。

Deafの現地の少年と二人。

 

こんな思い出一生忘れるわけがない。

 

 

前編 -完-

 

 

 

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第十九話「Work with right people by RAEKWON」

23rd Sep 2020 by

 

 

 

ニュージャージー州、ホーボーケン。

マンハッタンから長いトンネルを抜けて州を跨げば目と鼻の先。

そこに彼のスタジオはあった。

 

 

Wu-Tang-Clanの”RAEKWON”。

 

ヒップホップに興味がある人間なら、

ほとんどの人が彼を知っているのではないだろうか。

90年代からイーストコーストのヒップホップシーンを引っ張ってきた、

伝説的なヒップホップグループ、

Wu-Tang-Clanの一員。

彼らの経歴などはググれば一発で出てくるので、

知らない人は是非調べて見てください。

4年前の冬、そんな彼のスタジオに急遽呼ばれ、

当時の同僚のテディーとスタジオに行った時の話を今回は書いてみます。

 

 

当時はまだPRIVILEGEがアメリカではオンラインのみでの展開で、

私とテディーはブルックリンのグリーンポイントにある事務所で仕事をしていた。

今となってはいい思い出だが、テディーとは何十回喧嘩したかわからない。

日本人の感覚でアメリカ人と一緒に仕事をするのは、

正直かなり難しいものだと学んだ期間でもあった。

何故なら互いにとっての”普通”という観念が全くの別物だったからだ。

例えを挙げるならば、まず”時間”に対しての価値観が全く違う。

私はこれを勝手ながらヒップホップタイムと呼んでいるのだが、

待ち合わせ時間にはまず来ない。

少なくとも2時間は多めに見積もった方がいい。

そして遅れてきたことに罪悪感はなくむしろ笑顔でやってくる。

仮にとんでもない遅刻をしても、

 

「ういーっす!おはよー!どんな感じー?」

 

ぐらいの感じだ。

日本人的な感覚からすれば、

 

は?なめてんの?

まず言うことあるだろ?

 

ってな具合だろう。

むしろクビと言われても仕方ない。

だが彼らにとっては大したことではないのだ。

むしろそれぐらいでなんでそんなに怒っているんだ?

 

まあ落ち着けよ。

 

ぐらいのテンションで言われるからさらに腹が立つ。

これは後で教えてもらったことだが、

ニューヨーカーの“今向かっている“は、来ないという意味らしい。

 

なんだよそれ。

 

だったら最初から行けないって言えよって思った。

もちろん今でもいろんな曲面で多々同じ様なことは思うが、

 

もう慣れた。とういか、正直諦めている。

 

そんなことに一々怒っていたら、こっちが疲れるだけだった。

一つの例として挙げたこの感覚の違いだけでも明白だが、

私はテディーと仕事をしたことで、

アメリカ人を少しだが理解できたと思う。

もちろん皆が皆という訳ではなく、傾向としてだけど。

同時に日本人は少し細かすぎるのかもと思う瞬間もあった。

これは人種が違うからこそ受け入れやすいのかもしれないが、

どちらが正しいとかではなく、

価値観の全く違う人間と働くことは、

自分次第では心の面積を広げるいい機会になるとも今は思う。

その土地どちにとっての”普通“があるので、

染まる必要はないけど、理解はするべきだと今は思えます。

 

あくまで今は。ですが。

 

一つ一つアメリカ人の感覚を理解しながら、

私はテディーと2人、ブルックリンの片隅で毎日喜怒哀楽を共にしていた。

いつも通り各自の仕事をしてしていたある日の夕方、

普段あまり鳴らないテディーの携帯が鳴った。

どうやら誰かからテキストが来たらしく、

テディーはじっと携帯を見つめていた。

そしてテディーは机に肘を置き、頭を抱えながら私にこう言った。

 

「KIKI、RAEKWONが俺たちをスタジオに呼んでいる…」

 

え?

急すぎて何を言っているのか理解できなかった。

 

「RAEKWONって、あのRAEKWON?Wu-Tangの?」

 

「そうだ…しかも今から来いって言っている…」

 

「マジで?!やべーじゃん!でも何で?!」

 

「Lafatyetteのとのコラボの案件について話したいらしい」

 

「コラボ!?マジかよ。早く行こーぜ!」

 

「ちょっと待ってくれ…心の準備が必要だ。」

 

テディーはその場で急に立ち上がり深呼吸を始め、

謎にピョンピョンとジャンプし始めて、

その流れで意味不明に腕立て伏せを始めた。

 

何やってんだ?こいつは。と思ったが、

 

よっぽど気が動転していたのだろう。

多分アメリカ人にとってのRAEKWONは、

日本人の私にとってのRAEKWONとは比にならなほどの大物だったのだ。

私からすればこの上ない興奮しかなく、

今すぐ出発したいという気持ちしかなかった。

緊張なんて通り越してアドレナリンが出まくっていた。

一方テディーは片手を腰に当て爪を噛みながら、

独り言をブツブツと言っていた。

 

「よし、KIKI出発だ。準備はいいか?」

 

「いやお前がなwいつでもいいよ。」

 

テディーのワーゲンのセダンに乗り込み、

私たちはRAEKWONのスタジオがあるホーボーケンへ向かった。

事務所のあるブルックリンのグリーンポイントから約1時間強。

帰宅ラッシュの中渋滞をかき分け、テディーは車をぶっ飛ばした。

車内でも落ち着いのないテディー。

信号待ち事に頭を抱え、緊張がひしひしと伝わってくる。

 

「テディー大丈夫だって。いつも通り話せばいいだけだろ。ヘネシーでも買っていくか?」

 

「そうしよう!手土産が必要だ。あぶねー。KIKIいいとこに気づいたな。」

 

「じゃあホーボーケンの適当なリカーショップでヘネシー買って行こうぜ。」

 

「そうだな。それと話し始めが重要だから、今から練習しておこう。」

 

「は?何の練習だよ?」

 

「KIKI、RAEKWONの役をやってくれないか?」

 

「はw?俺も会ったこと無いのに真似しろってことw?」

 

「そうだ。俺が話かけるから自分がRAEKWONだと思って返してくれ。」

 

「何だよそれwまあいいや、それでお前の緊張が解れるならやるよ。」

 

「どうもこんちわ。レイ。元気ですか…?いや、レイは砕けすぎか?こんにちわレイクウォンさん。いや、さんは変か。」

 

何言ってんだこいつわw

もう笑いが止まらなかった。

 

「もういいよw!練習なんてしなくて大丈夫だって。同じ人間だろw」

 

「お前は何でそんな余裕なんだ!?」

 

「全然余裕じゃねーよ!でも元々格が全く違うんだから今更かっこつけてもしかたがねーだろ!大物すぎて逆に緊張しねーよ。」

 

「そうだな。同じ目線で話す必要なんてないよな。大丈夫だ。大丈夫。大丈夫…」

 

こんなどうしようもないやりとりをしているうちに、

いつの間にかトンネルを抜けてホーボーケンに到着した。

ナビが示す目的地はもうすぐそこだった。

高架下の駐車スペースに車を停め、

近くのリカーショップでヘネシーを買った。

 

「よし、これで準備万端だな。テディー、RAEKWONに着いたって電話してよ」

 

「ちょっと待て、その前に腹ごしらえだ。ピザを食わせてくれ。」

 

何で今ピザ食うんだよ。

テディーはリカーショップの数件隣のピザ屋でスライスを買い、

緊張を共に流し込むかの様に一瞬でピザを食っていた。

 

「よし、KIKI行くか。準備はいいか?」

 

「だから、お前がなw」

 

指定された場所へたどり着くとそこは馬鹿でかい倉庫の様な場所だった。

本当にこんなところにスタジオがあるのだろうか。

人の気配もなく、殺風景な工場が密集した様な地域。

テディーは電話をし、着いたことを先方に伝えた。

それから数分後、サングラスをかけた2メートル近い黒人の大男が入り口から出てきた。

 

「テディーか?」

 

「はい、そうです。」

 

「入れ。」

 

ヤベェ。何だこのイカつい大男は。

まるでギャング映画のワンシーンかの様な緊迫感がそこにはあった。

そして入り口を抜けると外観からは見当もつかない光景が広がっていた。

スーパーハイテクの音楽スタジオがアリの巣の様に何個も枝分かれ、

何十名もの多ジャンルのアーティスト達がレコーディングをしている。

通り過ぎる壁にはゴールド、プラチナレコードの功績が飾られ、

今まで足を踏み入れたことのない世界があった。

 

一目瞭然の一流達が集う場所。

 

数々のレコーディングスタジオを抜けて、さらに地下へ下り、

突き当たりにある真っ赤なドアを大男が開けた。

これもまた見たことのない規模のレコーディング機材が導入されたスタジオ。

そこには役7名ほどの黒人達が立っていて、

中央の椅子には明らかなオーラを放つ男が座っていた。

 

RAKWONだ。

 

「お前がテディーか?」

 

「そうです、はじめまして。招待感謝します。」

 

テディーに続いてすかさず挨拶した。

 

「はじめして、KIKIです。」

 

「よく来たな。まあ座ってくれ。」

 

持ってきたヘネシーを渡し、RAEKWONは上機嫌だった。

葉巻をくわえて、早速ヘネシーを開けグラスに注ぐ。

もうカッコ良すぎて私は顔がにやけてしまった。

テディーは股間の前で右手の手首を左手で掴み、

まるでボスの話を聞く子分の様だった。

RAEKWONはコラボをする上での自分の条件をテディーに伝え始めた。

その内容は金額含め明確にはここでは書けないが壮大なものだった。

彼が放つ言葉には世界で脚光を浴びた、

スターにしか感じられない次元の話にも聞こえた。

 

その中に私の中で今でも忘れることのできない一文がある。

 

「俺はブランドの規模やネームバリューで仕事は決めない。もちろん金額でもだ。一緒にビジネスをする上で一番大切なのは”work with right people”(正しい人間と仕事をすること)だ。わかるか?お前らもこれから色んな人間とビジネスをする上でこれだけは覚えておけ。」

 

世界中で売れた彼は恐らく何度も騙され、裏切りもいくつも超えてきたのだろう。

次元の違う経験値から放たれる彼の言葉にはヘビー級の重みがあった。

それから彼は私とテディーをスタジオの隅から隅まで案内してくれ、

最後に3人で一緒にヘネシーを乾杯した。

 

私にとって一生忘れることのない盃の記憶だ。

 

後日、彼は私達のブルックリンの事務所にも足を運んでくれ、

再度企画の話を進めたが、

結果としては残念ながら色々あってこの企画は流れてしまった。

企画自体が流れてしまったことは残念なことだったが、

私個人としてはあの場所で聞けた彼の肉声の重みは今でも自分の中にある。

 

“work with right people“

 

この言葉を今でも新しいことを誰かと始める時にいつも思い出す。

本で読んだことやYouTubeで見たことはすぐ忘れけど、

自分の足で掴んだ経験は中々忘れないものです。

 

今ではSNSの普及で、

世界がより身近に感じる錯覚的な瞬間が多々ある。

会ったこともない知り合いがオンライン上にいたり、

その場所にいなくてもどんな場所なのか見ることも容易で、

その反面、生で触れ合うことの大切さや、

その場所にいないと感じられない事の重要性も薄くなってきている。

携帯一つあれば仕事になってしまう今の時代。

どんどん人間が機械になっていく気がする。

 

出発前の空港の匂いも、

機内の興奮と不安の重なりも、

触れて感じる人の体温も、

行って吸い込む土地の空気も、

異国で受け取る愛情も、

成長に欠かせない栄養素だ。

 

画面では見えないオーガニックなセンスは、

これからどれだけ文明が発展しても人間には必要な物だと思います。

今の効率的でバーチャルな世界でこそ、

便利さを捨ててリアリティーを自分の手で摘むべきだと思う。

 

そこにあなたの人間性が宿るはずだから。

 

SNSは暇つぶし。

インスタ映えとかファックでいいです。

 

経験こそ本当の財産。

加工なしのノンフィルターな経験は、

作り出されたエンターテイメントより、

よっぽど素敵だと私は思います。

 

若者は迷わず世界へ飛んでください。

感受性が豊かなうちに。

 

大丈夫。

 

絶対どうにかなるから。

 

You should trust yourself.

 

 

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第十八話「ベルリンの拾う神ダニエル」-特別編後編-

16th Sep 2020 by

 

 

ユースホステルに戻った私はパニックのど真ん中にいた。

心臓の鼓動は異常なスピードで脈を打ち、

足の力が全く入らない。

ある意味めちゃくちゃ軽い足を極度のパニック状態の中強引に前に進めた。

近づけば近づくほどに緊張がブチ切れそうで、

今すぐにでもその場からいなくなりたい。

そんな気持ちだった。

 

ただ散歩して帰ってきた観光客を装い、

何事もなくロビーを抜けようとした時、

さっきトイレの前で私に問い詰めてきた少女が私を指差した。

 

「あの人よ!あの人が犯人!長髪のアジア人だって言ってたもん!」

 

その場にいた警察官も担任らしき男女も一斉に私の方を見ていた。

あの時の視線は絶対に忘れない。

何十ものカラフルな瞳が同時に弾かれた矢のように、

私の2つの黒い瞳を刺した。

すぐさまゴツい体格の警察官2人が、

私のところに歩み寄り英語で話しかけてきた。

 

「あの少女が言っていることは本当ですか?」

 

確証がないからなのか、意外と丁寧に話しかけてきた。

ただそんな事はどうでもいい。

とにかくあの場にいたダニエル、オリバー、自分を含め、

誰一人こんなことに巻き込むわけにはいかなかった。

完全にシラを切る方向で腹を括った。

 

「いや何を言っているのか意味がわかりません。今散歩から戻ってきたので。何かあったんですか?」

 

数秒何も言わずじっと私の目を見る警察官。

 

「そうですか。今ちょっとこのユースホステルである事件がありまして、その犯人があなただという意見があるんです。」

 

「いやだから何の事件ですか?全く意味がわかりません。あの少女が勝手に言ってるだけですよ。それとも人種差別ですか?何か私が犯人だという証拠があって言っているんですか?」

 

また黙ってじっと私を見つめる警察官。

私と警官が話すのを野次馬も担任達もずーっと見ていた。

警察官は何も言わずパトカーに戻り他の警察官達と何やら話だした。

その間にもクラスメイト達からは野次が飛んできた。

 

「おまえだろ!嘘つくな!」

 

「絶対あの中国人よ!」

 

中学生。

これくらいの奴らが一番厄介だ。

変に色んな知識もあって、

社会的には子供として扱われる為守られている。

その立場を本人達も自覚があり、

やたらと馬鹿にしてきたり、

茶化すされることは今まで色んな国で幾度もあった。

数分何かを話して警官がゆっくりと私の元へ戻ってきた。

警官は片手に紙コップを持っていた。

 

「何の事件かは今の段階では言えないのだが、尿検査に協力してもらえないかな?これで陰性だったらあなたは犯人ではなくなるから。何よりそれが証拠になるはずだから。」

 

かなりマズイ状況だった。

仮に陽性反応が出たら一気に状況が悪くなる。

いやむしろ検査したらほぼ陽性確定だ。

向こうから歩み寄ってきたとか、

その場には何人もいたとか関係なく、

事実はついさっきの話なのだから。

思い切って断ることにした。

 

「いやです。断ります。何で尿検査なんて俺がやらなきゃいけないんだ。強制事項ですか?任意でしょ?日本大使館に言いますよ。」

 

今考えれば意味がわからないが、

とりあえず自分の後ろ盾は日本大使館しか出てこずとっさに出てきた言葉だった。

 

「もちろん任意です。ただ少女達からの証言とあなたの人相がかなり近いので、もし今断るのであれば警察署まできてもらって、裁判所から尿検査の許可をとります。それからでもいいですよ。」

 

だろうな。

そんな簡単に、はいそうですか。

任意なんで諦めます。とはならない。

薄々はわかっていたものの、もう策もない。

何かのミスで陰性。

この奇跡にかけるしかなかった。

 

「わかったわかった。出すよ。でもこれで陰性だったらもう俺に構うなよ。」

 

この時にはもう諦めが入っていた。

仕方がなく紙コップを受け取り、

そのままトイレに向かった。

今日の昼までネオナチとの喧嘩で4日間留置されていた私にとって最悪の状況。

何でこんなにバッドが続くんだ。

マジでベルリンが嫌いになりそうだ。

これで陽性だったら次はもうジェールか。

何年とかはいんのかな?

そもそも何て罪なんだ。

この国では貧乏くじばっかりだ。

諦めた気持ちでトイレのドアを開け、

ズボンを下ろし尿を出した。

その時モップを持ったダニエルがトイレに入ってきた。

今振り返れば警察も杜撰なのだが、トイレまではついてこなかったのだ。

 

「KIKIコップの半分に水入れろ。」

ダニエルは清掃しに来た従業員を装い私に助言しに来たのだ。

 

その手があった。

 

完全に諦めモードだった私にとって神の一言かの様に思えた。

私はダニエルに言われるがままに、紙コップに水を入れ自分の尿と混ぜた。

 

「これで陽性でもお前とオリバーのことは絶対に言わないから安心してくれ。」

 

「大丈夫だ。また捕まっても俺がなんとかしてやるから。」

 

ダニエルは本当にいい奴だ。

高々知り合ってまだ1ヶ月ぐらいの私を親友かの様に扱ってくれ、

本当に辛い時に救いの手を差し伸べてくれる。

共にした時間の長さなんて関係ない。

 

本当の友達っていうのはこういう奴の事だとこの時私は実感した。

 

尿と水を混ぜた紙コップを片手に警察官の元へ戻りそれを渡した。

警察官は紙コップにスポイトを突っ込み適量を採取し、

謎のリトマス紙の様な紙に数滴たらし、

もう一人の警官は別の検査キットの様なものに数滴たらした。

 

「結果はすぐに出るので少し待っていてください。」

 

この状況で出来ることは全てやった。

あとは検査結果を待つだけ。

人事を尽くし天命を待つ。

言葉の意味と状況はおかしな感じだったけど、

まさにそんな気持ちだった。

数分もしないうちに警察官が近づいてきた。

ドキドキが止まらない。

 

「結果から言うと陰性反応です。すみませんご協力ありがとうございました。もう部屋に戻ってもらって構いません。」

 

心の中で深いため息が漏れた。

全てダニエルのおかげだ。

私は平然を装いさっさと部屋へと戻った。

部屋に戻るとすぐにノックの音がした。

ドアを開けると笑いながらダニエルが立っていた。

 

「な?大丈夫だったろw?」

 

思わずダニエルにハグしてしまった。

 

「お前は神だ。マジで俺の救世主だよ。もう終わったと思っていたから。」

 

「さっきフロントで調べたらあの修学旅行生達、明日帰るみたいだから今日は俺の家泊まれよ。また会うの気まずいだろw?」

 

「間違いないよw一生顔も見たくないwつーかあいつら老けすぎだろw」

 

そしてユースホステルの裏口から外に抜けダニエルと落ち合い、

その日はダニエルの家に泊まることにした。

ダニエルの家に向かう間、

いつものくだらない会話がいつもの何倍も笑えた。

 

友達とか仲間とかありふれた言葉で、

歳を重ねるほどそんな言葉自体も小っ恥ずかしくなったり。

結婚をして、子供が生まれたら尚のことかもしれません。

友達と過ごす時間が極端に減ると思います。

そしてそれはものすごく自然なことだとも思います。

だから今の若い子には大人になる前に少し考えてみて欲しいんです。

 

毎晩一緒に酒を飲むのが友達なのか。

 

夜遅くまで一緒に連むのが仲間なのか。

 

私は違うと思います。

本当の友達や仲間は、

あなたを本気で応援してくれて、

あなたを本気で叱ってくれて、

あなたがどれだけ狂ったとしても側にいてくれて、

あなたが本当に辛い時に手を差し伸べてくれる人のことを言うと思います。

だから友達100人なんてできないんです。

そんな人間が周りに1人でもいるのなら物凄い幸せなことだと思います。

薄っぺらな100人の知り合いより、

1人の本当の友達を見つけるべきだと私は思います。

自分の家族、会社、部下、何でも。

責任を背負った時きっと少しこの意味がわかってもらえると思っています。

大人になってそこに気づいた時には、そんな人を見つけるのはとても難しいから。

 

クソ寒いベルリンの雪が散らつく夜道、

私は本当の友達の意味をダニエルに教えてもらいました。

 

 

後編 完

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第十七話「ベルリンの拾う神ダニエル」-特別編前編-

9th Sep 2020 by

 

 

こいつは神なのか。

 

拾う神に私はベルリンで出会った。

 

 

 

後編 -完-

 

 

 

「ダニエルマジありがとう。俺明日から働くからちょっと待ってて。」

 

「金はいつでもいいよ。お前が返せる時でいい。でももしまた捕まっても俺に連絡しろよ。」

 

チルしながら3人で会話をしていると背の高い白人男2人が近づいてきた。

 

「いい匂いするじゃん。ちょっと俺らにも吸わせてよ。」

 

 

このなんでもない会話が最悪の事件に発展する。

ベルリンの本当の悪夢はまだ始まったばかりだった。

釈放当日に私はまたどん底に突き落とされる。

 

 

この続きは17話あたりで書きます。

 

 

 

 

 

※今回は7、8話「ベルリンの拾う神ダニエル」の続きです。

 

 

高身長、割と体格の良い白人男2人組。

一言目から明らかなイギリス訛りの英語が耳に付いた。

話を聞けばこの同じユースホステルに滞在しているらしく、

私を含めダニエルもオリバーもほとんど酩酊状態だった為か、

何を疑うわけでもなく突如現れた2人組の白人を迎え入れた。

 

輪を左回りでダニエルが量産する極太のJが次から次へと回る。

 

私は朦朧とする意識の中どうでもいい会話を続けた。

 

 

「君たちどこから来たの?」

 

「俺たちはロンドンから一昨日きたんだ。明日帰るけどね。君は?日本人でしょ?今日から?」

 

「そう日本人。実は俺はもうこのユースホステルには大分長いこと滞在している。色々あって今日もどってきたんだけど。。」

 

「そうなんだ。一回も見たことがないから今日来たのかと思った。」

 

「まあ色々あって。。ははは。。。」

 

 

当たり障りのない社交辞令のようなどうでもいい会話が数分続き、

やがて急に現れた2人組の白人は颯爽と部屋に戻っていった。

 

私とダニエル、そしてオリバーも、もう意識の限界ギリギリだった。

楽しい夜が終わって欲しくなくてフラフラで続けるビリヤード。

最後に3人で腕をクロスさせ、限界を超えた肝臓にイエガーを流し込んだ。

ダニエルは散々散らかったバーのグラスを洗い、

オリバーはもうすでにラウンジで寝ていた。

私はダニエルに挨拶をして、

今にもぶっ倒れそうな身体を引きずるように自分の部屋まで戻った。

このユースホステルにはエレベーターは無く、

HPほぼ0の私にとっては登る階段一段一が重く、とてつもなく長く感じた。

 

3階の角にある自分の部屋まで。

 

もう少し。

 

あと少し。

 

2階まで階段をようやく登りきった時、

そこには妙な空気感が漂っていた。

目線の先に結構な数の少年少女がトイレの前で何か物議を醸し出している。

 

なんかあったのか?

 

高校生?いや中学生くらいだろうか。

見るからにかなり幼い子もいれば、身体はもう大人。

だけどどこか垢抜けない青春ど真ん中の少年少女達が目に映った。

意識が朦朧とする中そんな様子を黙って階段から見ていると、

群衆の中にいた一人の少女が私に歩み寄って来た。

 

 

「あなたが犯人でしょ?!」

 

は?意味不明だった。

 

「は?何の?何言ってんだ?」

 

「こっち来て見なさいよ!」

 

 

少女に強引に手をひかれトイレの前まで連れて行かれた。

そこには昭和のコントみたいな光景があった。

さっきの二人組の白人が便器に向かって嘔吐している。

隣同士の便所の扉は全開で、

見えるのは便器に向かう二人のケツだけが同じ角度で並んでいる様。

 

「あの子達に変なものやらせたでしょ?!ロングヘアーのアジア人にやらされたって言ってたわよ!あなた以外アジア人いないじゃない。違うの?」

 

メガネをかけたポニーテールの少女が腰に手を当ていきり立っていた。

あいつらは確実にさっきの二人組だが、

まず状況が理解できなかった。

この少女らとあいつらは知り合いなのか?

とりあえずシラを切ることにした。

 

「知らねーよ。誰だこいつら。意味わかんねーこと言ってんじゃねーよ。」

 

「本当に?あの子達がそう言ってたわよ。私のクラスメイトなの。先生が戻ってきたらこのこと報告するから。」

 

「は?クラスメイト?先生?つーかお前らいくつだよ?」

 

「15歳。修学旅行でロンドンから来ているの。今先生達外出しているけどもう少しで帰ってくるから報告するから!」

 

15歳?中学生?

 

あいつらが?老けすぎだろ。

 

だけどこれは結構ヤバイことになるかも…

その瞬間一気に込み上げてきたマジでヤバイ感。

さっきまでの目蓋を閉じていた心地よい離脱感の前でクラップ音が鳴る。

そして脱皮したシラフは慌てて皮を脱ぎ捨て現実の前で正座した。

 

嘘みたいに軽くなった身体で一階のバーに戻り、

ダニエルの元へ向かった。

 

「ダニエル、マジヤバイかも。さっき途中で話しかけてきた奴ら中学生だった。しかも今あいつら2階のトイレでゲボ吐いてて、クラスメイト集合しちゃってる。担任が戻ってきたら面倒なことになるかも。あいつらロングヘアーのアジア人が犯人だみたいなこと言ってるらしいし。」

 

「マジかよ。とりあえずお前一回酔覚ましがてら1−2時間散歩してこい。どうなるか様子見たほうがいいだろ。」

 

すぐにユースホステルを出て、

近くの住宅地を彷徨う様にグルグルと周った。

たまに深呼吸をしてみたり、急にベンチに座ってみたり、

それでも心臓の鼓動はどんどん早くなっていった。

極寒のベルリンの夜になぜかデリでキンキンの水を買い、

ブルブル震えながら公園のベンチに座った。

 

なんで嫌なことだけはこうもうまく続くのか。

ついさっき留置所から釈放されたばかりなのに。

もうこれは呪われてるレベルだ。

一体何を学ばせたいのか。

 

追い詰められる時はいつも気持ちが拡大的になり、

振り返れば大袈裟に見えることでも、

その瞬間はむしろもっと大きく見えるものだった。

そしていつも最終的に開き直る。

ここにどれだけ居ても結果は変わるものじゃない。

 

腹を括りユースホステルに戻ることにした。

アーチのかかったレンガ造りの入口の石畳の地面に、

街灯がスポットライトの様にやかましく当たる。

その先を右に曲がればユースホステルだ。

 

懸命に恐怖心を抑えて右へ曲がった。

 

 

 

まわる赤灯が私の顔を舐めるように照らす。

 

 

パトカー3台、警官6人。野次馬30人くらい。

 

 

ユースホステルの前は大事件になっていた。

 

 

The End.

 

Back to prisonだ。

 

 

 

-前編- 完

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第十六話「スイスの商人マシュー」-後編-

2nd Sep 2020 by

 

 

 

ニューヨークに住んでいた頃から

暗室で少しづつ現像してきたフィルム写真達に初めて値段をつけた。

 

一枚10ユーロ。

 

当時の日本円にすると約1300円。

それが安いのか高いのかはわからないが、

自分の写真に値段をつけるのは何か違和感があった。

商売で言えば原価があり、

原価3割以下に抑えるというのは基本だと聞いたこともあった。

ただ私の写真には原価がない。

厳密に言えば、使用した機材や暗室での材料や紙代などはあるにしても、

価格への納得感は買手の価値観が決めるもので、

世の中には一枚数百万円、数千万円で売られる写真もあれば、

1円の価値もつかないものもある。

たかが写真に数百万?馬鹿じゃねーの。

という人もいるだろう。

逆にこの写真に対して1万円?

アーティストを馬鹿にしてんのか?

という人もいると思う。

そこに均一の価値観は存在せず、

買い手の価値観のみが購入につながる。

それ故に私は最初、値段を相手に付けてもらおうと思った。

だがマシューは試しに10ユーロで売ってみろと言う。

写真どころか何も売ったことのなかった私は、

この時初めて”物を売る”というトリックを目の当たりにすることになる。

 

マシューは自分の絵を置いていたブースの半分を使い、

私の写真ファイルから数枚ピックアップして、机の上に並べた。

そこには価格の書かれたものは何もない。

手刷りの白黒写真数枚が机の上に置かれただけ。

 

え?昨日まで自分がやってきたことと何も変わらないじゃん。

これが私の率直な気持ちだった。

 

「マシュー、これでホントに売れんの?同じようなこと昨日までやってたんだけど、全く売れなかったし、誰一人足も止めなかったけど。。」

 

「まあ焦るな。見ててみろ。とりあえず次来た客に俺がお前の写真を売ってやる。」

 

「ちなみにマシューは一日何枚自分の絵何枚売れるの?」

 

「大体10枚から多い日で20枚だな。」

 

「マジ?結構売れるもんなんだね。どんな人が買うの?」

 

「それはいろいろだな。言い換えればどんなやつかはあまり関係無い。いいか?さっきも言ったがここは路上だ。ギャラリーじゃないんだ。それがどういうことかわかるか?」

 

「んーー、正直わかんない。俺は物を売ったことがないんだ。」

 

「じゃあ俺が教えてやる。ギャラリーに来る奴ってどんな奴だ?きっと最初からアートに興味があったり、アートが好きな奴が来るところだろ?それはグロッサリーストアに牛乳を買いに行くのと同じだ。元々それが欲しいやつにそれを売るっていうのはそんなに難しいことじゃない。でもここでアートを買っていくやつはどうだ?たまたまここを歩いてた。って奴がほとんどだ。そんな奴らに売るってなると話は別だ。それが必要だと思ってなかったやつに、それを売るんだからな。じゃあどうしたらそんな奴らに売れると思う?」

 

マシューは最終的な答えを必ず私に言わせる癖があった。

まるで学校の先生のように。

 

「んーー、難しいな。。全然わからないwなんだろ?ここ数日、同じように机に写真を並べて客を待ってみたけど、誰一人にも見てももらえなかった。だから…まず見てもらって色々写真の背景を説明するとか?それでディスカウントにはなるべく応じる、みたいな?」

 

「それじゃ売れないなwそれもギャラリー方式と同じだ。撮影の背景の話をされても聞き入ってくれる人なんて路上では一握りだ。そんなこと興味ないからな。ここでアートを売るには、相手に偶然の必然性を感じさせることが重要なんだ。意味わかるか?」

 

「いや、全くわからないw」

 

「まずお前の言う、見てもらわないといけないって言うのは正解だ。話が始まらないからな。だからまず話しかけることが重要だ。ボードや看板を使うより何倍も効果がある。相手は人だからな。それから作品を見せるだろ?ここからが重要だ。たまたまここを歩いていて、たまたま話しかけてきたじーさん、そしてたまたま出会ったそこそこ気に入った作品に出会った。このストーリーになったらこっちのもんだ。どんな気持ちで撮ったとかっていうのはお前の気持ちであって、相手の気持ちじゃない。路上では相手の気持ちの方が”売る”ということに関しては重要なんだ。人っていうのは面白いもので、普段は目に止めないものでも、たまたま、つまり”偶然”が重なると必然を感じてそれが欲しくて仕方がなくなるものなんだ。それが路上の一番の強みだ。意味わかるか?」

 

「うん、何となくわかる気がする。でもそんなうまくいくのw?」

 

「まあ見ていろ。次来た客で試してやるから。」

 

それから数分もしないうちに30代ぐらいの女性二人組が公園に向かってきた。

もちろん彼女達の目的は公園にいくことで、マシューの店に来たわけではない。

マシューは遠くからフランス語で陽気に話かける。

何を言っていたのかはわからないが、

彼女達はケラケラ笑いながら足を止め、

ゆっくりこっちに向かってきた。

もうすでにこれだけでも関心してしまった。

 

それからマシューは私の写真を手に取り、

私を指差して何かベラベラとずっと話している。

初めはケラケラ笑っていた彼女達が私の写真を手に取り頷き始めた。

一体マシューは何て説明しているんだ。

気になって仕方がなかったが、

とりあえずそこでは何も言わず、

この場はマシューの手腕を拝見することにした。

彼女達が何枚か写真を見た後、

マシューは他の写真も入ったファイルも彼女達に渡した。

彼女達は2人で何か話しながら、じっくり私の写真を見続けた。

自分の為というか自分の撮りたいようにただ撮ってきた写真を、

こんなにマジマジと見られるは初めてで、

まるで自分の心の中を目の前で見られているようで、

何かすごく緊張したのを覚えている。

彼女達はそれからファイル全ての写真を見た後、

数枚の写真に指を刺し、マシューに金を払い、私に握手を求めてきた。

 

マジ?

やべえ。本当に売れた。

でも何でだ。

 

マシューはもらった金を私に全て渡して、こう言った。

 

「言っただろw。ほら7枚分の70ユーロだ。」

 

「いやマジですごいよ。なんて説明したの?」

 

「さっき言った偶然の連続を作っただけだ。たまたま歩いていて、たまたま声をかけられた露店で、たまたま旅の途中の日本人写真家の手刷りの写真に出会った。この目の前で起きているストーリーを私は彼女達に言葉で気がつかせただけだ。何も嘘はついていないし、無理やり勧めたわけじゃない。彼女達の意思で買っていったんだ。それにしてもお前の写真は売りやすいよ。旅の写真、しかもニューヨークのものが多い。人は偶然出会った憧れには弱いものだ。あと俺はじーさんだ。相手の警戒心はお前ら若い奴より始まりから薄いんだよ。」

 

「いやマシュー、あんたマジですごいよ。俺はマシューに売るのを託したい。売り上げの半分マシューにあげるから売ってくれないか?俺はその間に暗室を探して写真をするから。どうだろ?」

 

「もちろんいいぞ!さっきも言ったが、お前の写真は俺なら簡単に売れるからな。報酬は最後にまとめてくれ。」

 

その日結局マシューは同じような方法で計60枚近くの写真を売った。

約600ユーロ。日本円で約7万円弱。

本当にすごい商人だと思った。

初めて自分の写真ついた価格。

嬉しさが第一に来て、

その後何とも言えない喪失感みたいなものがあったのも確かだった。

初めての感覚に色々な気持ちと感情が交差していた。

 

翌日、また同じ場所でマシューと早朝に待ち合わせた。

マシューに写真のファイルを預けて、

私は写真屋を渡り歩き暗室を貸してくれる場所を探した。

約今から8年前くらいのその頃でも、

引き伸ばしきや暗室を所有している場所は少なく、

探すのに多少苦労したが、結局何軒目かで尋ねた写真屋の亭主の紹介で、

暗室を所有している人を紹介してもらうことができた。

それから私は売れた写真を補充する為に、

一日中暗室にこもり写真を刷り続けた。

日が暮れるまでひたすらに刷り続けて、

マシューのところに戻ると、マシューはニヤニヤ私を見続けた。

 

「何だよw昨日売れた分刷れるだけ刷ってきたから補充するね。それで今日は何枚売れた?」

 

マシューは私に800ユーロ渡してきた。

こいつ半端じゃねぇ。

 

「今日はすごいぞ。80枚だ。1人の奴が30枚近く買っていったんだ。やっぱ手刷りも売れる効果の一つだな。この調子でガンガン売るぞ!俺の絵売ってるよりよっぽど儲かるぞw」

 

「あんた天才だよ。同じもの売ってるのに俺なんて一枚も売れなかった。マジですごいよ。マシューありがとう。」

 

「おいおいまだまだ売れるぞ。明日からもガンガン売るぞ。」

 

たった2日で、1400ユーロ(約16万円)。

この勢いで行けば、月間で20000ユーロ(約260万円)は堅い。

信じられなかった。

自分の写真がうまく行けば月間260万円稼げるのか。

嘘みたいな現実に嬉しさが止まらず、

その晩マシューを飲みに誘った。

マシューの案内でロザン市内のバーに一緒に行き、祝杯をあげた。

 

「マシューは本当にすごい商人だよ。それしか言えないけど、本当あんたはすごい。」

 

「まあ初めだからきっとこんなもんだ。この辺りで手刷りの写真を売る写真家はいないからな。物珍しさもあるし、日本人の旅人で、ニューヨークの写真ってのがいいな。KIKI。これは商売全てに言えることだけど、紐解けば物が売れる理由は絶対にあるんだよ。売る場所、売る物、売る相手。全て把握した上で売り方を見つければ売ることは俺にとっては難しくない。物が売れない奴っていうのは、単純に売れる理由がないんだよ。言い換えれば売れない理由があるんだよ。理由よりも自分の頭で考えた作戦に賭けてみる。みたいなやつばっかりだろ。お前もそうだったようにw 」

 

「間違いないよ。マシューは何年くらい路上で物売りをやってるの?」

 

「もう20年くらいだな。その前はタクシドライバーをやっていたんだ。もちろん絵を描きながらな。ドライバーをやっているといろんな客とたくさん話をするだろ?その時に相手を見るってことを覚えたんだ。俺が今までやってきたのはあくまで個人とのディールだ。今ではインターネットとかの方が主流だろ?だからその方法は俺にはわからないが、そこにも”売れる理由”が絶対あるはずだ。それはどの時代も変わらないことだよ。」

 

「マシューの話は本当勉強になるよ。今までこんなこと教えてくれた人はいないよ。」

 

「KIKIはこの生活で食っていけるなら、これを続けたいと思うか?」

 

「正直こんなに稼げると思っていなかったから、驚いてるし、やっていけるんじゃないかって思っちゃってるのも正直なところだよ。でもやり続けたいかって聞かれたら、答えはノーかな。俺は世界中のギャラリーで個展を開いて、そこで売りたい。今は無理かもだけど。」

 

「そうか!やっぱお前いいな。俺は好きだぞ。じゃあ俺とお前で今のスタイルで売るのは1週間でやめだ。ある程度金が貯まったら次の国に行くなり、次のステップに行かなきゃダメだな。」

 

「え??何で!?」

 

「多分このまま俺とお前で売り続けたらある程度の期間は金は稼げるが、きっとお前は今お前が言っていた、自分がいきたい道には行かなくなるからな。お前さっき今は無理だって言ってたな?確かに今は無理かもしれないけど、今をそこに向かう途中にすることはできるだろ。今まで俺を含めて何人ものアーティストが途中で道を曲がったのを見てきたんだ。それがなぜか今はわかる。ゴールが明確じゃなかったからなんだ。それは進んでいるんじゃなくて彷徨っているだけなんだよ。続けてたらいい話とかは何度かくるもんだ。そして適当な理由を並べて皆そっちに曲がっていくんだよ。でもお前は今はっきり自分の行きたい場所を躊躇せず言っただろ?明確なゴールがあるなら何年かかっても進むべきだ。だからここにいるべきじゃない。今やってるのはアートじゃなくて、商いなんだよ。残念だが今お前の写真が今売れてるのはお前の写真に価値がついてるんじゃない。商いの法則によって売れてるだけ。この生活続けてたらその内お前のゴールが見えなくなっちゃうぞ。」

 

マシューの言葉の意味が理解出来た気がした。

そしてマシューはポケットから10ユーロ札を出し、

マジックで何かを書きそれをタバコの箱に入れて私に渡した。

 

「これでお前がこの街を出る時に、飯でも食え。それまで開けるなよ!」

 

それから5日間、マシューと私は同じ場所同じ方法で写真を売り続けた。

結果は1週間で約320枚売れて、

総売り上げは3200ユーロ(約41万円)。

今までじゃ考えられなかった数字だった。

そして約束の最終日の夜、

マシューに半額の1600ユーロを渡した。

 

「マシューありがとう。この金で明日ミラノに向かうことにした。そこからどこに行くかはまだ決めてないけど。」

 

「じゃあこの金でお前の写真160枚売ってくれ。いいか?」

 

「いいけど…マシューはそれでいいの?」

 

「俺はお前のファンだからな。いつかお前が有名になったら全部売るけどなw 絶対ロザンでも個展やってくれよ。適当なとこで曲がるなよ。」

 

私はマシューとそこで別れ、翌日の朝ミラノに向かった。

空港まで向かう特急電車の車内。

約1ヶ月半住んだロザンの街並みに少し寂しさが湧いてきた。

この街に来た時に持っていた写真の束は今ユーロの束に代わった。

マシューが教えてくれた、

好きなことで金を稼ぎ生活してくことと、

好きなことで行きたい場所まで行くことの違い。

 

それは明確なゴールがあることだ。

 

昨日も今日も明日もまだ途中。

今でもバーでのマシューとの会話は鮮明に覚えている。

 

空港に着きバーの最後にマシューからもらったタバコの箱を開けた。

そこには10ユーロ札に殴り書きの英語でこう書いてあった。

 

If people don’t laugh at your dream,

You are not dreaming big enough

 

人々があなたの夢を笑わないのなら、

あなたはまだまだ大きな夢を描けてはいない。

 

 

死ぬまでに絶対にマシューの街で個展をやる。

 

世界中のギャラリーで個展をやる。

 

それまで生きていてくれ。

 

 

後編 -完-

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