第二十四話「24K GOLD」-前偏-

28th Oct 2020 by

 

 

第二十四回。

今回は最終回前編。

半年間毎週水曜日投稿を公言してついに後2回。

次回でこのブログも一旦区切りをつけようと思います。

 

実は最終回の主人公はブログを書き始めた一回目から決まっていました。

後出しでは無くこのブログをここで書く意味として。

 

最後は私の人生を一番大きく変えてくれた人の話を書きます。

彼がいなかったら間違いなく今の自分はいない。

 

 

 

 

2011年3月8日。

 

4年間のニューヨーク学生生活から、

ヨーロッパ大陸、北アフリカからの旅を終えて帰国したのがこの日だった。

帰国してからのプランは一つも無くて、

ただ母国に帰ってきた実感に幸福感で一杯だった。

 

これから先のことは、まぁどうにかなるでしょ。

 

旅の感覚がまだ抜けないある意味フレッシュな時期。

そんな楽観的な気持ちを持って成田から実家のある仙台に帰った。

誰もいない数年前まで家族で住んでいた実家。

私が日本を離れて以来両親も兄も東京で生活していた為、

玄関を開けると何年も放置された生活感の無い埃の匂いがした。

とりあえず何日かゆっくりしよう。

そう思い、それから2、3日はとにかくダラダラと過ごした。

携帯電話も無く、

友達にも連絡ができなかったという理由もあったが、

旅でずっと一人だったせいか、

何となく誰かと会うという気持ちにもなっていなかったのが本音だった。

 

そして帰国してから4日目の3月11日。

ニューヨークでお世話になった人達に仙台名物の牛タンを送る為、

市内の繁華街までバスで向かった。

市バスの雰囲気にも懐かしさが込み上げて、

ただ窓の外を見ているだけでも安心感に包まれていく。

経った5年でも随分と変わった街並みは、

止まらない時間を象徴しているようだ。

そんなノスタルジックな感覚に浸っている間に、

バスは終点の仙台駅に到着した。

 

そしてこの数十分後に笑えない漫画みたいなことが起こる。

 

東日本大震災。

今世紀最大1000年に一度の震災だ。

 

仙台の一番町。

利久という仙台では有名な牛タン屋に向かっている最中、

偶然にも道端で旧友に出会い立ち話をしていた時だった。

 

「久々じゃん!アメリカ行ってたんでしょ?帰ってきたの?!」

 

「そうそう、数日前に帰ってきたばっかりでさ。今日はお世話になった人に牛タン送ろうと思って街に出てきたんだ。この辺はあんまり変わってないね。」

 

「何も変わってないよー、俺は子供が生まれたけどねw」

 

「マジで?!おめでとう!何だよめちゃくちゃ状況変わっでんじゃんw男?女?」

 

「男の子。めちゃくちゃ可愛いよ。まだ小さいから……..

 

あれ?….

 

なんか揺れてない?….

 

地震じゃない?」

 

 

この後の事は実際断片的にしか覚えていない。

旧友が”地震”という言葉を口にしてから間もなく、

今まで感じたことのないレベルで地面が揺れた。

ビルから慌てて降りてくる大勢の人間達に、

至るところから聞こえてくる窓ガラスが割れる音。

バネ付きの人形のように揺れまくる信号機が

5分以上エンドレスでバインバイン揺れている。

鳴り止まない恐怖に怯える人間の悲鳴と、

我慢が爆発して激怒した地球の地響きが、

一瞬で仙台の街を真っ暗にした。

地震の直後に降った大雪の吹雪が、

人々に追い討ちをかけるようにパニックを煽った記憶がある。

5年ぶりに帰国して、4日目で普通こんな事起きるか。

これから日本でどう活動していくか考える暇もなく、

私のこの先もこの震災と共に真っ暗になった気がした。

 

震災についてはここではこれ以上多くは書かないが、

日本中が揺れたこの未曾有の災害で、

私は本当の意味で0スタートを余儀なくされた。

 

持っていたのは微々たる金と撮り貯めた写真のネガだけ。

 

マジでこれからどうするか。

 

でも自分には語学と写真しかない。

 

だけどこんな状況でどう動けばいいのか。

 

その時二十代半ばだった私は、

そんな盲目的な状況の中足踏みすることしかできず、

二次災害であった放射能にビビりながら街を毎日歩くだけの日々が続いた。

そして震災から数ヶ月が経った頃、

津波で多大なる被害があった沿岸部は未だ復旧していなかったものの、

市内の繁華街は徐々に活気を取り戻しつつあった。

私は持っていたネガを現像しノートに一枚ずつ貼り、

自分のポートフォリオを作った。

それを十代の時からお世話になっていたDさんのところに持っていくことにした。

Dさんは仙台で何店舗かアパレルのお店を経営していた。

 

「おーーーー、久しぶりじゃん。帰ってきたか。」

 

「ご無沙汰しています。今自分写真撮っていて良かったら見てもらえませんか?」

 

Dさんはノートに貼り付けた私の写真を見てこう言った。

 

「ノートに写真貼ってポートフォリオだって持ってきた奴はお前が初めてだわ。もっとやり方あるだろwまあいいやwどうなるかわかんないけど、お前の写真に合いそうな人紹介するから仕事につながるといいな。」

 

この紹介が私の人生にとってのターニングポイントになった。

今思えばDさんがきっかけを作ってくれた人であった。

この場を借りてDさんにも感謝したい。

 

ポートフォリオをDさんに預けて数週間後、

ノートに貼っていた一枚の写真が紹介先でフォトティーに抜擢され、

そのフォトティーは全国で発売された。

そして発売後から撮影のオファーが絶え間なく来るようになった。

今まで目にも留められなかった写真家としての自分が、

一枚のフォトティーをきっかけに確実に流れが変わった瞬間だった。

 

世の中何が起きるかわからない。

 

今ではこの言葉を声を大にして伝えたい。

宝くじが買わないと当たらないように、

夢とか目標も進めないと叶わない。

寝て見る夢は想像だけど進んで掴む夢は執筆に近い。

章が変わったタイミング。

段落が変わった瞬間だった。

 

全てはこの一枚のフォトティーからが始まりだった。

 

そしてそのきっかけをくれたのがLafayette CEO金子淳二郎。

 

彼こそ私の人生を変えてくれた人であり最終回の主人公。

 

最後は私が隣で見てきた彼のアメリカで勝負する姿の一部始終を書きたいと思います。

 

最終回、是非読んでください。

 

彼ハンパないですよ。

 

きっとLafayetteというブランドを見る目が変わるはずです。

 

 

 

前編 

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