第二話「エジプトの大嘘つき、ハッサン」ー後編ー
27th May 2020 by KIKI
二番目のノックには明らかに緊迫感が混ざっていた。
無灯で白のセダンが近づいてくる。
無音に砂利を蹴るようなタイヤの音が際立って聞こえた。
細身でデニム姿に首元のよれた黄色いTシャツ。
車から降りてきた男は勢いよく窓をノックし、話かけてきた。
コンコン。
ゴン、ゴンゴンゴン。
「アリの友達か?」
は?アリ?
誰?
.
.
.
ハッサンが出発してから3時間ぐらい経った頃。
もう徐々に太陽が登り始めていた。
空っぽのバックパックを背負い出発したハッサン。
それからケツに根が生えたように、
ただ運転席で彼の帰還を待ち続けていた。
だがどれだけ待っても彼は戻ってこなかった。
「アリ?誰だよそれ。アリなんて知らない。ハッサンじゃなくて?」
「ハッサン?誰だよそれ。俺はアリのパートナーのアハメッドだ。お前がアリの友達のジャパニーズか?」
多分こいつは向かう途中にハッサンが何度も電話していた相手だった。
あの時何を話していたかわからなかったが、
私の事を会話の中で軽く説明していたのだろう。
何となく話の流れから察しがついた。
ただアリって誰なんだ?
あいつはハッサンじゃないのか。
今までのハッサンの行動や言動を巻き戻せば、
ハッサンが”アリ”なのだと認めるのは簡単だった。
ポジティブがネガティブにひっくり返える。
あいつの今までの自分への施しも、元気の良さも、
全て胡散臭く思えてきた。
さっき食べたクソ不味い豆のスープがさらに不味く思えた。
偽名に職種も不明。今は行方不明。
スリルだけを求めた興味本位に附帯した当たり前のカルマだった。
一度ひっくり返えった信用の裏は中々表には戻らない。
今までため込んだきた疑心感は破裂し一気に冷めていった。
信頼は割れた瞬間が一番冷たくて迷いのない全否定が肯定される。
あいつがハッサンでもアリでもどっちでもいい。
嘘まみれのクソ野郎だ。
もうドキドキ感なんてどっかに消えて、
その時は焦りを超えた怒りが湧いてきていた。
アハメッドは話を続けた。
「何度も電話しているのに、電話に出ないんだ。これはヤバイかもしれない。」
「は?知らねーよ。名前すら嘘ついてた奴なんて信じられないし、どうでもいい。」
「いやホントにヤバいんだって!こんな事今まで一度もないんだ。逃げよう。多分アリは捕まってる。ここにいたらオレ達まで怪しまれる。」
ノりでめくったページは最悪のシナリオの始まりだった。
そして同時に重要なことに気がつく。
逃げる?
どこに?
誰が運転する?
想像しても先が何も見えなかった。
ハッサンの家に荷物は全てあったし、
まず家の場所を聞いてもいなかった。
あいつ以外の知り合いもいなければ、
携帯もパソコンも何もない。
ハッサンが捕まった云々もそうだったが、
自分の行動に選択肢が無いことの方が恐ろしかった。
「ペンあるか?俺の番号教えるから、もしアリと出会えたら電話しろ。」
「いやペンなんてねーよ。電話もないし。帰り方もわからないし、荷物も全部ハッサンの家だ。マジどうすんだよ。」
「じゃあここで待つのか?勝手にしろ。俺は逃げる。こんなとこにいて誰かが来たら絶対怪しまれるからな。」
「じゃあハッサンの家まで送ってくれ!」
「無理だ。俺もアリの家の場所は知らない。あいつとは仕事以外関わりもないからな。」
そう吐き捨てたアハメッドは颯爽と自分の車に戻りどこかに行ってしまった。
助けてくれる可能性のあった唯一の男はいなくなり、
同時に唯一の綱は切れてしまった。
それから行き場も考えもなく、
“ハッサンの帰還”という、
薄すぎて今にも破れそうな期待だけを希望に、
ケツの根は深く運転席に伸びていった。
独り言が止まらず、
結構入っていたはずのタバコも底をついた。
さっき感動したばかりの砂漠やピラミッドは、
公園の遊具のように、
ただ当たり前にあるただの個体に見えてきた。
一回寝よう。
何なら誰か気絶させてくれ。
運転席の座席を思いっきり倒し、目を閉じた。
.
.
.
暑い。
クソみたいに暑い。
あれからどれくらいが経ったのか。
完全に夜は明けていて、
空は頭にくるほど爽快な青だった。
皮肉なほど今の自分の状況とは別の青。
駐車場には続々と車が入ってきている。
ピラミッドの観光客が増えてきていたようだった。
本当はあの観光客のようにワクワクしてくるはずだった。
今すぐあの一部になってヘラヘラしたい。
何が旅人だ。普通最高。観光客最高だ。
理想と本性が絡まりぐにゃぐにゃだった。
とりあえず大使館にでも行くか。
でも何か別のシナリオをでっち上げないといけない。
下手に正直に話して共犯扱いにでもなったら、
多分強制帰国か、
エジプトでジェール行きだ。
それか日本人の観光客見つけて助けを乞うか。
出てくる全ての選択肢がネガティヴなものばかりだった。
進んでいく悪い展開に次のページをめくる力も度胸もない。
決め切れず決断を躊躇していたらダラダラと時間だけは過ぎていった。
そこに見たことのある白のセダンが向かってくるのが見えた。
アハメッドだ。
「お前まだいたのか!?」
「行くところがないからな!ハッサンから電話きたか?」
「いや….あいつやっぱり捕まったらしい。さっき友達の警察に電話したら勾留されてると言っていた。」
警察の友達?
また嘘をついていると思った。
まずお前誰なんだよ。
そんな奴がいるなら最初からそいつと組めよ。
これも嘘か?
「本当かよ。じゃああいつどうなるんだよ?」
「まだわからないけど、罰金を払えばでられるかもしれない。お前いくら持ってる?」
「は?俺が払うのか!?イカれてんじゃないのか?俺は絶対払わない。」
「じゃあお前これからどうすんだ?」
言い返す言葉がなかった。
ハッサンが釈放されないと自分も進まないという方程式に見事にハマっていたからだ。
ただ不幸か幸か、
ハッサンの家で着替えた時、
金とパスポートは首から下げて肌身放さず持っていた。
全財産は大体US2000ドルと、少しのエジプトポンド。
久々の選択権。
払ってハッサンの家に戻り荷物をまとめてすぐ出て行くか。
払わず…その先が出てこなかった。
「いくらであいつは出られるんだ?」
「わからないが多分1000ドルあれば足りると思う。」
全財産の半分。
払わなきゃハッサンは出られない。
ハッサンが出られなきゃ家にも戻れない。
まだまだ旅を辞める気もなかったし、
旅は当然多少金がかかる。
でもどの国でも小銭稼ぎぐらいはできるようにはなっていた。
旅の金なら何とでもなる。
環境を金で買おう。
罠でもなんでもいいから前に進むことにした。
「じゃあ1000ドル出すから、警察署まで連れて行け。」
「わかった。」
それからアハメッドとハッサンが勾留されている警察署に向かった。
ギザなのか、どこなのかもわからないが一応本当に警察署だ。
内心仕組まれてた罠だとも思ってたから、少し安心してしまった。
アハメッドはちょっと待ってろと言い警察署に入っていった。
昨日のハッサンとホテルを探していた時がフラッシュバックした。
20、30分後。
助手席からアハメッドとハッサンが歩いてくるのが見える。
車を降りるとハッサンが泣きながらハグしてきた。
クソ暑い猛暑の下で汗だくのエジプト人のハグは強烈なものだった。
「KIKIお前は私のヒーローだ。ありがとう。ありがとう。ありがとう。」
話を聞くと、ハッサンはセキュリティーの連れと揉めて、
その場で通報されそのまま逮捕されたらしい。
二行で済ませられるほどマジでくだらなかった。
でもとりあえずこれで帰れる。
荷物を取って、ホテル探して、こいつとはサヨナラだ。
アハメッドにピラミッドの駐車場まで送ってもらい、
ハッサンと帰路につくことになった。
無言の車内。
あの元気な男の面影はない。
あのハグ以降何一つ話しかけてこなかった。
私自身も話す気もなかった。
家に着き、すぐに荷物をまとめ始めた。
今すぐここから出たい。
パッキングをする私にハッサンが話しかけてきた。
「屋根の上で一緒にシーシャを吸わないか。」
これがこいつとの最後の一服だと思った。
多分こいつに会う事はもう無い。
「いいよ。最後に一服しよう。」
屋根の上に登り、見えた空は昨日と全く同じような色だった。
隣にいるやつも、見える景色も全く同じ。
一つの違いは出会いの一服なのか、
別れの一服なのかという点だけだった。
たった1日で全てが変わった。
嘘がそうさせたのかは今は正直わからない。
あの時ハッサンが無事帰って来ていたら、
今日も笑って一緒にシーシャを吸っていたはずだ。
失敗した結果、嘘が憎しみに変わった。
結局あいつの嘘より、
追い詰められた自分の環境に動揺していただけなのかもしれない。
「KIKI。本当にありがとう。助かった。」
「いやもう良いよ。これを吸ったらホテルを探しに街に行くわ。」
「じゃあホテルまで送ってやる。俺は今日もまたピラミッドに行くからな。」
「は?また捕まるじゃん?何言ってんだ。」
冗談だと思って、笑ってしまった。
「俺はこの家の全てをピラミッドの石で作りたいんだ。今は壁だけだけど。休む暇はないんだよ。」
本気で言っていた。
アタオカだった。
「今日も捕まったらどうすんだよ?俺はもう金出さないぞ。」
「わかってるよ。でも俺はとにかくそれ以外はどうでも良いんだ。」
「てか、あのアハメッドって奴はなんなの?ただの友達?」
「あいつは俺のビジネスパートナーだ。あいつにいつも採石した石を半分売っている。」
「あいつは何に使ってるんだ?」
「知らない。俺はただ売ってるだけだから。俺には関係ないことだろ。俺は家が完成すればそれでいいんだ。」
ハッサンは自分勝手さと猛進感が半端ない。
人に迷惑かけまくりの盗人だし、
決して褒められるような人間ではないが、
逮捕されても、何をされても、こいつは止まらない気がした。
日本にいたら間違いなく後ろ指を刺されるような存在だ。
ただ、私はそれだけの情熱で何かに向き合ったことはなかった。
好きで始めて続けてきた写真ですら、そこまで向き合ったことはなかった。
仕事も楽しんだもの勝ちだなんて言うが、
それは結局矯正なのか、強制なのか。
無意識に出てくる探究心の前では相手にならない。
ハッサンの目的に向かう力は明らかに後者だった。
スーツケースをハッサンの車に乗せ、街に向かった。
ホテルは自分で探すから、街で適当に降ろして欲しいと伝えた。
「オッケー!オッケー!」
ハッサンのテンションは戻っていた。
街の中心地に着き、別れ際、
ハッサンから新聞を破いた小さな紙を渡された。
「何?」
「俺のEmailアドレスだ。また何かあったら連絡してくれ。」
「メールするよ。送ってくれてありがとう。アリ。」
「アサラマライコム」
ハッサンは手を合わせて笑っていた。
それから私は5日間エジプトに滞在し、アルジェリアへ向かった。
ハッサンとの出来事の後は何の問題も無く旅は続き、
アフリカ大陸に入って一週間以上が経って、
徐々に身体も北アフリカに慣れてきた感じがあった。
アルジェリアのゲストハウスで不意にハッサンを思い出した。
別れ際にもらった紙を取り出し、
メールを送ってみようと思った。
あの時の自分の思ったことや、
その後の事もとにかく色々書いた。
良いことなんて一つもなかったし、
たった1日一緒にいただけの奴なのだが、
多分ハッサンの事は一生忘れないと思う。
メールは長文になってしまった。
ハッサンがちゃんと読めるか不安だったが、
言いたい事全部書いて送った。
2秒くらいで返信が帰ってきた。
Delivery Status Notification.
Unknown Email Address.
– 完 –