第十五話「スイスの商人マシュー」-前編-

26th Aug 2020 by

 

 

スイス、ロザン。

 

 

エヴァランチという地区の一軒家。

私が住んでいた家はこの地域の山の上にあり、

冬は冗談みたいな量の雪が降る。

朝は約1時間の雪かきから始まり、

夜は環境音すら聞こえない本当の無音の中眠りにつく。

住む前はスイスって言ったら、空気が綺麗。

これぐらいの印象しかなかったが、その想像の5倍は美味かった。

よくここに住むと鼻炎が治るとか聞いたことがあるが、

満更あり得ない話でもない気がする。

 

毎朝雪かきの後に、山の上から街を眺めるのが日課だった。

空き家なのか別荘なのか、

5件ほど先にある誰も住んでいない豪邸の庭に無断で入り、

毎朝わざわざコーヒーを持ってのんびり一服をする。

庭からインフィニティープールのように見えるロザンの街は、

日本では見たこともない透明な空に繊細で上品な薄い雲が街を覆っていて、

今まで自分が見てきた空がさらに濁って見えた。

 

さすがアルプスの少女の街だけはある。

 

もちろんいい面だけではない。

まず交通面はめちゃくちゃ不便で、

日本人、いや移民にとって住みやすいとは言えない場所だと思う。

駅までの唯一の交通手段は1時間に2本しかないバスしかなく、

最寄りの商店までは歩いて40分かかるし、

駅の目の前の看板には、”移民は出て行け!”とうい看板がデカデカと掲げられている。

この地域には限ったことではないが、スイスはバキバキの白人至上主義だ。

人種差別はある意味当たり前にあるものに感いていたぐらいで、

日常過ぎてあまり気にならないという面もあった。

 

そんなこの街にも住み慣れ、いつの間にか1ヶ月ぐらいが経っていた。

私の目的のない旅では都会に行けば田舎を求めるし、

田舎にけば都会に行きたくなる。

この繰り返しの中で、そろそろ自然に囲まれた生活にも刺激がなくなってきていた。

毎日写真しか撮っていなかったし、自然を撮るのもそろそろ飽きていた。

これは歳をとってから撮るべきかも。とも日に日に思っていた。

 

金もそろそろ尽きそうで、

次の移動のために仕事を探すかとも考えたが、

机の上に積まれた少しずつ現像した写真の束を見て不意に思い立った。

 

まずこれを売ろう。

 

今まで自分の写真に値段をつけたこともなく、

一体自分の写真にいくらの価値がつくのだろうという興味もあった。

次の日の朝、早速写真の束を鞄に入れロザンの中央駅に向かった。

写真を売るなんて考えたこともなく、全部L版の小さい写真。

ギャラリーに持っていっても相手にれないだろう。

頭の中は一番人通りの多い駅前で売ってみよう。

それしか選択肢はなく、むしろ最善の方法だと思っていた。

無名の自分の手刷りの写真がどれだけ売れるのか。

全く売れなかったら…落ちるなぁ。

ワクワクする気持ちと不安な気持ちが入り混じっていた。

 

駅に着き、まず売る場所を探した。

さすが中央駅。

住んでいるエヴァランチとは比にならないほどの人がいた。

駅前の適当な場所にシートを敷き、

写真を入れたファイル3冊と、

”name your price [ 値段はあなたが決めてください]と書いた紙を置き、

客が足を止めるのを待つことにした。

 

 

 

 

どれだけ経っても誰一人足を止めない。

売れる売れないの前に、見ても貰えない。

それから何時間経っても、結果は変わらなかった。

初日の結果は接客人数0。

シートを片付け、泣く泣く家に帰った。

それからの2、3日、場所を変えては同じ方法を繰り返し、

同じ結果を繰り返す。

 

さすがに何か変えなきゃいけない。

帰ってから一人反省会が始まった。

自分で物を売る事自体が初めてだった私は、

その時初めて商売というトピックについて考えた。

 

売れる売れないの前にまず見てもらわないといけない。

 

人通りが多い場所はあくまで見てもらえるチャンスが多いだけで、

逆にその他の店も多いし、目に入る情報量も多い分、

目立たないと足を止めてもらえないのかもしれない。

 

じゃあどうやって目立つか。

 

今日はただシートを敷いて、写真を並べただけ。

 

看板でも出すか。

 

声を出して客引きをするか…

 

散々一晩考えた結果、

まず駅前で一番人が足を止める露店を見つけて、

その露店の机のスペースを間借りする作戦でいくことにした。

商売もしたことがないし、自分は商売人じゃなくて写真家だ。

どうやったら客を集められるかは考えても一晩で答えが出るわけもない。

そこは金をベットしてでも乗っかって、写真自体を見てもらう方が優先的に思えた。

ファイル3冊を置くスペースのレンタル代ぐらいなら何とかなるはずだ。

 

次の日、朝一で同じ中央駅に向かい露店を片っ端から観察した。

絵を売ってる露店、お土産屋、クラフトジュエリーの露店、

色々種は違うもののかたまって露店があると活気が見えて、

心理的なものなのか足を止めている人も多かった。

早速絵を売っていた白人の中年男に話をかけてみた。

 

「こんにちわ。僕写真を撮っていて、よかったらここで写真を一緒に売らせて欲しいんです。もちろん賃料は払います。」

 

「…」

 

全く言葉が通じていなかった。

ロザンはジュネーブやチューリッヒみたいな都市と違い、

英語を話す人はかなり少ない。

スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語の3カ国後が主流で、

地域によって使われる言葉が違う。

ロザンはフランス語がファーストランゲージ。

若者でさえも英語はあまり話さない。

言葉の壁にぶつかり、その辺りの目をつけた露店は全滅だった。

 

気を取り直し、活気のある露店を探す。

駅前の隣にある大きな公園の入り口にテントを貼った露店が一つあった。

しばらく遠くから観察してみることにした。

30分ぐらい見ていると意外と人が足を止める。

近づいてみると背の低い髭伸びっぱなしの白人のおじーちゃんが絵を売っていた。

そんな仙人みたいなおじーちゃんはすぐに話しかけてきた。

 

「お!観光客?これは私が書いてる絵なんだ。全部20ユーロ。」

 

まず英語が話せることが驚きだった。

 

「いや客じゃないんだ。最近住み始めたんだけど、写真を撮っていて今売る場所を探しているんだ。」

 

「写真家か?!見せてみろ!」

 

言われるがままに男に写真のファイルを見せた。

 

「お前の写真いいな。俺は好きだ。一枚いくらで売ってるんだ?」

 

「いや値段はつけていない。客につけてもらおうと思ってる。」

 

「それじゃここでは売れないな。ここはギャラリーじゃないんだぞ。値段をつけた方がいい。」

 

「値段の付け方がわからないんだ。売ったことがないから。買ってくれるならいくらでもいい。」

 

「お前物を売るのにいくらでもいいって、売る気あるのか?じゃあ試しに一枚10ユーロで売ってみろ。」

 

「わかった。ここで売っていいの?」

 

「いいぞ、お前の写真俺は好きだからな。」

 

「マジで?!ありがとう!俺はKIKI。よろしく!」

 

「マシューだ。よろしくな。」

 

 

これが私の写真家としての人生を変えた大きな出会いになった。

 

 

ここからマシューは1週間で私の写真を300枚売る。

 

 

 

-前編- 完

TAGS:

» BLOG HOME

GO TO TOP