第十六話「スイスの商人マシュー」-後編-

2nd Sep 2020 by

 

 

 

ニューヨークに住んでいた頃から

暗室で少しづつ現像してきたフィルム写真達に初めて値段をつけた。

 

一枚10ユーロ。

 

当時の日本円にすると約1300円。

それが安いのか高いのかはわからないが、

自分の写真に値段をつけるのは何か違和感があった。

商売で言えば原価があり、

原価3割以下に抑えるというのは基本だと聞いたこともあった。

ただ私の写真には原価がない。

厳密に言えば、使用した機材や暗室での材料や紙代などはあるにしても、

価格への納得感は買手の価値観が決めるもので、

世の中には一枚数百万円、数千万円で売られる写真もあれば、

1円の価値もつかないものもある。

たかが写真に数百万?馬鹿じゃねーの。

という人もいるだろう。

逆にこの写真に対して1万円?

アーティストを馬鹿にしてんのか?

という人もいると思う。

そこに均一の価値観は存在せず、

買い手の価値観のみが購入につながる。

それ故に私は最初、値段を相手に付けてもらおうと思った。

だがマシューは試しに10ユーロで売ってみろと言う。

写真どころか何も売ったことのなかった私は、

この時初めて”物を売る”というトリックを目の当たりにすることになる。

 

マシューは自分の絵を置いていたブースの半分を使い、

私の写真ファイルから数枚ピックアップして、机の上に並べた。

そこには価格の書かれたものは何もない。

手刷りの白黒写真数枚が机の上に置かれただけ。

 

え?昨日まで自分がやってきたことと何も変わらないじゃん。

これが私の率直な気持ちだった。

 

「マシュー、これでホントに売れんの?同じようなこと昨日までやってたんだけど、全く売れなかったし、誰一人足も止めなかったけど。。」

 

「まあ焦るな。見ててみろ。とりあえず次来た客に俺がお前の写真を売ってやる。」

 

「ちなみにマシューは一日何枚自分の絵何枚売れるの?」

 

「大体10枚から多い日で20枚だな。」

 

「マジ?結構売れるもんなんだね。どんな人が買うの?」

 

「それはいろいろだな。言い換えればどんなやつかはあまり関係無い。いいか?さっきも言ったがここは路上だ。ギャラリーじゃないんだ。それがどういうことかわかるか?」

 

「んーー、正直わかんない。俺は物を売ったことがないんだ。」

 

「じゃあ俺が教えてやる。ギャラリーに来る奴ってどんな奴だ?きっと最初からアートに興味があったり、アートが好きな奴が来るところだろ?それはグロッサリーストアに牛乳を買いに行くのと同じだ。元々それが欲しいやつにそれを売るっていうのはそんなに難しいことじゃない。でもここでアートを買っていくやつはどうだ?たまたまここを歩いてた。って奴がほとんどだ。そんな奴らに売るってなると話は別だ。それが必要だと思ってなかったやつに、それを売るんだからな。じゃあどうしたらそんな奴らに売れると思う?」

 

マシューは最終的な答えを必ず私に言わせる癖があった。

まるで学校の先生のように。

 

「んーー、難しいな。。全然わからないwなんだろ?ここ数日、同じように机に写真を並べて客を待ってみたけど、誰一人にも見てももらえなかった。だから…まず見てもらって色々写真の背景を説明するとか?それでディスカウントにはなるべく応じる、みたいな?」

 

「それじゃ売れないなwそれもギャラリー方式と同じだ。撮影の背景の話をされても聞き入ってくれる人なんて路上では一握りだ。そんなこと興味ないからな。ここでアートを売るには、相手に偶然の必然性を感じさせることが重要なんだ。意味わかるか?」

 

「いや、全くわからないw」

 

「まずお前の言う、見てもらわないといけないって言うのは正解だ。話が始まらないからな。だからまず話しかけることが重要だ。ボードや看板を使うより何倍も効果がある。相手は人だからな。それから作品を見せるだろ?ここからが重要だ。たまたまここを歩いていて、たまたま話しかけてきたじーさん、そしてたまたま出会ったそこそこ気に入った作品に出会った。このストーリーになったらこっちのもんだ。どんな気持ちで撮ったとかっていうのはお前の気持ちであって、相手の気持ちじゃない。路上では相手の気持ちの方が”売る”ということに関しては重要なんだ。人っていうのは面白いもので、普段は目に止めないものでも、たまたま、つまり”偶然”が重なると必然を感じてそれが欲しくて仕方がなくなるものなんだ。それが路上の一番の強みだ。意味わかるか?」

 

「うん、何となくわかる気がする。でもそんなうまくいくのw?」

 

「まあ見ていろ。次来た客で試してやるから。」

 

それから数分もしないうちに30代ぐらいの女性二人組が公園に向かってきた。

もちろん彼女達の目的は公園にいくことで、マシューの店に来たわけではない。

マシューは遠くからフランス語で陽気に話かける。

何を言っていたのかはわからないが、

彼女達はケラケラ笑いながら足を止め、

ゆっくりこっちに向かってきた。

もうすでにこれだけでも関心してしまった。

 

それからマシューは私の写真を手に取り、

私を指差して何かベラベラとずっと話している。

初めはケラケラ笑っていた彼女達が私の写真を手に取り頷き始めた。

一体マシューは何て説明しているんだ。

気になって仕方がなかったが、

とりあえずそこでは何も言わず、

この場はマシューの手腕を拝見することにした。

彼女達が何枚か写真を見た後、

マシューは他の写真も入ったファイルも彼女達に渡した。

彼女達は2人で何か話しながら、じっくり私の写真を見続けた。

自分の為というか自分の撮りたいようにただ撮ってきた写真を、

こんなにマジマジと見られるは初めてで、

まるで自分の心の中を目の前で見られているようで、

何かすごく緊張したのを覚えている。

彼女達はそれからファイル全ての写真を見た後、

数枚の写真に指を刺し、マシューに金を払い、私に握手を求めてきた。

 

マジ?

やべえ。本当に売れた。

でも何でだ。

 

マシューはもらった金を私に全て渡して、こう言った。

 

「言っただろw。ほら7枚分の70ユーロだ。」

 

「いやマジですごいよ。なんて説明したの?」

 

「さっき言った偶然の連続を作っただけだ。たまたま歩いていて、たまたま声をかけられた露店で、たまたま旅の途中の日本人写真家の手刷りの写真に出会った。この目の前で起きているストーリーを私は彼女達に言葉で気がつかせただけだ。何も嘘はついていないし、無理やり勧めたわけじゃない。彼女達の意思で買っていったんだ。それにしてもお前の写真は売りやすいよ。旅の写真、しかもニューヨークのものが多い。人は偶然出会った憧れには弱いものだ。あと俺はじーさんだ。相手の警戒心はお前ら若い奴より始まりから薄いんだよ。」

 

「いやマシュー、あんたマジですごいよ。俺はマシューに売るのを託したい。売り上げの半分マシューにあげるから売ってくれないか?俺はその間に暗室を探して写真をするから。どうだろ?」

 

「もちろんいいぞ!さっきも言ったが、お前の写真は俺なら簡単に売れるからな。報酬は最後にまとめてくれ。」

 

その日結局マシューは同じような方法で計60枚近くの写真を売った。

約600ユーロ。日本円で約7万円弱。

本当にすごい商人だと思った。

初めて自分の写真ついた価格。

嬉しさが第一に来て、

その後何とも言えない喪失感みたいなものがあったのも確かだった。

初めての感覚に色々な気持ちと感情が交差していた。

 

翌日、また同じ場所でマシューと早朝に待ち合わせた。

マシューに写真のファイルを預けて、

私は写真屋を渡り歩き暗室を貸してくれる場所を探した。

約今から8年前くらいのその頃でも、

引き伸ばしきや暗室を所有している場所は少なく、

探すのに多少苦労したが、結局何軒目かで尋ねた写真屋の亭主の紹介で、

暗室を所有している人を紹介してもらうことができた。

それから私は売れた写真を補充する為に、

一日中暗室にこもり写真を刷り続けた。

日が暮れるまでひたすらに刷り続けて、

マシューのところに戻ると、マシューはニヤニヤ私を見続けた。

 

「何だよw昨日売れた分刷れるだけ刷ってきたから補充するね。それで今日は何枚売れた?」

 

マシューは私に800ユーロ渡してきた。

こいつ半端じゃねぇ。

 

「今日はすごいぞ。80枚だ。1人の奴が30枚近く買っていったんだ。やっぱ手刷りも売れる効果の一つだな。この調子でガンガン売るぞ!俺の絵売ってるよりよっぽど儲かるぞw」

 

「あんた天才だよ。同じもの売ってるのに俺なんて一枚も売れなかった。マジですごいよ。マシューありがとう。」

 

「おいおいまだまだ売れるぞ。明日からもガンガン売るぞ。」

 

たった2日で、1400ユーロ(約16万円)。

この勢いで行けば、月間で20000ユーロ(約260万円)は堅い。

信じられなかった。

自分の写真がうまく行けば月間260万円稼げるのか。

嘘みたいな現実に嬉しさが止まらず、

その晩マシューを飲みに誘った。

マシューの案内でロザン市内のバーに一緒に行き、祝杯をあげた。

 

「マシューは本当にすごい商人だよ。それしか言えないけど、本当あんたはすごい。」

 

「まあ初めだからきっとこんなもんだ。この辺りで手刷りの写真を売る写真家はいないからな。物珍しさもあるし、日本人の旅人で、ニューヨークの写真ってのがいいな。KIKI。これは商売全てに言えることだけど、紐解けば物が売れる理由は絶対にあるんだよ。売る場所、売る物、売る相手。全て把握した上で売り方を見つければ売ることは俺にとっては難しくない。物が売れない奴っていうのは、単純に売れる理由がないんだよ。言い換えれば売れない理由があるんだよ。理由よりも自分の頭で考えた作戦に賭けてみる。みたいなやつばっかりだろ。お前もそうだったようにw 」

 

「間違いないよ。マシューは何年くらい路上で物売りをやってるの?」

 

「もう20年くらいだな。その前はタクシドライバーをやっていたんだ。もちろん絵を描きながらな。ドライバーをやっているといろんな客とたくさん話をするだろ?その時に相手を見るってことを覚えたんだ。俺が今までやってきたのはあくまで個人とのディールだ。今ではインターネットとかの方が主流だろ?だからその方法は俺にはわからないが、そこにも”売れる理由”が絶対あるはずだ。それはどの時代も変わらないことだよ。」

 

「マシューの話は本当勉強になるよ。今までこんなこと教えてくれた人はいないよ。」

 

「KIKIはこの生活で食っていけるなら、これを続けたいと思うか?」

 

「正直こんなに稼げると思っていなかったから、驚いてるし、やっていけるんじゃないかって思っちゃってるのも正直なところだよ。でもやり続けたいかって聞かれたら、答えはノーかな。俺は世界中のギャラリーで個展を開いて、そこで売りたい。今は無理かもだけど。」

 

「そうか!やっぱお前いいな。俺は好きだぞ。じゃあ俺とお前で今のスタイルで売るのは1週間でやめだ。ある程度金が貯まったら次の国に行くなり、次のステップに行かなきゃダメだな。」

 

「え??何で!?」

 

「多分このまま俺とお前で売り続けたらある程度の期間は金は稼げるが、きっとお前は今お前が言っていた、自分がいきたい道には行かなくなるからな。お前さっき今は無理だって言ってたな?確かに今は無理かもしれないけど、今をそこに向かう途中にすることはできるだろ。今まで俺を含めて何人ものアーティストが途中で道を曲がったのを見てきたんだ。それがなぜか今はわかる。ゴールが明確じゃなかったからなんだ。それは進んでいるんじゃなくて彷徨っているだけなんだよ。続けてたらいい話とかは何度かくるもんだ。そして適当な理由を並べて皆そっちに曲がっていくんだよ。でもお前は今はっきり自分の行きたい場所を躊躇せず言っただろ?明確なゴールがあるなら何年かかっても進むべきだ。だからここにいるべきじゃない。今やってるのはアートじゃなくて、商いなんだよ。残念だが今お前の写真が今売れてるのはお前の写真に価値がついてるんじゃない。商いの法則によって売れてるだけ。この生活続けてたらその内お前のゴールが見えなくなっちゃうぞ。」

 

マシューの言葉の意味が理解出来た気がした。

そしてマシューはポケットから10ユーロ札を出し、

マジックで何かを書きそれをタバコの箱に入れて私に渡した。

 

「これでお前がこの街を出る時に、飯でも食え。それまで開けるなよ!」

 

それから5日間、マシューと私は同じ場所同じ方法で写真を売り続けた。

結果は1週間で約320枚売れて、

総売り上げは3200ユーロ(約41万円)。

今までじゃ考えられなかった数字だった。

そして約束の最終日の夜、

マシューに半額の1600ユーロを渡した。

 

「マシューありがとう。この金で明日ミラノに向かうことにした。そこからどこに行くかはまだ決めてないけど。」

 

「じゃあこの金でお前の写真160枚売ってくれ。いいか?」

 

「いいけど…マシューはそれでいいの?」

 

「俺はお前のファンだからな。いつかお前が有名になったら全部売るけどなw 絶対ロザンでも個展やってくれよ。適当なとこで曲がるなよ。」

 

私はマシューとそこで別れ、翌日の朝ミラノに向かった。

空港まで向かう特急電車の車内。

約1ヶ月半住んだロザンの街並みに少し寂しさが湧いてきた。

この街に来た時に持っていた写真の束は今ユーロの束に代わった。

マシューが教えてくれた、

好きなことで金を稼ぎ生活してくことと、

好きなことで行きたい場所まで行くことの違い。

 

それは明確なゴールがあることだ。

 

昨日も今日も明日もまだ途中。

今でもバーでのマシューとの会話は鮮明に覚えている。

 

空港に着きバーの最後にマシューからもらったタバコの箱を開けた。

そこには10ユーロ札に殴り書きの英語でこう書いてあった。

 

If people don’t laugh at your dream,

You are not dreaming big enough

 

人々があなたの夢を笑わないのなら、

あなたはまだまだ大きな夢を描けてはいない。

 

 

死ぬまでに絶対にマシューの街で個展をやる。

 

世界中のギャラリーで個展をやる。

 

それまで生きていてくれ。

 

 

後編 -完-

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