第十一話「ニューヨークVS川村の皮肉」
29th Jul 2020 by KIKI
毎週水曜日。
今週は何を書くかスタジオの天井をボーッと見ながら考える。
当時の日記や記憶を辿っていると、
今では赤面してしまう様な行動もある反面、
今にはない当時の勢いだったり盲目なチャレンジ精神には、
昔の自分に喝を入れられる事も少なくない。
回転チェアーの上でクルクル回っていると、
記憶と伝えたい事が円の中のどこで出会うのか、
気が付けば自然とキーボードを叩いてきた。
今も天井は回っている。
4月から書き始めた週1のブログも今回で11回目。
友人の一言をきっかけに4年ぶりに書き始めたこのブログは、
私にとっても改めて自らの軌跡を振り返るいい機会にすらなっている。
NBT君ありがとう。
全24回。もう少しで折り返し。
プロローグでも書いた通り、これは若者達に向けた暇つぶしツール。
このブログを読んで誰かの次のアクションに繋がってくれたら本望です。
折り返し地点一つ手前の今回。
旅の話ではなく、旅に行く”前”の話を今回だけは書いてみたいと思います。
私が旅や移住生活の中で最も苦しい時や落ちていた時に、
常に頭にあった一つの言葉について。
ぶん殴りたいほどムカついたけど、その言葉あったから踏ん張れた。
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ニューヨークへの移住を決めたのは大学2年の夏休み前。
当時20歳だった私はほとんど学校にも行かず、
1年間で4単位しか取得していないクソ野郎だった。
ただ、この頃勢いだけはものすごい。
大学2年の夏休み前のテスト前に、
喫煙所でタバコを吸っている時に急に思い立ち、
その日に学生課に行き大学を辞めた。
そしてその夜、両親に電話で大学を辞めた事を伝えた。
母親はブチギレ。一方父親はすごく冷静だった。
「そうか。それでお前辞めて何するんだ?」
「ニューヨークに行く。留学したいから辞めた。」
「いつから?」
「9月。それまでに金貯める。」
「そうか。まあ好きにしろ。でもかーさんには謝れよ。泣いてるぞ。」
その後、母親には泣きながらブチギレられた。
母親が泣いているのはどんな時でも好きじゃない。
申し訳なさと正直な気持ちが混ざり合い返す言葉が出てこなかった。
それから私は色んな仕事をして3ヶ月で金を貯めた。
大体200万くらい。
短期間で小僧が金を稼ぐには色々やらないといけない。
なのでこれ以上は書きません。
とりあえず金は用意できた。
次はビザの申請。
学生ビザの申請は思っていたよりも面倒くさかった。
最終的には赤坂のアメリカ大使館で最終面接を受けて、
その後郵送でビザ付きのパスポートが送られてくるが、
その前に揃える書類がめちゃくちゃある。
バンクアカウントの残高証明や戸籍、最終学歴の証明書…etc
提出する書類の重ねる順番が違っていてもダメで、
面接の日程も申請から1ヶ月後くらい。
後から聞いた話では大体皆エージェントや弁護士を通して申請するらしい。
そんなエージェントがいる事すら知らず、手探りで全て自分で準備を進めた。
ビザの申請に必要だった最終学歴の成績証明書をもらいに、
卒業した高校に学歴証明を取りに行った時のこと。
まだ卒業して2年ほどしか経っていなかったが懐かしい感じがした。
職員室に行き、担当の先生に書類をもらいに行った。
その時、当時の担任だった川村が私に話しかけてきた。
「珍しい奴がいるな。何だ?お前何しに来たんだ?」
私は正直川村からかなり嫌われていた。
当時はもはや話もかけられない感じ。
学校に行かなくてもほっとかれていたし、
ホームルームでもほぼ空気みたいな感じで扱われていた。
実際自分自身もそれを望んでいたところはあった。
しかも奴は私の家の一本裏の道沿いに住んでいて、
休日もたまに見かけるぐらい。
私も川村が大嫌いだった。
「9月からアメリカに行くんで成績証明書もらいに来ました。」
「なんだ?お前大学辞めたのか?」
「はい、辞めました。」
「お前はやっぱりどうしようもない奴だな。次はアメリカに逃げんるのか?お前なんてアメリカに行ってもどうせ何も身にならずにすぐ帰ってくるんだろ。」
殴ってやりたいほど頭にきたが、
シカトして担当の先生に証明書を貰いさっさと高校を後にした。
図星だったのか、ただムカついたのか。
自分の無力さにも気がつき始め、
どれだけ怠け者なのかは自分が一番知っていた。
多分相当悔しかったのだろう。
それからこの言葉はいつまでも頭の中でループし続け、
13年たった今でもはっきりと残っている。
それから無事にビザを取り、私はニューヨークに移住した。
当初1年の予定で行ったはずが結局4年滞在。
この4年間の中で何度もニューヨークという街に食われそうになった。
そしてその度にあの川村の言葉がでかい顔でニヤニヤ出てきた。
「お前はやっぱりどうしようもない奴だな。次はアメリカに逃げんるのか?お前なんてアメリカに行ってもどうせ何も身にならずにすぐ帰ってくるんだろ。」
今聞いても鼻につくこの言葉は、
壁の前で体育座りしている私をいつも笑った。
そしてその顔を見る度怒りがこみ上げてくる。
あいつにいつか認めさせてやりたい。
あいつに笑われるぐらいならまだ踏ん張る。
あいつには絶対負けたくない。
正直その気持ちのおかげで何度も壁を超えられたと思う。
人を励まし元気付けるような人道的な言葉ではなく、
私の場合は元担任から言われた皮肉がいつも逆境への着火剤だった。
怒る気持ちはきっと使い方一つだ。
怒りのパワーはうまく使えばいつもの何倍もの力になる。
受け取った怒りは投げ返すんじゃなくて、
消化して壁を壊す力に使うまわすべきだ。
それはもしかしたら”頑張って”とか”応援している”みたいな言葉よりも、
本当に辛い時は役に立つかもしれないと今は思う。
ただムカついてるど真ん中ではそんな冷静になれない。
その時は一回寝る。これに限る。
判断は起きてからしたほうが比較的物事は上手くいく。
ニューヨークVS川村の皮肉。
負けなしの川村。
ニューヨークでの生活でも、
それから出た旅の中でも、
川村の皮肉は無敗だった。
今このブログを書いていても、
何度奴の言葉で奮起できたかわからないくらい、
辛かった時の記憶が蘇る。
あれから13年たった今、
川村に会ったら言ってやりたい。
「先生のおかげで一度も逃げませんでした。」
毎朝スタジオに向かういつもの道。
車で通る川村の家。
いつも心の中で中指を立てている。
今に見てろ。
-完-