Serching for mj以上
MJ以上MJ未満
2nd Dec 2015 by A-KILLA
どうも、ファボラスです。
今NBAではある偉大なプレイヤーが引退を表明し話題となっています。。
KOBE BRYANT
17歳という当時最年少でNBA入りを果たして以来、20年間LAKERSでプレーし続け様々な記録を打ちたててきたスーパースター。
お父さんは元NBA選手、お母さんはNBA選手の家系という筋金入りのサラブレッドなわけです。
細かい彼の記録はいくらでもググれるので書きませんが、僕が学生の頃のバスケのスターと言ったらJORDANを別にしたらIVERSON、JASON KID、GRANT HILL、VINCE CARTER、そしてKOBEでした。
早くて力強くて豪快で、当時NIKEと契約する前に履いていたADIDASのKOBE2(AUDIインスパイア)が欲しくて一生懸命お金を貯めて買いに行ったのを今でも思い出します。
みんな坊主か、少しTHUGいやつだとコーンロウくらいしかいなかったのにKOBEはアフロでそれもまたかっこよかったんですよね。
そして最近また動画が出回っていますが、彼のスタイルはまさにJORDANそっくり,いやそのもの。
今でもそうですが、JORDAN引退後、彼を超えるもしくは二世のポジションにたどり着けるプレイヤーはいないといわれてきました。
アイバーソンもキッドも凄い選手はたくさんいましたが、ジョーダンではなくオリジナルとして伝説を作ってきました。
でもジョーダンになれたかと言われたら違うのかもしれません。
その中でもKOBEは“その域”に達していた、それは本人が言ったのではなく周りが認めざるを得なかったんです。
もちろん本人もそれは自覚していました。
その証拠に、ある時を境に背番号を8から24に変更します。
普通NBA選手は同じチーム内で簡単に背番号を変更することはできません。
ただ、それまで続いた不振や色んな問題から心機一転を図っての変更でした。
ちなみに24は高校時代につけていた背番号。実はこのときから彼の脳裏にはMJへの尊敬と憧れとライバル心があったようでした。
つまり、あの23を背負うことはできなくとも、それを超えたい少しでも近づきたいという気持ちの表れを背番号変更の時に公表したと思われます。
引退を決めた日、KOBEはJORDANに引退を報告します。
KOBE“もう今年で最後にするよ。マイケル、あなたは引退を決めるとき心が揺るがなかったかい??”
JORDAN“何も難しいことはないさ。最後まで楽しむんだ、良いことも悪いことも全部。 とにかく楽しむんだ”
そんな出来事を経て、先日KOBEは記者に笑顔でこう話しました。
“まだ続けられるかもしれないし、何度も鏡の中の自分を見て問いかけた。でも僕の体はNOと言ってくれた。みんなにコートにお別れを告げる時間だ。”
最年少でNBA入りしたショートアフロの青年が、いつの間にかチームリーダーとなり世界中のファンを魅了する伝説となり、年を重ねケガや色々な問題を抱えながらも乗り越えてみんなを引っ張り続けヒーローとなった。
KOBE BRYANT 37歳
また一人生きる伝説がコートを去る、、。
書いてて泣きそうなので(笑
以上、ファボラスでした。
in case you ain’t kno so…
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