第二十話「アイラブケンタッキー、チャー」-前編-
30th Sep 2020 by KIKI
毎朝妻が作ってくれるアボガドトーストと、
くるみ入りのハチミツヨーグルト。
これがお世辞抜きでマジで美味い。
いつも私の方が早く食べ終わり、
トーストをかじる妻を窓越しに庭で一本タバコを吸う。
最近の毎日の日課だ。
夏の間に自由奔放に伸びきった雑草が生茂り、
どこから入ってきたのか?
野良猫が雑草をクッションに気持ち良さそうに寝ていた。
秋晴れの心地よい早朝、
目の前の光景は無言の癒しをくれる。
日々のなんでもない光景にホッとする瞬間は、
誰にでもあるようで実はとても幸せな事だと今は思う。
今回はある一人の少年の話を書きたいと思います。
彼の名前はチャー。
以前に書いたカンボジアの孤児院で生活をしていた時、
前にも書いた通り孤児院には色々な環境を背負った子供達がいて、
その中でも最も時間を共にしたヤーイーの話を書きました。
孤児院での約1ヶ月という時間の中で、
実はもう一人私の中で記憶に残る男の子がいました。
それが、チャー。
私は彼と出会いこの一つの質問を真剣に自分に投げかけたことがあります。
“自分がもし耳が聞こえず、目も見えなかったら”
これは同情でも情けでもなく、
当たり前のことすら感謝するべきことだという意味を込めて。
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孤児院で私がヤーイーとみんなに語学を教え始めてから、
チャーだけは孤児院に一台だけあるパソコンの前に、
ずっと座り授業には参加していなかった。
授業以外でも彼だけは私が話しかけても全く反応がなく、
最初は言葉がわからないから無視されていると思っていたのだが、
ある日孤児院のオーナーにチャーの事を聞いた。
「なんであの子は授業に参加しないんだろ?」
「参加しない訳じゃなくて、彼は生まれつき耳が聞こえないんだ。しかも左目は見えていないし、右目もいつ見えなくなるかわからないと医者には言われているんだ。」
その時初めて彼がDeaf(耳が聞こえない人)である事を知った。
オーナーに事情を聞いた私は正直返す言葉も見つからず、
真剣な顔でぬるい唾を飲み込むことしかできなかった。
今まで日本でも障害を抱える人に出会ったことは幼い頃からあったが、
食べていくだけでも精一杯なこのカンボジアという国で、
両親もいない小さな少年が抱えるには、
あまりに大き過ぎるハンディキャップである事は明白だった。
そして特に引っかかったのは、
今はかすかに見えている片目もいつ見えなくなるかわからないという点。
ある日突然あなたの視界は真っ暗になります。
こんな恐ろしいことがあるだろうか。
彼がどれだけの不安を背負って毎日を生きているのか、
自分に置き換えたて考えただけでも、
恐怖にかぶりつかれ上下の刃が頭と顎ににぶっ刺さる様だった。
その事実を聞いた当日の夜、
いつも通り授業を終えて部屋に戻ってから、
どうしてもチャーのことが頭から離れず、
ベッドに仰向けになりヤモリがへばり付く天井を眺めながら、
一晩中チャーの事を考えてしまった。
彼がこれからどうやって生きていくのか。
誰がこれから社会の色々な事を教えてあげるのか。
この先彼が誰かを愛した時すごく辛い思いをするんじゃないだろうか。
これから彼が歩んでいく人生は、
私の想像できる範囲ですら過酷なものだったから。
そして今の自分がしてやれることはないかを考えた時、
冷酷で現実的なもう一人の自分が自分を問い詰めた。
お前一体誰なんだよ?
ユニセフの職員か?
いつから慈善活動家になったんだよ?
チャーのような障害を抱える子供は世界には何万といるだろ。
そんな子に会うたびにお前は気持ちを重ねて、
自分の無力さに浸りながら世の中の不平等さを嘆いて、
微かな善意でお前の忘れたい過去でも精算しようとしてんじゃねぇよな?
人の運命に自分を重ねて悲劇のヒーローにでもなったつもりか?
お前は今まで散々好き勝手生きてきたじゃねぇか。
今やってる授業だって実はお前の為にやってんだろ?
今更善人ぶるのもいい加減にしろよ。
これが自分の二面性なのかはわからないが、
自問自答の中で現れた2人の自分に頭がおかしくなりそうだった。
その日は全く眠れず、孤児院の二階のベランダで朝を迎えた。
自分の中で何か答えが出た訳でもなく、
むしろそれまで続けていた子供達への授業にすら迷いが生まれ、
もう何がなんだかわからなかった。というのが本音だ。
朝食を一階のカフェバーで食べ、
子供達が学校から帰ってくるまでの間何をするか考えていた時、
ロビーのパソコンの前にはいつも通りチャーが座っていた。
チャーはいつも何かをパソコンで見ているが、
何をしているのかは謎だった。
コーヒーの入ったマグカップを片手にチャーの後ろに行ってみると、
チャーはパソコンでケンタッキーのホームページを見ていた。
なんでケンタッキーw?
少し微笑ましくてチャーの肩を叩き画面を指差し、
Deafである事を忘れて思わず聞いてしまった。
「ケンタッキー好きなの?」
当然返答が返ってくるわけもなかった。
チャーは私を見つめただ首を傾げた。
その様子を見ていた孤児院のオーナーが私に話しかけてきた。
「一度ね私がケンタッキーを皆に買ってきたことがあるんだ。大分前の話なんだけど。多分その時のことが忘れられないんだろう。それ以来チャーはよくケンタッキーのホームページを見ているんだwここの子供達にとっては滅多に食べられないものだからね。」
「そうなんですね。シェムリアップにケンタッキーがある事自体知りませんでした。」
「KIKIはここに来て以来全然観光してないいじゃないか?アンコールワットもまだ行ってないんじゃないのか?」
確かにカンボジアに来て以来、
すぐに授業を始めて孤児院の周辺以外出ておらず、
観光らしいことは一度もしていなかった。
元々アンコールワットに行くのが目的みたいな感じだったのだが。
「そうなんです。いつでも行けるからと思って、実はアンコールワットもまだ行っていないんですw」
「じゃあ今日行ってくるといい。ここからタクシーで20分ぐらいだから。」
「そうですね。行ってみようかな。やっぱりカンボジアの人は皆大体はアンコールワットに行った事あるんですかね?」
「いや、無いと思うよ。少なくともここの子供達は誰一人行ったことはないよ。入場料もあるし、そんなお金があるならこの国の人は食べ物を買うだろうからね。」
「じゃあチャーも一緒に連れて行っていいですか?」
その時反射的にでた言葉だった。
そしてそれは昨晩の冷酷なもう一人の自分を、
思いっきりぶん殴れた瞬間でもあった。
何かが吹っ切れた。そんな気分だった。
「いいけど、大丈夫か?でも本人は喜ぶと思うよ。チャーは滅多にこの敷地からは外に出ないから。」
私はチャーの肩を叩き、キーボードを叩きアンコールワットの画像を見せた。
チャーと自分と画面のアンコールワットを指差し、
とにかくジェスチャーで一緒に行こうと伝えようとした。
でもチャーには全く通じていなくて、
オーナーの方を向き首を傾げている。
オーナーはペンと紙を持ってきて、
カンボジア文字で私の意思を伝えてくれた。
するとチャーは急に笑顔になり、首を大きく縦に振った。
「じゃあ決まり。今から出発だ。」
オーナーは私に携帯電話を一台渡し、
何かあったら電話してくれと言って送り出してくれた。
数分もしないうちにタクシーが来て、
私とチャーのアンコールワットの旅は始まった。
偽善?同情?情け?カッコつけるな?
全部ファックだ。
ごちゃごちゃうるせーんだよ。
耳が聞こえない片目が盲目の彼に、
完全に盲目になる前に産まれた国の宝を見せてやりたい。
理由はそれだけで十分だ。
人生初のアンコールワット。
Deafの現地の少年と二人。
こんな思い出一生忘れるわけがない。
前編 -完-