第八話「ベルリンの拾う神ダニエル」-後編-

8th Jul 2020 by

 

 

 

人類皆兄弟。

差別の時代じゃない。

 

誰がそんな寝言言ったんだ。

 

今だって世界中ガチガチの白人至上主義じゃないか。

自分自身そういう意味では白人を差別している。

差別している奴を差別している。

 

 

ベルリンのどこなのかもわからない警察署。

パトカーから下され署内の取調室的な個室に連行された。

すれ違う警官達全員が敵にしか見えなかった取り調べ室に行くまでの間、

突き刺さるような白い悪魔達の冷たい視線は今でも忘れられない。

神にでも捨てられたかのように最悪な状況だったのは間違いない。

 

個室に入れられてからもドイツ語で質問を重ねてくる警官達。

シラフに戻りさっきまでパニック状態だったのも束の間、

理解不能の言葉でひたすらに責め立ててくる警官達にイラつきが生まれてきた。

何度か経験してきた感覚だが怒りにはパニックを超える力がある。

 

「だからドイツ語はわからないって何回言ってんだ。英語か日本語ができる通訳を呼んでくれ。」

 

この言葉を一点張り。

何を聞かれてもそれしか言わなかった。

担当の警官は呆れたのか数分で部屋を出て行き、代わりに白人女性の警官が入ってきた。

 

「あなた日本人ね?私が今からあなたの状況を通訳するから、わからないことや、違う点があったら私にその都度言いなさい。いい?」

彼女は流暢な英語で説明を始めた。

 

「まずあなたは今傷害罪で逮捕されている。あなたには黙秘権があって、ここでの取り調べの発言は証拠として記録されます。仮に起訴になった場合、その発言は証拠として法廷で使用されるから。あとあなたには弁護士を呼ぶ権利がある。わかった?」

 

「は?傷害罪?ふざけんな。黙秘なんてする気はない。まず俺は向こうに最初に殴られたから殴り返しただけだ。あと何で俺だけが逮捕されるんだ?これは紛れもない人種差別だろ。」

 

「あなたが殴った相手が被害届を出したから逮捕されてるの。相手が言うにはあなたがビール瓶で殴ってきたと言ってる。あなたが言うように向こうから手を出してきたと言うのが事実なら、あなたも被害届を出しなさい。それから裁判で争うことになる。明日国選の弁護士を呼んでるから弁護士まず話しなさい。」

 

「裁判?国選弁護士?その弁護士は英語わかるの?」

 

「それはわからないわ。とにかく明日弁護士と話して決めて。取り調べも明日。もう今日は寝なさい。」

 

「そいつが英語わからなかったらどう説明すんだよ?あんたが通訳してくれるのか?まずこんな状況で寝られるわけねーだろ。」

 

通訳の女性は罵声を飛ばす私に感情を見せるわけでもなく、

ただ何も言わず部屋を出て行った。

 

逮捕当日の夜はそこで取り調べは終わり、

そのまま署内の留置所にぶち込まれた。

頑丈な柵がぎっしり詰まった4人部屋。

汚れまくった便器一つに低い仕切りがあり、

もはやベッドと言うかベンチぐらいのサイズの

折りたたみ式の金属板が簡易的に壁に付いているだけ。

ぶち込まれた部屋の中には2人のドイツ人らしき奴らがいた。

奴らは2人とも柵に寄りかかり体育座りをして下を向き、

一切話もしてこない。

私も彼らを真似るように柵にもたれかかり、

自然と同じポーズになっていった。

 

これからどうなるのか。

 

日本大使館に連絡してもらったほうがいいのか。

いやでも判断を焦るといい方向に行ったことがない。

特に隠すこともないんだ。

ありのままを伝えて戦ってやろう。

 

まずは明日の朝、弁護士と話して全てを決断することにした。

柵の向こうに見えるA4サイズぐらいの小窓は少し明るく、

金属板の上に寝転び目を閉じたのは恐らく朝方だった。

時折目を開けると見える留置所の天井をただぼーっと眺め、

現実逃避を求めてまた目を閉じる。

この繰り返し。

全く寝付けない逮捕初日は、

目蓋の裏に滲むように浮かぶこの先の不安達を、

強引に一つ一つ潰していくことしかできなかった。

マジ最悪だ。

 

 

「おい日本人。弁護士が来てるぞ。出ろ。」

 

ほとんど寝れなかった初日は去り、

早朝看守から呼ばれ体を起こした。

看守に言われるがままに昨日の個室に連行され、

そこに70代ぐらいのおじーちゃんが座っていた。

 

まさかこのじーちゃんが弁護士なのか。。

 

「おはよう。昨日は眠れたかな?私が君の弁護人だ。私との会話は誰にも聞かれていないから全て正直に話してほしい。いいかい?昨日説明されたと思うけど、君は今相手側が被害届を出しているから傷害罪で勾留されている。私は示談に持っていこうと思っているんだが君はどうしたい?」

 

おじーちゃん弁護士は英語ペラペラだった。

助かった。

昨日からの一番の不安要素だったのもあり、

その点に関しては一気に安心が込み上げた。

あとは正直に話せばいいだけだ。

 

「いやいやまず示談とかじゃなくて、俺は相手に殴られたからやり返しただけだし、今でも悪いと思っていない。こっちも被害届を出して裁判で戦いたいと思っている。」

 

「なるほど。ただ君は自分が殴った相手が何歳か知っているかい?18歳だよ。未成年。この時点で裁判になった時、君の方が正直分が悪い。しかも君は外国人だ。実際は相手が悪かったとしても裁判の結果が君にとっていい方向になるかは保証できないし、相手と裁判で争うならそれなりにお金もかかる。その覚悟はあるかい?」

 

「18歳?だから何なんですか?事実最初に手を出したのは向こうだし、目撃者もたくさんいる。年齢とか関係あるんですか?俺は今でも正当防衛だったとしか思っていないし、まず示談して何で俺が平伏さなきゃいけないんだ。しかも金なんてない。」

 

「私は君の言っていることが間違っていると言っているわけじゃないんだ。ただ落ち着いて考えて判断するべきだと言っている。選択しやすいように簡単に説明するよ。仮に裁判で負けた場合、君は強制送還になるだろう。強制送還になった場合恐らくシェンゲン協定に基づいてこの国に加えて隣県3カ国に5年間もしくは10年間は入国できなくなる。それでも戦いたいかい?」

 

弁護士が淡々と伝えてくる今後の予想は、

自分の予想を遥かに超えたものでもう意味がわからなかった。

示談なんて言葉だけで結局金で解決するってことだ。

しかも何で俺があのガキに頭を下げて金まで払わなきゃいけないんだ。

意味がわからない。

当然すぐに納得できるわけもなかったが、

裁判になった時の金のことなんて考えてはいなかったのも正直なところだった。

金もない自分が裁判もできないのは認めざる得ない事は、

弁護士との会話の中で薄々わかってきていた。

 

しかも裁判で負けた場合のリスクもデカすぎる。

無力でもどかしい悔しさに頭を抱えることしかできなかった。

 

「…仮に示談に持っていくとしたらどうなりますか…?」

 

「まだ交渉していないからわからないが、相手に怪我の治療費と慰謝料で数千ユーロ払うのが通例だろう。」

 

「数千ユーロ?そんな金持っていないです。しかも裁判する金もないです。」

 

「なるほど。金を貸してくれる知人はいないかい?それか日本から送金してもらうことはできない?」

 

「この国にも友達はいるけどそんなこと頼めないし、日本の友達家族にも頼みたくないです…」

 

「友達はドイツ人?」

 

「そうです。ダニエルっていう私が泊まってるユースホステルで働いている奴がいるんですけど、そいつに言って着替え持ってきてもらえませんか?」

 

「わかった、取りに行ってみるよ。まあとりあえず今日相手側の両親にあって話をしてみるから。何とか被害届を下げてもらえるように交渉してみるよ。」

 

「ありがとうございます。」

 

弁護士はそう言い残し部屋を出て行った。

絶望感に抱きこまれた私は個室の机の上でただ頭を抱えた。

そして数分もしないうちに弁護士と入れ替わるように昨日の女性警官が入って来た。

 

「じゃあ取り調べ始めるわね。昨日の出来事の一部始終をこと細く教えて。」

 

もう半分どうでも良くなっていたのかもしれない。

私はありのままの昨日の出来事を包み隠さず冷静に伝えた。

多分このまま起訴されて強制送還だ。

もし時間にコマンドZがあるなのら今すぐに押したい。

そんな気持ちだった。

投げ続けられる質問にも全てありのままに答え、

昨日の出来事を改めて振り返りながら細かく話した。

 

だが話しを続けているうちに別の後悔が生まれてきた。

 

それは昨日自分がした事への後悔ではなく、

示談という選択を考えてしまった後悔だった。

 

自分の正義に嘘ついて賢さを選択しようしたら、

気持ちも弱くなり迷いが生まれてやがて後悔に変わった。

今でも間違っていなかったと思ったなら迷う必要なんて無くて、

貫き通さなかったから後悔に追いつかれて背中を追いかけた。

賢く生きるか正直に生きるか。

どちらを選択しても失うものと守られるものがあるのなら、

私はその時正直に生きたいと思った。

今の状況を受け入れよう。

取り調べも裁判でも本当のことをういうだけ。

示談もしないし、金も払わない。

 

取り調べは1時間くらいで終わり部屋に戻された。

部屋では全くやることなんてない。

何をするわけでもなくただ柵に持たれ地面を見たり天井を見たり。

柵の向こうの小窓が暗くなるまでの間が永遠かと感じるほど長く感じた。

でも気持ちは何かが吹っ切れたような感覚で、

あれだけ荒れていた心は中心で静かに座っていた。

 

240pのスーパースローで流れる時間。

 

いつもの何十倍もの遅さで日は沈み夜は明けた。

 

三日目の朝。

また朝から看守に呼ばれ個室に連行されると、

おじーちゃん弁護士が座っていた。

 

「おはよう。着替え看守の人に渡しておいたから。昨日早速相手の両親のところに示談の交渉に行ってきたよ。示談金は治療費含めて全部で3600ユーロ。示談には前向きな印象だったからお金があればすぐ出れるんだけどねぇ。やっぱり無理そうかな?」

 

「行ってもらってすみません。昨日考えたんですけどやっぱり示談はいいです。金もないんで。」

 

「そっか。昨日相手側の両親に会った後にユースホステルに寄ったんだけど、皆相当心配していたよ。ダニエルはあいつは無実だってずっと言っていたし。どうにか日本からでも送金してもらえないのかい?」

 

「いやいいです。もう強制送還になってもいいんでこのまま進めてください。」

 

「そうかぁ。じゃあこのまま進めるよ。また何かあったら連絡しなさい。」

 

「ありがとうございます。もし会う機会があったら、ダニエルに大丈夫だっていっておいてください。」

 

「伝えておくよ。」

 

おじーちゃん弁護士が出て行き、後はまた昨日と同じ流れ。

取り調べで同じ質問を何度もされる。

昨日と言っていることに相違がないか確認しているのか、

昨日話聞いてた?ってぐらい同じことを何度も聞かれた。

取り調べをする警官ですら最後の方は飽きている様子にも見えた。

部屋に戻り、やることもないから筋トレを始めてみた。

映画でよく見てきた囚人が異常に筋トレをする意味が少し分かった気がする。

多分とにかくなんでもいいから身体を動かしたいのだと思う。

狭い監獄の中で全身が疲れ切るまで筋トレをひたすらにやった。

昼飯で配給されたカピカピのパンと一口サイズのチーズとミルク。

汗だくでがっついて食べていたら看守に呼ばれた。

 

「おいジャパニーズ。釈放だ。」

 

「え?マジ?何で?」

 

「早く出ろ。」

 

理解不能だった。

この5時間ぐらいで何があった?

相手の両親が同情でもしてくれたのか?

訳もわからないまま留置所から出され、所持品を返されて釈放された。

 

一階の出口にはダニエルとおじーちゃん弁護士が立っていた。

 

「いやびっくりしたよ!何で俺出られたの?」

 

「ダニエルが相手側に慰謝料全額払ったんだ。」

 

ダニエルは何も言わず少し笑みを浮かべハグしてきた。

 

「ありがとうダニエル。絶対金返すから。」

 

「金はいいからとりあえずユースホステル戻ってパーティーしようぜ。オリバーも他の従業員もいるから。」

 

この後、私とダニエルはおじーちゃん弁護士にユースホステルまで送ってもらい、

深夜まで一階のバーで盛大にウェルカムバックパーティーをした。

久々にここまでぶっ壊れるかぐらい皆も酔っ払て、

オリバーの目なんてほとんど開いていなかった。

ずっとニヤニヤしながらオリバーはつまらない冗談を飛ばしてくる。

そしてベロベロのオリバーは私の肩を組みこう言った。

 

「KIKI、ダニエルはマジでいいやつだぜ。あいつ皆に自分が借金してお前の慰謝料集めたんだ。もちろん俺も500ユーロ寄付したんだぞ。俺は貸しじゃない。寄付だぞ。寄付。お前は俺の友達だからな。」

 

オリバーの気持ちも凄く嬉しかったが、

何も言わずそこまでしてくれたダニエルに何より感謝した。

出会ってまだ1ヶ月ぐらいの外国人に自分だったらそこまでやってやれるだろうか。

口では多くを語らず行動で語るダニエルに憧れさえ抱いた。

この数日で起こった事は私の価値観のピースが一つ動いたタイミングでもある。

白人のネオナチをきっかけに逮捕されて、白人の友達の助けで釈放された。

留置所では白人全員が悪魔に見えて、

このパーティーで私の目に前の白人達は仲間に見える。

 

ありふれた言葉こそ経験しないと身にはならない。

やっぱ人間中身だ。

色や国で人を判断するのは間違ってる。

ダニエルの行動は想像を確信に変えてくれた。

 

パーティーも終盤。

大声でビリヤードをやってるやつ。

カウンターで楽しそうに酒を飲んでるやつ。

もうソファーで寝ているやつ。

外の喫煙所で一服してるやつ。

 

最高のパーティーだった。

終わり際にオリバーとビリヤードをしていると、

ダニエルが一緒にチルしようと誘ってきた。

私とダニエル、ベロベロのオリバーは外の喫煙所で一服した。

 

「ダニエルマジありがとう。俺明日から働くからちょっと待ってて。」

 

「金はいつでもいいよ。お前が返せる時でいい。でももしまた捕まっても俺に連絡しろよ。」

 

こいつは神なのか。

 

拾う神に私はベルリンで出会った。

 

 

 

後編 -完-

 

 

「ダニエルマジありがとう。俺明日から働くからちょっと待ってて。」

 

「金はいつでもいいよ。お前が返せる時でいい。でももしまた捕まっても俺に連絡しろよ。」

 

チルしながら3人で会話をしていると背の高い白人男2人が近づいてきた。

 

「いい匂いするじゃん。ちょっと俺らにも吸わせてよ。」

 

 

このなんでもない会話が最悪の事件に発展する。

ベルリンの本当の悪夢はまだ始まったばかりだった。

釈放当日に私はまたどん底に突き落とされる。

 

 

この続きは17話あたりで書きます。

 

 

 

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