第九話 「大阪のギャンブラー藤井孝」
15th Jul 2020 by KIKI
明日からLafayetteのルックブックの撮影が始まります。
ここ数年ずっとニューヨークでやってきたルックの撮影。
今回は日本での初めての撮影という事もありいろいろ楽しみです。
ご期待ください。
今回の主人公、藤井孝。
半年に一度定期的にやらせてもらっているルックの撮影は、
私にとって毎度彼を思い出すタイミングでもある。
彼が死んだのは5年前の2015年。
Lafayetteのニューヨークでのルックブック撮影の当日だった。
藤井孝は私の母方のじーちゃんだ。
つまり私の母の父にあたる人で、
彼は桁違いの自己中で亭主関白全開の昭和の男。
私はそんなじーちゃんが大好きだった。
アメリカに住んでいた頃も一時帰国する度に大阪までじーちゃんに会いに行っていた。
じーちゃんは生まれも育ちも大阪の高槻。
6人兄弟の末っ子で、戦争に行きたかった。が彼の口癖だった。
「僕も兄弟達と一緒に戦いたかったですわ。今でもそれだけは悔いが残ってるな。」
戦時中じーちゃんはまだ幼く、戦争には駆り出されず実家で母親と過ごしていたらしい。
6人兄弟の内、上の3人は戦争で戦死し、じーちゃんはいつまでもこの兄弟達を誇りに思っていた。
戦争で戦うということに関して私達の世代とは全く違う価値観を持っていて、
戦争時代を経験したじーちゃんの口からまさか参加しかったという言葉がでくるのには私自身正直驚きもあった。
戦争が終わり、やがてじーちゃんが結婚した私のばーちゃんにあたる人は警察官。
ばーちゃんはじーちゃんとは正反対の性格で人格者の代表みたいな人だった。
警察を退職後は日本舞踊の先生をしていたり、
私や兄にもとにかく優しくて亭主関白全開のじーちゃんの世話も文句一つ言わずにしていた。
そんなばーちゃんも私は大好きだった。
じーちゃんは何年も職業訓練場に通い、
仕事については辞め、また訓練学校に通い、
一行に定職につかない現代の言葉で言えばニート。
何でそんなじーちゃんと勤勉な警察官のばーちゃんが結婚したのかは幼い頃から不思議でならなかった。
ちなみに私の母はばーちゃんによく似ている。
その点の関しては本当に良かったと思っている。
じーちゃんの趣味はパチンコと宝くじと競馬。
私がまだ下の毛も生えない小学校低学年の時から、
私と兄を連れて行くのはいつも大阪市内の馬券場だった。
「ここで待っとき。」
そう言われいつも私と兄は馬券場の大きな柱の前で待たされていた。
ちなみに勝ったところは一度も見たことはない。
別の日は甲子園の決勝戦に連れて行ってやると言われ、
また兄と3人で行ったのは良いものの2回表ぐらいで暑いからもう帰ろうと言い始め、
そのまままた馬券場に連れて行かれた。
あれは沖縄尚学が初めて優勝した夏だった。
また別の日は、ばーちゃんが私と兄が来ているから、
「あんたこれでこの子達に何か美味しいものこうてきて。」
じーちゃんに1万円を渡しボロボロのママチャリで出かけて行ったじーちゃん。
買ってきたのはスーパーで特価になっていた500円の寿司のパックと宝くじだった。
お釣りの¥9500で宝くじを買っていた。
今書いていても笑えてくるじーちゃん。
こんなギャグみたいなじーちゃんはスーパーヘビースモーカーでもあり、
縁側で寝転びながらずーっとタバコを吸っていた。
そして後に肺がんになった。
私が15歳の頃、タバコを吸い始め、母にもばーちゃんにも辞めろと言われる中、
「純ちゃんタバコを始めたんか?!それはええ事やな!庭で一緒に一服しよか。」
一人だけ孫の喫煙を喜んでいた事も思い出深い。
肺がんを宣告された医者にもタバコを辞めろと言われてブチ切れていた。
「先生、タバコ辞めたら僕は生きてる意味ないですわ。せやから辞めません。それで死ぬんやったら構いませんわ。」
もうめちゃくちゃだった。
病院から帰ってきたじーちゃんは母とばーちゃんにも同じような事を言っていた。
「タバコ辞めろ何ていう医者にロクな奴おらへんわ。あの先生はあかんわ。」
肺がんの患者にタバコを辞めろと言わない医者がいるなら教えて欲しい。
それからもタバコは辞めず、私が遊びに行く度に嬉しそうに一緒にタバコを吸おうと誘ってきた。
じーちゃんの身体は心配だったけど、
嬉しそなじーちゃんを見ていたらこの方が幸せなのかもなとも思った。
今でも縁側でタバコを吸うじーちゃんの後ろ姿は目蓋の裏に焼き付いている。
それから数年後、じーちゃんは白内障にもなり、家で過ごすのも困難になった。
介護施設付きの老人ホームに入り、じーちゃんの元気がなくなっていくのは目に見えて分かった。
見舞いに行くたびに、耳も遠くなっていっていたし、目も見えているのかわからない様子だった。
それでも禁煙とデカデカと書かれた老人ホームの部屋でタバコだけはずっと吸っていた。
もうシカトを超えて完全にアナーキー。彼を支配できる者などいなかった。
それから1年後くらいの夏。
私はニューヨークに向かう前にじーちゃんに逢いに老人ホームに向かった。
もうこの頃にはじーちゃんは寝たきりになっていて、ラジオから流れる競馬の実況だけが部屋に響いていた。
「じーちゃん元気?大丈夫?また週末からアメリカ行くよ。」
「純ちゃんが行ってるのはアメリカの東ですか?西ですか?」
「ニューヨークだから東だね。」
「東はええとこや。」
「え?知ってるの?じーちゃんニューヨーク行ったことあんの??」
「いやないけどな、わかんねん。東はええでー。」
1人笑いながら話すじーちゃん。
こういう意味不明なところも大好きだ。
話している時から気になっていたが、
じーちゃんの布団の隣には30、40枚くらいの散乱した万券があった。
「じーちゃん金が散らかってるよ。ちゃんとしまわないとダメだって。またばーちゃんに怒られるよ。」
「純ちゃんな、金なんて死ぬ前はただの紙切れや。こんなもんに振り回されたらあかんで。あと純ちゃんがこれからもし何か迷った時はな、その時は奥さんの意見に従ったほうがええで。あの人たち女の人はな答えを知っとんねん。男はいつまでもアホやねん。おじーちゃん見てたらわかるやろ。あとな、人生は一歩前進二歩後退や。ええか?」
「じーちゃん、一歩前進二歩後退じゃ一歩も前に進んでないじゃんw」
「それでええねん。いつも一歩進む事に意味があんねん。振り返るのはあかんで。後ろに下がれば自分が見えるやろ?進むだけやと皆天狗になんねんで。人生そんなもんやで。」
じーちゃんはゲラゲラ笑っていた。
そしてこれが最後に私がじーちゃんと交わした最後の会話になった。
その一週間後、私はニューヨークでの撮影当日の朝に妻からの国際電話でじーちゃんが死んだ事を知った。
覚悟はしていたがやっぱりめちゃくちゃ悲しかった。
私の中でじーちゃんとの最後の思い出のロケ地はニューヨークとなった。
帰国してからすぐに大阪に向かい、
じーちゃんの墓に妻と母とばーちゃんと共に線香をあげにいった。
帰り際に皆で喫茶店により、ばーちゃんに聞いてみた。
「ばーちゃんは何でじーちゃんと結婚したの?」
「何でやろなwわからへんwせやけどあんたらが生まれてきてくれたからそれだけでおばーちゃんはええねん。あの人無茶苦茶な人やったけどなおもろいやろwおばーちゃんはもう人生に後悔は一個もないわ。」
いつか私もこの境地までたどり着けるだろうか。
幸せっていう感覚はタイミングによってツボが違う気がする。
子供の頃は夜親父とコンビニにアイスを買いに行くだけで幸せだった。
外の夜の匂いを嗅ぐだけで興奮できた。
今はどうだろう。
正直金を生み出すことで快感を感じたり、
いい写真をとれた瞬間が興奮の瞬間だったり、
またあの頃とは違うツボに幸せというか快感を感じている。
ただ私もこのまま運良く寿命を迎えることができるのなら、
最後は妻と過ごせたことが人生で一番の幸せだったと言っていたい。
ばーちゃんが言ったように後悔は一個もない人生だったと言っていたい。
女性は答えを知っている。
じーちゃんの言った通りなのかもしれない。
本当に迷った時は妻に相談しようと思う。
明日から始まるLafayetteのルックブック撮影。
私にとってこの仕事には特別な思いがある。
気合入れて撮ってきます。
RIP my crazy grandpa.
I love you.
-完-