TAG : #LafayetteCrew
THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW #8
26th Jun 2020 by A-KILLA
Lafayetteのヒストリーに欠かせない世界的コネクションをご紹介していく
『THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW』
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今でこそ東南アジアのヒップホップアーティストは多くなり珍しくもなくなったが10年以上前は違った
日本と同じくアメリカとフィールドの違う東南アジアは日本より英語文化が根付いていたとはいえ
アメリカと同じような道のりを作るのが難しかった
そのパイオニアとして成りあがったアーティストの一人こそジョーなのである。
90年代より活動を開始し、早い段階でitunesチャートに登場を果たす。
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カニエ・ウエストのオープニングアクトを務めたりソロアルバムが音楽賞を受賞するなど着実に成功の階段を昇って行った。
今では国内に9つの理髪店と音楽ビジネスそしてヒップホップ好きなら一度は耳にしたことがあるであろうデフジャムの東南アジア支部を任されている。
また、NIKEと契約しCOACHの公式モデルとしても活動している。
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ジョーといえば記憶に新しいのがこちら
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Lafayetteとの交友は2010年ごろから今に至るがその詳細は動画のインタビューを是非見てほしい。
Lafayettecrewもジョーもお互いの国を何度も行き来し交流を深めている。
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アジアで名を馳せる先駆者達にも愛され続けるLafayette
我々が掲げ続ける『CREW』の定義を改めて再確認できる日が近づいている
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THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW #7
24th Jun 2020 by A-KILLA
日本から世界へ
ストリートウェアの素晴らしさを共有し続けるLafayetteの17年の歴史をご紹介している
『THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW』
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『RAEKWON』
言わずと知れたヒップホップレジェンドクルー『ウータン・クラン』のMC
90年代の黄金期を支え、音楽だけに留まらず様々なビジネスを手掛けるなど
今のアーティスト達の指針となるライフスタイルの開拓者としても慕われている
レイクォンとしてもウータンクランとしても今だ現役で活動を続け世界中に影響を与え続けている
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Lafayetteとのリンクは五年ほど前、現地のエージェントと友人を通じてスタジオに来てくれた
その後もメッセージを送ってくれたりLafayetteへの愛を届けてくれている
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レイクォンと言えばこちら
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このSNOWBEACHジャケットが今でも高値で取引されている
火付け役はレイクォンと言っても過言ではない
デビューから実に30年ほど経った現在でも活動を続け皆に愛される伝説的存在がLafayetteとリンクできたことは大きな財産だ
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THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW #6
23rd Jun 2020 by A-KILLA
17年の歴史の中でLafayetteが築いてきた幅広い歴史をご紹介する
『THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW』
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ニューヨークはブルックリン出身
今ヒップホップの枠を越え全世界にその名を知らしめるラッパー
ただその有名さは良くも悪くも多くあり、たどれば出身や所属、言動に至るまで自由でまさにお騒がせ
元々同郷のジョーイ・バッドアス率いるプロ・エラの弟分としてカメラマンをしていたわけだが
周りの環境もあってか10代でラップを始め同じニューヨークですでに人気が出始めていた若きプロデューサー『ピエール・ボーン』
のトラックを無断使用してリリースした曲が大ヒット
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しかもその時はブラッズ(赤ギャング)に所属していたが元々クリップス(青ギャング)だったのに勝手に脱退していたことで両サイドから反感も買ってしまう
大騒ぎの中、彼のキャリアは上昇していき今では様々な大物達に『目をつけられている』注目の人物になったわけだ。
そんなシックスナイン、前述のプロ・エラのメンバーで兄貴分として慕うダーティー・サンチェスと共にMV撮影で旧PRIVILEGE NEW YORKを訪れた際
気に入ってLafayetteなど数点ゲットしてくれた。
彼は今保釈の身ではあるが、また正しく認められた形で再会したいなと思うww
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こんなクレイジーなアーティストも、Lafayetteのコンセプトに好感をもってくれているのは本当に有難い
色んなアーティストの形があるが、老いも若きも支持されるコネクションの広さはまさに
Lafayettecrew
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THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW #5
19th Jun 2020 by A-KILLA
日本から世界へ
画面越しに見ていたあのアーティストへ繋ぐ世界的コネクション
『THE WORLWIDE LAFAYETTECREW 』
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世界的DJクルー『THE HEAVY HITTERS』に所属しセレブが集うビッグパーティーにも出演
更にはNY老舗HIPHOPラジオ局『HOT97』でもレギュラーをもつ
92年からキャリアを開始、そのスキルには大御所のDJ FUNKFLEXも唸らせる
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Lafayetteとの親交も10年近く経っており、アメリカはもちろん日本や東南アジアでのイベントにおいても
出演を果たしている。
Lafayetteコレクションモデルとしても登場したことがあり、LF愛が止まらないナイスガイ
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彼は今でもLafayetteを愛用してくれていて、NYに訪れる際は出会う機会を作ってくれる優しい大男なのだ。
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ちなみにFATFINGAZとGETLIVEは同郷の仲良し
NYに行くと二人でスクラッチバトルで遊んでいたりすることもw
Lafayetteには人柄の良いメンツがホントにたくさん集まっている
まさに人情で保たれているLafayettcrew
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A-KILLA
HISTORY OF Lafayettecrew 2003~2009
13th Jun 2020 by A-TOY
6月も半ばですね。
アイスコーヒーが美味しい季節になってきました。
キャンプシーズンはまだかなーとうずうずしております。
皆様、いかがお過ごしでしょう?
このタイミングでLafayetteの歴史を年表的に振り返ってみようかと思います。
知っている人は懐かしい~とかなるかもしれません。
長いですがお付き合いください。
「Lafayettecrew」
いま現在、Lafayetteがブランドとして成り立っているのは
このコトバに全てが集約されているかもしれない。
2003年、5月1日。
藤沢駅のホームから見えるレンガのビルの2Fから始まったLafayette。
藤沢にお店をオープンした時のLafayettecrewのメンバーはJUNとBENと自分の3人だった。
就職活動を蹴ってまで、まだ見ぬLafayetteに可能性を感じて自分はCREWの一員になることを選んだ。
当初はアメリカからのセレクトと古着がメイン。オリジナルTシャツは2型から始まった。
オリジナルブランドでありセレクトショップであるLafayetteの始まりだ。
1人がお店を回し、残りの2人でNYやLAに買付に行くスタイル。
たまに地元の後輩(後のMOJA)にお店を手伝ってもらったりしていた。
最初の1、2年は勢いのみでお店を運営していた。
リアル、マイノリティー、ワン&オンリー。
当時は、怖いものなしだったかもしれない。
地元江の島のオッパーラで開催したオープニングパーティーは満員御礼。
17年間で色々なパーティーを主催してきたがこのパーティーが全ての始まりだ。
現在でも変わらないが当時から知り合いのアーティストを呼んでは彼らをサポートしていた。
Lafayettecrewのメンバーはドンドン増えていった。
2004年、セレクトショップ「Lafayette」2号店となる Lafayette Yokohama をオープン。
ネクストにも程があるんじゃないかってくらいの2店舗目をスピード出店。
この時も仲が良いお店のスタッフ(後のTANA)何人かをヘッドハンティングした。
今ではLafayetteはオリジナルブランドとしてのイメージがあると思うが、
オープン当初から海外からの並行輸入がメインのセレクトショップ。
これはLafayette Yokohama をオープンした時のチラシだ。
元ネタはBEASTIE BOYSのTO THE 5 BOROUGHS。
そのまんまですね、ってツッコミはさておき。
毎日ローテーションで横浜駅前で配っていたのは懐かしい。
横浜の地は藤沢に比べアウェーではあったが、徐々に横浜でも名が知られていくことになる。
NEWYORKに買い付けに行く頻度も増えて海外でもコネクションを作り始めた。
当時からワールドワイドにお店を広げていくという目標があった。
その為には先ずは自分達が育ってきたローカルで成功しなければ先はない。
お店を大きくするためには色々な土地での「繋がりの連鎖」が必要だった。
横浜の地にもLafayettecrewは増えていった。
余談程度にLafayetteで初めて作ったSHOP CARDがコチラ。
MetroCardのサンプリングが初々しい。
2005年、Lafayette YOKOHAMAを2フロアに拡大リニューアル。
自分達の原点であるアメカジのフロアとストリートのフロアが出来た。
当時はRalph LaurenやRRLの品揃えは横浜でも随一だった。
NYのセレクトブランドを強化し、Annex、Vehicle、UXAなどのスケートブランドにも力を入れていた。
ここへ来れば間違いないっしょ、なお店になってきた。
この頃から自分達のオリジナルブランドを展開していこうと意識するようになった。
今では当たり前に皆様が利用しているLafayette ONLINE STOREをオープンしたのもこの頃だった。
サイトの作りは抜きにして当時オンラインストアに着手するのは周りに比べて早かったと思う。
2006年、徐々にLafayetteのサポーターは増えていき、日本国内を飛び越えて海外までサポーターは広がっていく。
当時、取り扱っていたNYの「J.MONEY」というブランドのディレクターであるJAMIE STORY。
彼とのワッツアップがLafayetteの方向性を示してくれたと言っても過言ではない。
彼の交友関係から様々なNYの重要人物たちを紹介してもらい海外のコネクションが一気に広がる。
横浜の聖地「THE BRIDGE YOKOHAMA」にてLafayette 3rd Anniversary Partyを開催。
PRIVILEGEの名付け親でもあるDJ CLARK KENTをGUEST DJに招いた。
SUPREME OGメンバーのNEAL SANTOS、SSURのRUSSなどストリートの重要人達も来日。
ドキドキワクワクが止まらない面子。
当日は入場制限がかかるほどの集客でCLUBの入場者数の歴代記録を打ち出し大きな話題を呼んだ。
2007年、ブランド「Lafayette」として本格的に始動。
皆さんお馴染の「Lafayette」のコアロゴが生まれたのもこの頃だ。
この頃からフルコレクションで展開し始め、LOOKBOOKを手探りで作り始めた。
当時の国内ディーラーは12件だったのか。とか思い出す。
XTRさん、CLICKさん、LAY-Z-BOYさん、YOUNG’Nさんなどはこの頃から名を連ねている。
この場をお借りして長いお付き合いして頂き有難うございます!!
SUPREMEの正規ディーラーを始めたのも確かこの頃だ。
この年、Lafayette 4th Anniversary Partyを横浜BAY HALLにて開催。
初めてのデカ箱でのパーティー。
ステージからロゴのTシャツをばら撒いた。
GUEST DJにレジェンドMURO(K.O.D.P)を招き、個人的にもブチ上がっていた。
結果、1000人オーバーの集客でフロアが終始パンパンだったのは今でも記憶に残っている。
2008年、ブランドとして本格的なコラボレーションを名立たるブランドと展開。
Frank151 x Lafayette
Deadline x Lafayette
Teamworks x Lafayette
DJ Clark Kent x Lafayette
Ally & DIA x Lafayette
Chatty Chatty x Lafayette
J.Money x Lafayette
Sneaktip x Lafayette
La Carrera x Lafayette
Acaplco Gold x Lafayette
世界中のストリートカルチャー好きにはお馴染みのメディア「HYPEBEAST」にも取り上げられた。
当時のストリートシーンに大きなインパクトを与えられたのではないか。
「MIX DA NEW THING」と題した2008Spring/SummerのLOOKBOOK。
モデルは当時のLafayetteスタッフ達。横浜と藤沢で撮影した。
マジでおまえ誰~?はさておき。
試行錯誤してLOOKBOOKを作り上げていたのは懐かしい。
Lafayette主催の臨月パーティー「VIRGIN」が始まったのもこの頃。
色々なアーティストと繋がりを強固にしたのもVIRGINがあったからだと思う。
2009年、言わずと知れたHIP HOPレジェンドWu-tang Clanのメンバー「U-GOD」とのコラボアイテムをリリース。
U-GOT本人も来日し開催されたLafayette 6th Anniversary Party。
横浜BAY HALLをHIPHOPフロア、同敷地内のCONTINENTALをREGGAEフロアに分け大盛況に幕を閉じた。
本場NEWYORKでLOOKBOOKを撮り始めたのはこの頃。
今まで培ってきたNEWYORKのストリートコネクションを武器に世界にLafayetteの名は広がりつつあった。
Lafayetteブランド設立時からのスローガンである「KEEP IT REAL」。
自分らしくいながらも、リアルを貫いていく。
アパレル業界の中でブレないスタイルを貫き続ける。
スローガンは内にも外にも浸透しつつあった。
この頃から、今まで積み重ねてきた「経験がものをいう」時代に突入してきた。
~続く~
A-TOY
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THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW #3
11th Jun 2020 by A-KILLA
Lafayetteが繋ぐ世界規模のコネクションをご紹介する
『THE WORLDWIDE LAFAYETTE CREW』
第三弾
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『SKYZOO』
ブルックリン出身でアングラHIPHOPを語るうえでは欠かせないリリシストの一人
東海岸を含め、USのヒップホップシーンが大きく変化していった2000年代に若かりし頃のNASのごとく
あくまで男臭く社会的なネタをふんだんに使用したスタイルでアングラでの確たる地位を築いた。
デビューは2006年とそこまで古くはないものの、ラップを始めたのはなんと9歳
そしてデビュー前から故J-DILLAや9TH WONDERらと仕事をして既に注目の的だったスキルの持ち主
2009年には老舗レコードレーベルであるダックダウンと契約し一気にスターダムを駆け上がる。
Lafayetteとは前回紹介したPETE ROCKを始め、共通の仲間達を通じて出会いそれから今でも愛用してくれている。
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2016年には日本屈指のラップクルーGAGLEからHUNGER,6TH GENERATIONと共にコラボも果たしている。
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SKYZOOの素晴らしい人となりは有名な話で
PRIVILEGE NYCがOPENした際にも祝いに駆けつけてくれたまさに漢
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今では音楽はもちろん、俳優としても活躍するSKYZOO
彼がいたからこその新しい繋がりもLafayette crewにふさわしいと言える
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THE WORLDWIDE LAFAYETTE CREW #2
11th Jun 2020 by A-KILLA
設立18年目を迎えたLafayetteがこれまでの世界的な絆をご紹介する
『THE WORLDWIDE LAFAYETTE CREW』
ブランドの認知度と愛が日本からどこまで広がっているのかを是非ご覧あれ
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今でこそ90’sクラシックなんて言葉が当たり前になっているけれど
そのクラシックを作った立役者の一人
ジャズとヒップホップを融合させ、東海岸の礎を築き上げた内の一人でもある
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90年代初頭はPETE ROCK&CL SMOOTHとして脚光を浴び
その後はソロとしてもラッパー/プロデューサーとして多くの作品を手掛けてきた。
NOTORIOUS B.I.G,NAS,RAKIM,EPMD,RUN-DMC,JAY-Z,SMOKE DZA
挙げたらキリがないほどの名作を世に生み出してきた伝説的音の魔術師
日本にも幾度となく来日、その中でもLafayetteとはコラボリリースも果たしている
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PETEはただ単に『凄かった』人ではなく、『今もなお凄い』人であり
前にも紹介したGRISELDAの面々など今の東海岸のシーンにも影響を与え続けている
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彼との親交はLafayetteを語るうえで欠かせない『CREW』ヒストリーの一つ
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THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW #1
5th Jun 2020 by A-KILLA
Lafayette が設立されてから今年の5月で18年目。
世の中コロナだ差別だ災害だ、とあらゆる試練を強いられている。
神様が最初に決めた『支え合ってこそ人なんだぞ』ってことが課題になっている
家族であり、仲間であり、友達であり、仲間であり、先輩であり、後輩そして恋人
英語で言うところの『CREW』
今こそ団結が必要
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そんなメッセージを込めてこれから定期的に紹介していく
『THE WORLDWIDE LAFAYETTECREW』
日本はもちろん、世界中に僕らの熱意を掴んでくれている仲間達がたくさんいて
皆が多種多様のスキルの持ち主
改めてご紹介していこうと思う
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生きる伝説として52歳の今もなおブラックミュージック界においてその名を轟かせ続けるトッププロデューサー
9歳でDJを始めてバトルやスクラッチはもちろんクラブプレイもお手の物、更には同郷にしてあのJAY-ZやNOTORIUS B.I.Gの先輩そして盟友としても知られ
彼らの楽曲も手掛けてきたことでも知られている。
その他にも手掛けたアーティストはMARAIAH CARRYやRAKIMなどなど。。
Lafayetteととの親交は実に10年以上も前から始まっていて、ご存知PRIVILEGEと命名したのもCLARK
日本にも何度も来日しており、Lafayetteが主催するPARTYを始め様々なBIGイベントにゲストとして招致されている。
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お気づきの方もいるかもしれないが、CLARK KENTとはDC COMICSを代表するアニメの一つであるスーパーマンの主人公の名前に由来していて
その名のごとく現場でのスキルは天下一品
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更にはそのファッションセンスからNIKEのコンサルタント活動も行い、自身のオリジナルスニーカーも発売された。
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名実共に認められた『OG』との深い交友関係
Lafayetteの歴史において切っても切れない海を越えた『CREW』の証明となっている。
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2020 #11 ~since 2003~
8th May 2020 by MOJA
5月1日にLafayette は17周年を迎え、18年目に突入しました。
その全ての始まりとなったLafayette FUJISAWAからは今までの17年の軌跡と思いを込めたLxFxHxQコレクションを発売し完売に。裏原系ドメスティックブランド全盛期に藤沢からスタートしたインポートセレクトショップは、数々のブランドが淘汰されていく中、17年後も皆様に当時と変わらないマインドを届けることが出来ています。
月並みですが、携わってくれている全ての人の力があってこそ。本当に感謝しています。
18年目突入と同時に、代表のJUNから#BESTOF_LF_TEEという企画がスタートしており、スタッフそれぞれがタンスをひっくり返しながら、17年の道のりを再確認しています。
その企画の中で今回自分がピックさせてもらったのはこの一枚。
17年前のグランドオープンの日、当時はまだ働いておらず地元の後輩の1人だった自分が、開店から並んで購入した最初のショップオリジナルTEE。当時はまだLafayetteはブランドとしては存在しておらず、藤沢のセレクトショップが店のオリジナル商品としてリリースしていた頃の一番最初のアイテムです。
実はこのTEE、処女作にしてコラボ。「GAZELLE」という3人組のアーティストクルーがデザインを提供しています。
現在皆さんがパッと頭に浮かぶLafayetteのロゴ、いわゆる「Lafayette CORE LOGO」が出来たのは誕生から4年後の2007年頃。今や世界中の人がブランドとイコールで認識しているこのCORE LOGOは、解散した「GAZELLE」の元メンバーだった一人、Seigo氏が外注で手掛けています。
後にその彼がLafayetteに加入し、長きにわたりブランドのメインデザイナーを務める事をまだだれも知らない頃に作られた、DNAの起源とも言える一枚です。
どうぞ皆様、18年目もよろしくお願い致します。
DJ Teddy King
21st Apr 2020 by JUN
今夜21時に、インスタアカウント、@lafayettecrewにて
NYからDJ TEDDY KINGが久々にDJ PLAYする。
現在、彼はPRIVILEGE NEWYORKを運営するアメリカの会社のマネージャー。
彼は、元々、DJ CLARK KENTの紹介出会った。
日本のブランドが大好きで、既にLafayetteをチェックしていた。
彼は、NYストリートブランドで一世風靡していた、KING STANMPEDで
働き、その後、Boundlessというブルックリンのセレクトショップ
で働いていた。出会ったのもその頃、2010年くらいか。
そう、PRIVILEGEが出来たくらい。
その後、Boundlessが閉店することのなり、自分から声をかけた。
元々彼は、DJで、当時NYでは数々の夜の現場でDJをしていた。
また、レコードディガーとしても、有名だった。
日本にも、何回か来日しており、横浜のLOGOSや、
PRIVILEGEの2周年では、AGEHAでもプレイした。
ここ数年、NYにお店も出来たのことと、結婚、子供が出来たことにより
現場でプレイはしなくなっていた。
今夜、久々に人前でプレイをする。
今、PRIVILEGE NEWYORKは休業し、1ヶ月以上。
NYは、今日本よりも過酷な状態が既に1ヶ月以上続いてる。
是非、NYに応援もかねて、エールを送って欲しい。