ARCHIVE : 2020/6

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Charman 2020 SS…

17th Jun 2020 by

CHARMAN 2020 Spring/Summer Collection

clothing:@charman.clothing

Model:@abelnakao

photographer:@__1__y__0__h__

Coming Soon…

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第五話「Made In Cambodia. 地雷孤児ヤーイー」-前編-

17th Jun 2020 by

 

 

 

 

「お父さん地雷踏んで死んじゃった。」

 

 

 

 

タイ、バンコクのフアランポーン駅。

ホームの反対側。

オレンジの衣装を纏った僧侶達が並んで髪を剃っている。

 

さようならタイランド。

 

タイにに来たのは約1ヶ月前。

厳密に言えばその間にインドネシアに5日間だけいたが、

タイにいたほとんどの時間をバンコクでは無くパタヤで過ごした。

パタヤはバンコクから約2時間ほどで着く観光地で、

行ったことがある人は頷いてくれると思うが、

バックパッカーにとっては楽園そのものだった。

 

欲しものは何でもあった。

 

クレイジーな街の空気にハマり、

着いてから2日目でウィークーリーアパートを借りた。

高層レジデンスの13階、

キングサイズベッドにバルコニー付きのいい感じの部屋。

1日1200円。

ベルリンで1ヶ月泊まっていたユースホステルは、

二段ベッドが敷き詰められた6人部屋で、

1日2000円。

 

ここに住みたい。ぐらいの好条件だった。

 

それから毎日パーティー三昧の物価も破格の楽園で、

狂った様な王様ライフは始まった。

ビーサンの王様は毎晩のように街で朝を迎えて、

夕方に起き、夜にはまた街に遊びに行った。

どこに行っても引っ張りだこの日本人。

自国での自分に対しての扱いとの違いに日々勘違いを重ねていき、

王様の末路はあっという間にやってきた。

 

四六時中ハイの、めちゃくちゃな昼夜逆転生活。

現地での扱いの良さにも虚栄心が芽生え、

やがて悪夢にうなされる毎日が始まった。

快楽だけを求めて寝起きを繰り返した結果、

不眠症になり勘ぐりがループした。

精神的にもコントロールが効かなかった。

正体不明の敗北感みたいなものに襲われるようになり、

毎晩の様に自己暗鬼が平常心をレイプする。

俗に言うバッドってやつだった。

寝ようと目を閉じると頭の中に投影される、

当たり前の様に見ていた路上の光景。

地べたに座る赤ん坊を片手に物乞いをする母親の目線がモナリザの様に外れない。

もう見慣れてしまっていた本来向き合うべき光景が根から腐った虚栄心を刺した。

 

頭パンク寸前。

一回ここを離れようと決めた。

 

それから急遽決めたカンボジア行き。

陸路で行ける場所なら正直どこでもよかった。

とにかくパタヤから出ないとダメになる。

すぐにアパートを解約し、

バンコクに戻り最安のカンボジアまでの行き方を探した。

陸路でいけば1000円ぐらいでカンボジアまで行ける。

駅の切符売り場で電車の三等車切符を買い、

カンボジアとの国境の街アランヤプラテートに向かった。

 

アランヤプラテートは路線の最終駅の一つ前。

大体6−7時間で着くらしい。

満員の乗客は私以外全員現地民だった。

何十年分の汗の染み込んだ木造の座席と、

電車の地面に座り込み魚の燻製を売るおばちゃん達。

乗車率120%のローカル線は想像を超えた過酷さだったが、

昨日までの楽園生活とは真逆の現実が半面嬉しくもあった。

エアコンなんてもちろん無く、

人の汗と魚の燻製の匂いがこもり切った車内は地獄の様。

徐々に重くなっていくタンクトップが、車内の熱気を物語っていた。

 

2−3時間が経ち、徐々に減っていく乗客と薄くなる燻製の匂い。

線路沿いに住む現地民の生活を横目に、

景色は街並みから自然に変っていった。

そして4−5時間が過ぎ、やがて車内には一人になる。

あと何駅先なのかもわからない。

窓の外には広大な農園と米粒サイズに牛が見える。

私はその時何故だか幸福感で一杯だった。

窓から抜ける風が最高に気持ちよく、久々に現実世界に帰ってきた気がした。

人工的快楽では得られ無いナチュラルな幸福感が、

まだ着いてもいないのにすでに安堵を生み始めていた。

 

人工はやっぱダメだ。

 

アランヤプラテートに着いたのは、丁度日が暮れた頃。

駅員一人だけの何もないホーム。

あたりを見渡しても本当に何もない。

ここで一泊して、明日の朝国境を越える予定だった。

駅員にホテルはあるかと聞くと、急に電話をかけ始め、

何言っているかはわからなかったが10分もしないうちにタクシーが来た。

 

「ホテル?」

 

話しかけてくるドライバー。

彼は英語を軽く話せた。

 

「そうホテル。明日カンボジアに行きたいんだけど今日泊まる所探してて。」

 

「問題ないよ!乗って!」

 

言われるままにタクシーに乗り、

行き先もわからないままドライバーは車を走らせた。

会話もないまま20分ぐらいすると、

モーテルらしき場所につき、

痩せこけた野良犬達がタクシーに群がってくる。

見る限り客らしき人は誰もいなかった。

ドライバーは受付に行き話をつけ、手招きをする。

もはやフロントって言っていいのかもわからない古屋だったが、

問題なく受付を済ませ部屋に誘導された。

ホコリくさいモーテルの部屋。

数日まともに寝ていなかった私はベッドにダイブし、

久しぶりに寝られそうな気がした。

No more Pataya…

 

翌朝、部屋のノックで目が覚める。

ベッドにダイブした後、そのまま寝ていたらしい。

久々の爆睡にまるで病気が治った様な感覚がさらに好調にさせた。

ドアの前には昨日のドライバーが立っていた。

 

「カンボジアの税関もうちょっとで開くよ!」

 

どうやら朝一に行かないと混むらしく、

すぐに準備しろと言われ、

言われるがまますぐに準備をしてタクシーに乗った。

国境にはすぐに着き、ドライバーと別れ、

タイの出国審査を抜けカンボジアの入国に向かう。

タイとカンボジアの国境の間には200メートルぐらいの無法地帯みたいな場所があった。

何件ものカジノが立ち並び、無数の子供達が金をベグってくる。

何か妙な違和感が漂う場所。

べグる子供をかき分けてカンボジアの入国に向かった。

入国にはビザの取得がマストで、その場でビザを取得する。

やはり日本のパスポートは最強だ。

大体の国で何の問題なくすぐに入国できる。

簡単な入国を済ませて税関に向かうと、

隣のレーンでは白人のハゲたおっさんがモメていた。

 

無事カンボジアに入国。

現在地もわからないいまま、

まずはアンコールワットに向かうことにした。

国境の係員にアンコールワットまでの行き方を聞くと、

アンコールワットはシェムリアップという街あって、

タクシーで2時間ぐらいらしい。

とりあえずタクシー乗り場に向かうと、

結構な人数の観光客らしき人達。

列に並びタクシーを待つことにした。

 

「シェムリアップ行くの?」

 

背後からブリティッシュなまりの英語が聞こえる。

後ろに並んでいた白人のおっさんが話しかけてきた。

よく見るとさっき税関でモメてたおっさんだった。

 

「そうだよ。アンコールワットに行くよ。」

 

「私達もその辺りに行くんだ。一緒に乗って行かないかい?」

 

おっさんは3人組で、4人で乗ればタクシー代は安くなる。

断る理由はなかった。

 

「いいの?じゃあ一緒に行こう。」

 

「泊まるところは決まってるのかい?」

 

「いや何も決めてないよ。向こう着いてから決めようと思ってる。」

 

「じゃあ丁度いい。私達が泊まるゲストハウスに泊まるといい。きっと一部屋ぐらいしているはずだから。」

 

「それでお願いします。」

 

タクシー代が浮き、面倒が一個省けた。

好調な滑り出しのカンボジア。

パタヤからのリハビリはいい感じになりそうだった。

おっさん達はベルギーから来たらしく、

カンボジアには何度も来ていて、

いつもシェムリアップに滞在すると言っていた。

ただのカンボジア好きのおっさん3人組。

この時はそれ以上何も思わなかったし、何の疑問もなかった。

 

おっさん達はよく喋る。

テンションも高く正直軽くウザいぐらいだ。

無駄話をひたすら続けていると、あっという間にゲストハウスについた。

現地の子供達が仲良く遊んでいる。

見た目は質素だが、アンティーク調でいい感じのゲストハウス。

一階には吹き抜けのカフェバーみたいなものもあって、

しかもアンコールワットのすぐ近くらしい。

好都合だった。

 

タクシーから荷物を下ろしていると、

フロントから男が一人ニコニコ歩いて来る。

おっさん達の常連具合がわかるほどもてなされていた。

私を紹介してくれ、運良く部屋も空いていて、

結局そこに滞在することとなった。

カンボジアに来て以来、全ての事がスムーズに進んでいた。

案内人に話をよると、ここは孤児院が経営するゲストハウスだという。

オーナーはオランダ人で、孤児を引き取り、

ゲストハウスでは孤児達も働いているらしい。

 

話をしながら部屋に案内され、

荷物を置きロビーに降りると、子供達が沢山いた。

小さい子は5歳くらいから、大きい子は高校生ぐらい。

リビングでくつろぐ大家族の様だった。

 

カンボジア最初の夜。

どこに行こうか。

一階のカフェバーでボーッとしてると、

おっさんの一人の部屋から10歳ぐらいの男の子が出てきた。

 

ここの子だろうか。

 

足早にゲストハウスから出ていく少年。

 

ここの子じゃないのか。

 

すると隣の部屋のもう一人のおっさんの部屋からも少年が出てきた。

 

また足早にゲストハウスから出ていく。

 

ん?

 

そして3つの7が揃うかの様に、

最後のおっさんの部屋からも子供達が出て来た。

しかも今度は男の子1人女の子1人。

 

考えただけで吐き気がする。

ベルギーのおっさん達は児童買春目的の鬼畜供だった。

 

もう人には見えなかった。

 

遊びに行く気にもならず、一度部屋に戻った。

バッドから抜け出したくてカンボジアまできたのに、

違う意味でまたバッドに入りそうだった。

部屋にいたら頭がおかしくなりそうで、

またもう一度カフェバーに戻ると7、8歳ぐらいの少女が1人椅子に座っていた。

 

「ここに住んでるの?」

 

少女は軽く頷き、すぐに目線を外した。

 

「一人で何してるの?」

 

「絵書いてる。」

 

彼女は英語を話せた。

しかも見た目より落ち着いた口振りだった。

 

「俺はKIKI。今日から来たんだけど、よろしくね。名前は?」

 

「私はヤーイー。今週ここにきたの。」

 

聞くか迷ったが、思わず聞いてしまった。

 

「お父さんお母さんに何かあった?大丈夫か?」

 

「お父さん地雷踏んで死んじゃった。その後お母さんどっか行ったきり帰ってこなかった。」

 

カンボジアに長期滞在を決めた瞬間だった。

 

そこからヤーイー含め約20人の孤児達とのカンボジア生活が始まった。

 

 

 

 

 

前編 ー完ー

 

 

 

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Tポイントの行方

16th Jun 2020 by

皆さまはTポイントを貯めているだろうか?
CCCが展開する日本でもっともメジャーなポイント制度で、おそらく保有したことがある人も多いはず。

 

 

私もTSUTAYAでレンタルしていた頃(かなり大昔)から利用しているが、なかなか沢山貯まるものでもなく、yahoo!のクレカ作った時ぐらいしか多くのTポイントを目にしたことがない笑

貯まってもファミマで使うとか、yahoo!やロハコのネットショッピングですぐ消化していたが、昨年にSBIネオモバイル証券が現れて以来、Tポイントは株式投資に回している。

 

 

ネオモバのいいところは1株から購入可能で手軽に投資体験が出来るところ。
100株1000株だと金額もそれなりになり損得もデカくなるため敷居が高いが、1株だと数千円もあれば様々な銘柄から選べてしまう。

 

全てスマホで完結したり、なるべく無駄を排除したシンプルなUIが若者へ響いてユーザー数を増やしている模様。

 

 

自分の投資スタイルは低リスクのIPO投資がメインの為、昨年末に始まったひとかぶIPOのサービスも嬉しい限り。記念すべき最初の案件「BuySell Technologies」も2株もらえてそのまま保有中!たった2株ww

 

 

月額も実質無料だし、何といってもスマホ完結なのでお手軽♪

売買ルールに多少制約があるので、短期の売買でキャピタルゲイン取りたい人には向かないけど、普段PC触らない若者や投資初心者には株式投資のハードルが低くておススメです。

 
Tポイントとか結構どうでもいいけど何となく貯めちゃっている人は、この際投資に回してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

しかしここ最近の株価動向、コロナ暴落以降、読めない展開でなかなかエグいですね笑

2番底がなく、一気にコロナ前の水準まで戻しちゃいました…

この辺は思うところもありますので、また次回投稿へ持ち越しといたしましょう…

 

 

BEN

Keep It Real.

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なぜPRIVILEGEの名前を作ったのか?地方店舗の展開は展望として予想していたのか?必見のブランドヒストリー!

16th Jun 2020 by

Lafayetteのブランドネームで活動を続けてきた中で、
なぜ東京進出と共に”PRIVILEGE”という名前が作られたのか?
意外と語られてこなかった内容を紐解く回。

2020/2/9

Naka-chan https://www.instagram.com/naka_chan813/

A-KILLA https://www.instagram.com/a_killa045/

 

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THE WORLDWIDE LAFAYETTE CREW #4

16th Jun 2020 by

Lafayetteが繋ぐ世界規模のコネクションをご紹介する

『THE WORLDWIDE LAFAYETTE CREW』

今回は個人的にも親交の深いアーティスト

VADO

NEW YORKはハーレム出身のラッパー

10代からMOST HATEDというクルーで活動を始めてRAPはしていたけれど

そのスキルがCAM’RONの目に留まりデビューを果たす。

オフィシャルで公開したファーストシングル『Speaking in tungs』がラジオを通して大ヒット

そこからあれよあれよという間にDJ KHALEDの『WE THE BEST』にも参加することになる。

でもVADOといったらBOOM BAP好きを唸らせたコレが一番有名

VADOはとりあえずラップのスキルが半端なくて当時ぶっちぎりのスターだった

そしてLafayetteのモデルも務めたことがあり、Clark Kentがスタジオに連れてきた

今ではベテランとして若手の育成にも力を入れ、自身も進化したスキルを武器に

精力的に作品をリリースし支持されている

僕が彼を日本に呼んでDJ KAIYAと共にツアーしたのはこの動画のすぐあと

その後も来日し日本での根強い人気ぶりもうかがえるほどに

最近あるインタビューでもLafayetteへの思いを話してくれていた

POLOを広めた立役者の一人でもありNEW YORKスタイルをブレずに歌い続ける

2000年を代表するLafayette crewの一人である

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eMarxman XP The Marxman & Roc Marciano – The Have Nots (Official Video)

15th Jun 2020 by

“THE HAVE NOTS” is the first video to be released from XP’S latest project fully prod by @rocmarciano titled “Continua a Sparare” (KEEP FIRING) released 4/20/2020 on all platforms
Video shot and edited by @isuppose @directedbyisuppose for #mijomusic

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HISTORY OF Lafayettecrew 2003~2009

13th Jun 2020 by

6月も半ばですね。

アイスコーヒーが美味しい季節になってきました。

キャンプシーズンはまだかなーとうずうずしております。

皆様、いかがお過ごしでしょう?

 

 

このタイミングでLafayetteの歴史を年表的に振り返ってみようかと思います。

知っている人は懐かしい~とかなるかもしれません。

長いですがお付き合いください。

 

 

 

 

 

Lafayettecrew

いま現在、Lafayetteがブランドとして成り立っているのは

このコトバに全てが集約されているかもしれない。

 

 

 

2003年、5月1日。

藤沢駅のホームから見えるレンガのビルの2Fから始まったLafayette。

藤沢にお店をオープンした時のLafayettecrewのメンバーはJUNとBENと自分の3人だった。

就職活動を蹴ってまで、まだ見ぬLafayetteに可能性を感じて自分はCREWの一員になることを選んだ。

 

当初はアメリカからのセレクトと古着がメイン。オリジナルTシャツは2型から始まった。

オリジナルブランドでありセレクトショップであるLafayetteの始まりだ。

1人がお店を回し、残りの2人でNYやLAに買付に行くスタイル。

たまに地元の後輩(後のMOJA)にお店を手伝ってもらったりしていた。

最初の1、2年は勢いのみでお店を運営していた。

リアル、マイノリティー、ワン&オンリー。

当時は、怖いものなしだったかもしれない。

 

地元江の島のオッパーラで開催したオープニングパーティーは満員御礼。

17年間で色々なパーティーを主催してきたがこのパーティーが全ての始まりだ。

現在でも変わらないが当時から知り合いのアーティストを呼んでは彼らをサポートしていた。

Lafayettecrewのメンバーはドンドン増えていった。

 

 

 

2004年、セレクトショップ「Lafayette」2号店となる Lafayette Yokohama をオープン。

ネクストにも程があるんじゃないかってくらいの2店舗目をスピード出店。

この時も仲が良いお店のスタッフ(後のTANA)何人かをヘッドハンティングした。

今ではLafayetteはオリジナルブランドとしてのイメージがあると思うが、

オープン当初から海外からの並行輸入がメインのセレクトショップ。

 

これはLafayette Yokohama をオープンした時のチラシだ。

元ネタはBEASTIE BOYSのTO THE 5 BOROUGHS。

そのまんまですね、ってツッコミはさておき。

毎日ローテーションで横浜駅前で配っていたのは懐かしい。

 

横浜の地は藤沢に比べアウェーではあったが、徐々に横浜でも名が知られていくことになる。

NEWYORKに買い付けに行く頻度も増えて海外でもコネクションを作り始めた。

当時からワールドワイドにお店を広げていくという目標があった。

その為には先ずは自分達が育ってきたローカルで成功しなければ先はない。

お店を大きくするためには色々な土地での「繋がりの連鎖」が必要だった。

横浜の地にもLafayettecrewは増えていった。

余談程度にLafayetteで初めて作ったSHOP CARDがコチラ。

MetroCardのサンプリングが初々しい。

 

 

 

2005年、Lafayette YOKOHAMAを2フロアに拡大リニューアル。

自分達の原点であるアメカジのフロアとストリートのフロアが出来た。

 

当時はRalph LaurenやRRLの品揃えは横浜でも随一だった。

NYのセレクトブランドを強化し、Annex、Vehicle、UXAなどのスケートブランドにも力を入れていた。

ここへ来れば間違いないっしょ、なお店になってきた。

この頃から自分達のオリジナルブランドを展開していこうと意識するようになった。

 

今では当たり前に皆様が利用しているLafayette ONLINE STOREをオープンしたのもこの頃だった。

サイトの作りは抜きにして当時オンラインストアに着手するのは周りに比べて早かったと思う。

 

 

 

2006年、徐々にLafayetteのサポーターは増えていき、日本国内を飛び越えて海外までサポーターは広がっていく。

当時、取り扱っていたNYの「J.MONEY」というブランドのディレクターであるJAMIE STORY。

彼とのワッツアップがLafayetteの方向性を示してくれたと言っても過言ではない。

彼の交友関係から様々なNYの重要人物たちを紹介してもらい海外のコネクションが一気に広がる。

 

横浜の聖地「THE BRIDGE YOKOHAMA」にてLafayette 3rd Anniversary Partyを開催。

PRIVILEGEの名付け親でもあるDJ CLARK KENTをGUEST DJに招いた。

SUPREME OGメンバーのNEAL SANTOS、SSURのRUSSなどストリートの重要人達も来日。

ドキドキワクワクが止まらない面子。

当日は入場制限がかかるほどの集客でCLUBの入場者数の歴代記録を打ち出し大きな話題を呼んだ。

 

 

 

2007年、ブランド「Lafayette」として本格的に始動。

皆さんお馴染の「Lafayette」のコアロゴが生まれたのもこの頃だ。

 

この頃からフルコレクションで展開し始め、LOOKBOOKを手探りで作り始めた。

当時の国内ディーラーは12件だったのか。とか思い出す。

XTRさん、CLICKさん、LAY-Z-BOYさん、YOUNG’Nさんなどはこの頃から名を連ねている。

この場をお借りして長いお付き合いして頂き有難うございます!!

 

SUPREMEの正規ディーラーを始めたのも確かこの頃だ。

 

この年、Lafayette 4th Anniversary Partyを横浜BAY HALLにて開催。

初めてのデカ箱でのパーティー。

ステージからロゴのTシャツをばら撒いた。

GUEST DJにレジェンドMURO(K.O.D.P)を招き、個人的にもブチ上がっていた。

結果、1000人オーバーの集客でフロアが終始パンパンだったのは今でも記憶に残っている。

 

 

 

2008年、ブランドとして本格的なコラボレーションを名立たるブランドと展開。

Frank151 x Lafayette

Deadline x Lafayette

Teamworks x Lafayette

DJ Clark Kent x Lafayette

Ally & DIA x Lafayette

Chatty Chatty x Lafayette

J.Money x Lafayette

Sneaktip x Lafayette

La Carrera x Lafayette

Acaplco Gold x Lafayette

 

世界中のストリートカルチャー好きにはお馴染みのメディア「HYPEBEAST」にも取り上げられた。

当時のストリートシーンに大きなインパクトを与えられたのではないか。

 

「MIX DA NEW THING」と題した2008Spring/SummerのLOOKBOOK。

モデルは当時のLafayetteスタッフ達。横浜と藤沢で撮影した。

マジでおまえ誰~?はさておき。

試行錯誤してLOOKBOOKを作り上げていたのは懐かしい。

 

Lafayette主催の臨月パーティー「VIRGIN」が始まったのもこの頃。

色々なアーティストと繋がりを強固にしたのもVIRGINがあったからだと思う。

 

 

 

2009年、言わずと知れたHIP HOPレジェンドWu-tang Clanのメンバー「U-GOD」とのコラボアイテムをリリース。

 

U-GOT本人も来日し開催されたLafayette 6th Anniversary Party。

横浜BAY HALLをHIPHOPフロア、同敷地内のCONTINENTALをREGGAEフロアに分け大盛況に幕を閉じた。

 

本場NEWYORKでLOOKBOOKを撮り始めたのはこの頃。

今まで培ってきたNEWYORKのストリートコネクションを武器に世界にLafayetteの名は広がりつつあった。

 

Lafayetteブランド設立時からのスローガンである「KEEP IT REAL」。

自分らしくいながらも、リアルを貫いていく。

アパレル業界の中でブレないスタイルを貫き続ける。

 

スローガンは内にも外にも浸透しつつあった。

この頃から、今まで積み重ねてきた「経験がものをいう」時代に突入してきた。

 

 

 

~続く~

 

 

A-TOY

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