AUTHOR : KIKI

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第十五話「スイスの商人マシュー」-前編-

26th Aug 2020 by

 

 

スイス、ロザン。

 

 

エヴァランチという地区の一軒家。

私が住んでいた家はこの地域の山の上にあり、

冬は冗談みたいな量の雪が降る。

朝は約1時間の雪かきから始まり、

夜は環境音すら聞こえない本当の無音の中眠りにつく。

住む前はスイスって言ったら、空気が綺麗。

これぐらいの印象しかなかったが、その想像の5倍は美味かった。

よくここに住むと鼻炎が治るとか聞いたことがあるが、

満更あり得ない話でもない気がする。

 

毎朝雪かきの後に、山の上から街を眺めるのが日課だった。

空き家なのか別荘なのか、

5件ほど先にある誰も住んでいない豪邸の庭に無断で入り、

毎朝わざわざコーヒーを持ってのんびり一服をする。

庭からインフィニティープールのように見えるロザンの街は、

日本では見たこともない透明な空に繊細で上品な薄い雲が街を覆っていて、

今まで自分が見てきた空がさらに濁って見えた。

 

さすがアルプスの少女の街だけはある。

 

もちろんいい面だけではない。

まず交通面はめちゃくちゃ不便で、

日本人、いや移民にとって住みやすいとは言えない場所だと思う。

駅までの唯一の交通手段は1時間に2本しかないバスしかなく、

最寄りの商店までは歩いて40分かかるし、

駅の目の前の看板には、”移民は出て行け!”とうい看板がデカデカと掲げられている。

この地域には限ったことではないが、スイスはバキバキの白人至上主義だ。

人種差別はある意味当たり前にあるものに感いていたぐらいで、

日常過ぎてあまり気にならないという面もあった。

 

そんなこの街にも住み慣れ、いつの間にか1ヶ月ぐらいが経っていた。

私の目的のない旅では都会に行けば田舎を求めるし、

田舎にけば都会に行きたくなる。

この繰り返しの中で、そろそろ自然に囲まれた生活にも刺激がなくなってきていた。

毎日写真しか撮っていなかったし、自然を撮るのもそろそろ飽きていた。

これは歳をとってから撮るべきかも。とも日に日に思っていた。

 

金もそろそろ尽きそうで、

次の移動のために仕事を探すかとも考えたが、

机の上に積まれた少しずつ現像した写真の束を見て不意に思い立った。

 

まずこれを売ろう。

 

今まで自分の写真に値段をつけたこともなく、

一体自分の写真にいくらの価値がつくのだろうという興味もあった。

次の日の朝、早速写真の束を鞄に入れロザンの中央駅に向かった。

写真を売るなんて考えたこともなく、全部L版の小さい写真。

ギャラリーに持っていっても相手にれないだろう。

頭の中は一番人通りの多い駅前で売ってみよう。

それしか選択肢はなく、むしろ最善の方法だと思っていた。

無名の自分の手刷りの写真がどれだけ売れるのか。

全く売れなかったら…落ちるなぁ。

ワクワクする気持ちと不安な気持ちが入り混じっていた。

 

駅に着き、まず売る場所を探した。

さすが中央駅。

住んでいるエヴァランチとは比にならないほどの人がいた。

駅前の適当な場所にシートを敷き、

写真を入れたファイル3冊と、

”name your price [ 値段はあなたが決めてください]と書いた紙を置き、

客が足を止めるのを待つことにした。

 

 

 

 

どれだけ経っても誰一人足を止めない。

売れる売れないの前に、見ても貰えない。

それから何時間経っても、結果は変わらなかった。

初日の結果は接客人数0。

シートを片付け、泣く泣く家に帰った。

それからの2、3日、場所を変えては同じ方法を繰り返し、

同じ結果を繰り返す。

 

さすがに何か変えなきゃいけない。

帰ってから一人反省会が始まった。

自分で物を売る事自体が初めてだった私は、

その時初めて商売というトピックについて考えた。

 

売れる売れないの前にまず見てもらわないといけない。

 

人通りが多い場所はあくまで見てもらえるチャンスが多いだけで、

逆にその他の店も多いし、目に入る情報量も多い分、

目立たないと足を止めてもらえないのかもしれない。

 

じゃあどうやって目立つか。

 

今日はただシートを敷いて、写真を並べただけ。

 

看板でも出すか。

 

声を出して客引きをするか…

 

散々一晩考えた結果、

まず駅前で一番人が足を止める露店を見つけて、

その露店の机のスペースを間借りする作戦でいくことにした。

商売もしたことがないし、自分は商売人じゃなくて写真家だ。

どうやったら客を集められるかは考えても一晩で答えが出るわけもない。

そこは金をベットしてでも乗っかって、写真自体を見てもらう方が優先的に思えた。

ファイル3冊を置くスペースのレンタル代ぐらいなら何とかなるはずだ。

 

次の日、朝一で同じ中央駅に向かい露店を片っ端から観察した。

絵を売ってる露店、お土産屋、クラフトジュエリーの露店、

色々種は違うもののかたまって露店があると活気が見えて、

心理的なものなのか足を止めている人も多かった。

早速絵を売っていた白人の中年男に話をかけてみた。

 

「こんにちわ。僕写真を撮っていて、よかったらここで写真を一緒に売らせて欲しいんです。もちろん賃料は払います。」

 

「…」

 

全く言葉が通じていなかった。

ロザンはジュネーブやチューリッヒみたいな都市と違い、

英語を話す人はかなり少ない。

スイスはドイツ語、フランス語、イタリア語の3カ国後が主流で、

地域によって使われる言葉が違う。

ロザンはフランス語がファーストランゲージ。

若者でさえも英語はあまり話さない。

言葉の壁にぶつかり、その辺りの目をつけた露店は全滅だった。

 

気を取り直し、活気のある露店を探す。

駅前の隣にある大きな公園の入り口にテントを貼った露店が一つあった。

しばらく遠くから観察してみることにした。

30分ぐらい見ていると意外と人が足を止める。

近づいてみると背の低い髭伸びっぱなしの白人のおじーちゃんが絵を売っていた。

そんな仙人みたいなおじーちゃんはすぐに話しかけてきた。

 

「お!観光客?これは私が書いてる絵なんだ。全部20ユーロ。」

 

まず英語が話せることが驚きだった。

 

「いや客じゃないんだ。最近住み始めたんだけど、写真を撮っていて今売る場所を探しているんだ。」

 

「写真家か?!見せてみろ!」

 

言われるがままに男に写真のファイルを見せた。

 

「お前の写真いいな。俺は好きだ。一枚いくらで売ってるんだ?」

 

「いや値段はつけていない。客につけてもらおうと思ってる。」

 

「それじゃここでは売れないな。ここはギャラリーじゃないんだぞ。値段をつけた方がいい。」

 

「値段の付け方がわからないんだ。売ったことがないから。買ってくれるならいくらでもいい。」

 

「お前物を売るのにいくらでもいいって、売る気あるのか?じゃあ試しに一枚10ユーロで売ってみろ。」

 

「わかった。ここで売っていいの?」

 

「いいぞ、お前の写真俺は好きだからな。」

 

「マジで?!ありがとう!俺はKIKI。よろしく!」

 

「マシューだ。よろしくな。」

 

 

これが私の写真家としての人生を変えた大きな出会いになった。

 

 

ここからマシューは1週間で私の写真を300枚売る。

 

 

 

-前編- 完

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第十四話「キングストンのギャングスターのび太」-後編-

19th Aug 2020 by

 

 

 

目の奥で合う目と目。

 

掴み取られた視線と極度の恐怖にパニックを超えて凍りついていた。

車内の沈黙は永遠かと思うどに長くて、

出てくる言葉も無いというか、

頭の中が真っ白とはまさにこの事だ。

密室の緊迫した空気感。

のび太の低いが芯のある声が沈黙をビリビリとゆっくり破った。

 

「どうするんだ?俺は本気だぞ。金出さなきゃお前をここで殺す。」

 

物事はなかなか映画のように上手くはいかないものだが、

一瞬一瞬を切り取れば映画のワンシーンのような状況は度々あるものだ。

この売れないギャングスター映画のワンシーンのような状況は、

当人になった時、人生最悪の状況だった。

どうするかなんて全く考えもなかったが、

とにかく死だけは回避しないといけない。

のび太にヒートアップされるのが一番まずい。

そう思った。

 

「ホテルに帰ろう。ホテルに金あるから、、」

 

勝手に出てきた言葉だった。

のび太は何も言わずにすぐに車を走らせホテルへ向かった。

車内にはエンジン音とタイヤが地面を蹴る音だけが響き、

窓の外からは至るところからレゲエが爆音で流れていた。

 

生まれて初めてのジャマイカ。

 

黒人怖すぎ。

 

マジ来なきゃ良かった。

 

今からどこかに連れて行かれて殺されるのか。

ネガティブな想像力だけが真面目に働く。

マイアミといい、ジャマイカといい、本当に最悪だ。

何もしていないのに痛い目にばかり会う。

やっぱり弱いものは食われるのか。。

出発してから今までずっとダサい自分に気が滅入っていった。

ビビって積極的に言葉も話さず、

金を出せといわれたら金を出す。

 

一体何しに来たんだ。

 

 

 

 

ホテルに着き、部屋まで金を取ってくるとのび太に伝えた。

駐車場からプールサイドを通って部屋まで向かうまでの間、

解放されたからなのかなぜか急に気持ちが落ち着いてきた。

心地良いジャマイカの夜の気候に少し気持ちが柔らかくなり、

そして妙な反骨精神が芽生え始めた。

 

このままバックれよう。

 

24時間セキュリティーがいるからホテルには入れないし部屋も知らない。

朝になるまで駐車場にいたら怪しまれるだろうし、

あいつだって家に帰りたいはずだった。

そんな安易な考えからのび太をこのままシカトしてバックれることにした。

 

私は部屋に戻り鍵を二重で鍵をかけベッドにダイブ。

だが全く落ち着かない。

部屋に戻り15分ぐらい経った頃。

そろそろのび太が異変に気づく頃だろうか。

ドアを開けて外の音を聞くのも怖かった。

それに時計の秒針の音がずっと気になる。

まるで走る時限爆弾の導線を見ているかのような感覚だった。

電気を消してiPodで爆音で音楽を聴いてみたり、

いつもより長めにシャワーに入ってみたり。

 

それでも全く眠れなかった。

 

それから何の異変もないまま時間は過ぎていき朝日が出てきた。

まだのび太はいるのか。

気になって仕方がなかったが、

確認する勇気もなくただひたすらに時間が過ぎていくのを待った。

そして気が付いた時にはベッドで眠っていた。

 

目が覚めたのはもう昼過ぎ。

灼熱のジャマイカの真昼間。

さすがにもういないだろうと思い、

恐る恐る部屋を出てプールサイドに向かい駐車場を覗いた。

 

そこにはのび太の車があった。

 

胸が急にドキドキし始めて思わず日本語で独り言を口にしてしまう。

 

「嘘だろ。まだいんの?」

 

慌てて部屋に戻った。

弾むように胸の鼓動は大きく早く波を打ち、

ただただ部屋を右往左往歩き回っていた。

 

どうしよう。

 

もう一回確認しに行ってのび太に見つかったらまずい。

とにかく今日は部屋にステイだ。

もうこの時には完全に後悔しかなく、

昨日バックれようとした自分を責め始めた。

何で昨日大人しく200ドル払っておかなかったんだ。

こうなる可能性なんて大いにあったのに。

大体のことは逃げれば逃げるほど状況は悪化するものだ。

バックれた結果、恐怖感は倍以上のものになっていた。

同時に昨日の自分を責めることで保とうとした心のバランスは、

整うわけもなく言い訳だけが胸に積もっていった。

 

自分が撒いた種から恐怖で部屋から出られなくなってしまった。

プールサイドやロビーにすらいけない。

もうこの時の恐怖感は当初の何倍にも膨れ上がり、

次あったら間違いなく刺されると思っていた。

 

もう部屋から出られない。

どうやって飯を食おう。。

 

空腹さえ凌げれば部屋から出る必要はない。

すぐに今持っている食料を確認した。

日本から持ってきていた非常食のクラッカーが3箱と、

飛行機でもらった小袋のスナック菓子が1袋、

それと昨日運よく買いだめしておいた2リットルの水が4本。

 

多分いけて1週間。

 

今考えれば2、3日後にはもういないだろうと思えるが、

この時はもうパニックのど真ん中。

自己防衛本能なのか、起こり得る事態の最低ラインを見越して行動していた。

マイアミでの奇襲はあっという間の出来事過ぎて考える時間さえなかった。

だがこの時の生殺しの時間は一番辛い時間だったかもしれない。

いつ殺されるかわからない。

それぐらいその時の状況を拡大的に解釈していたから。

 

そしてその日は一日中部屋に閉じこもり次の日の朝まで一歩も外に出なかった。

頼むから明日はもういなくなっていてくれ。

 

そして翌朝、半分の期待を片手にもう一度確認しにいくことにした。

プールサイドからの死角を探して、駐車場を覗き込む。

 

まだあった。

 

しかも駐車場所が変わっている。

確実に通っている。。

もう見つけるまで追い込む気だ。

 

ここから本格的な隔離生活が始まった。

こうなったら逃げ切るしかない。

もう我慢対決だった。

何を言っているのか全くわからないが気晴らしにテレビをつけ、

ベッドの上で細かく砕いたクラッカーを少しずつ食べる。

多分iPodに入っていた1000曲ぐらいの曲はほぼ全曲聴いたんじゃないだろうか。

完全隔離の毎日同じルーティーンの生活。

もちろん毎朝駐車場に確認しにいく。

 

毎日のび太はいる。

 

そしてそんな日々はそれから5日間続いた。

クラッカーと水だけの生活もそろそろ限界だった。

こけていくのが自分でもわかるくらい軽く衰弱していた。

 

でも毎日いるのび太。

 

あのナイフを持って直視してきた目がフラッシュバックする。

もうそろそろ限界だった。

クーラーのきいたカーテンのしまったホテルの一室。

時々窓を開けて入ってくる空気だけがジャマイカだった。

 

ホテルに来てから6日目の夜。

水が底をつき、ついに買いに行かなくてはいけなくなった。

5日ぶりの夜の外出。

緊張しながらロビーの隣のバーに水を調達しにいく事にした。

 

のび太がいませんように。

 

バーに行くと驚くべき光景が目の前にあった。

なんと日本人女性が4人ソファーに座っていた。

20代前半くらいだろうか。

自分よりは年上に見えた。

自分のテンションとは真逆のハイテンションな彼女達。

なんと言っても久しぶりの日本語が心地よかった。

でもとりあえず水だ。

この間のバーテンにまた水を4本頼んだ。

前回同様20ドル払い、水を袋に入れてもらっていた時、

突然一人の女性が英語でそのバーテンに怒り始めた。

さっき見た日本人女性の一人だった。

 

「あなた今この子から20ドル取ったでしょ?それ一本2ドルじゃない。この子にお金返しなさいよ!」

バーテンは彼女を宥めるように金を返し、彼女は私にそれを渡した。

 

「君日本人だよね?一人?ていうか具合悪いの?」

 

よっぽどやつれていたのだろう。

彼女は心配した面持ちで私に話しかけてきた。

 

「日本人です。体調は悪くないんですが腹はめちゃくちゃ減ってます。。てかありがとうございました。前も一本5ドルで買ってました。」

 

「英語話せないからってぼったくってるの見るとムカつくんだよね。一人でしょ?一緒に飲もうよ。食べ物もあるから。」

 

彼女の名前はミキちゃん。

カナダに住んでいて、日本の友達と旅行で来ていたらしい。

英語ベラベラで気の強いショートカットの女性だった。

他のなっちゃんも、桃ちゃんも、えりちゃんも皆いい人で、

久々の日本人との会話は安堵感が半端じゃなかった。

会話の流れで出発から今に至るまでの経緯を、

マイアミの事ものび太のことも皆に全て話した。

するとミキちゃんが急に立ち上がりさっきのバーテンに話しかけ始めた。

そして戻ってくるなり衝撃的なことを伝えられる。

 

「そののび太ってドライバーここ専属のドライバーだから毎日いるらしいよ。だから絶対純ちゃんここにステイしてる限りいつか会うよ。しかもギャングメンバーらしいw私ついて行ってあげるから話した方がいいと思う。男なんだから逃げるな。」

 

ミキちゃんの言葉は大分刺さった。

しかもめちゃくちゃかっこよく見えた。

今思えば彼女が英語を話せるようになりたいと心底思ったきっかけかもしれない。

言葉が話せれば世界が変わる気さえした。

目的も無くなんとなく勉強してきた英語なんてまるで役に立たなかった。

言葉に限らず目的が見えて初めて頑張れるのかもしれない。

 

ミキちゃんとバーを出て、駐車場に向かった。

セキュリティーと立ち話をしているのび太。

私を見つけるなりすごい剣幕で私を見ている。

ミキちゃんは堂々とした態度でのび太に話かけ、

何を言っていたのか理解できなかったけど、

3分ぐらいであっという間にかたがついた。

途中のび太はキレてたけど、

ミキちゃんの切れ返しにあえなく納得しているような面持ちだった。

 

「純ちゃんこいつに30ドルだけ払って。クラブまでの往復のタクシー代。それでもうこのは話は終わり。これ以上何かしてきたら恐喝したこと警察に言うって言ったから多分大丈夫。ほら話してよかったでしょ。伝えないから舐められるんだよ。ノーはノーって言わなきゃダメ。」

 

もう自分がダサ過ぎてゲボ吐きそうなくらいだった。

そしてまた謎に涙が溢れてきてしまった。

出発から今までの何もかもが悔しくて泣いてばかりだ。

泣いてる私をみてミキちゃんは笑っていた。

スーパー頼りになるおねーちゃんでしかなかった。

 

「今日皆でクラブ行こうよ!」

 

バーに戻るなりなっちゃんが誘ってきた。

ジャマイカについて約1週間。

初日の夜を除いてはホテルから一歩も出ていない私は、

少しナーバスな気持ちもあったが、

誘いを受けることにした。

皆一度部屋に戻り着替えてバーに集合した。

 

ミキちゃんを先頭に駐車場に向かいタクシーを探す。

2人のドライバーが待機しているのが見えた。

 

もちろんそのうちの1人は….

 

「エリックーーー!」

 

ミキちゃんは待機場に手をふり駆け寄って行った。

何か軽く話をしてニヤニヤ戻ってきたミキちゃん。

 

笑いながら私に聞いてきた。

 

 

「今日のドライバー、エリックとのび太どっちにする?純ちゃんが選びな。」

 

 

 

旅は人を強くする。

 

 

 

 

 

 

 

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第十三話「キングストンのギャングスターのび太」-中編-

12th Aug 2020 by

 

 

ホテルのチェックインを済ませた私は部屋に荷物を置き、

中庭にあるプールサイドで寝転んでいた。

中庭から遠くのほうに見えるエントランス前の駐車場。

のび太の車はまだ同じ場所に駐車してあった。

 

まだいたんだ。何してるんだろ?

 

その時はそれくらいしか思っていなかった。

 

約二日かけてようやく辿り着いたジャマイカだったが、

マイアミでの一件から”黒人が怖い”という固定観念がなかなか頭から離れなかった。

元々目的もなく来た上に、

現地民のほとんどが黒人のこの国で、

 

どこかに行こう。とう気にもまるでならない。

 

ホテルまでのタクシーですら自然とのび太の動きを終始警戒していた。

結局何事もなく無事ホテルに着いてからも、

フロントマンや清掃員、

バーテン達に対しても警戒心から疑心感が芽生え、

視線を合わすことすらできなかった。

わかっていても無意識に拒絶してしまう感覚。

今まで味わったことのない感覚だった。

学校のいじめられっ子っていうのはこんな気持ちなのだろうか。

初めて踏んだ異国の地で芽生え始めた初めてのこの妙な感覚は、

つい一昨日まで全開だった行動力や探究心を飲み込み、

私はただプールサイドで水を眺めることしかできなかった。

 

「へーーーイ!」

 

遠くに見えるエントランス前の駐車場からのび太が元気よく手を振っている。

私は手を適当に手を振り返し、また視線をプールの水へとずらした。

できるだけ仲良くなりたくなかった。

傷ついた漫画の主人公にでもなったかの様に、

放っておいてくれ。と胸の中で何度も連呼していた。

それでも果敢に呼び続けるのび太。

 

「あれお前のこと呼んでるんだぞ」

 

プールサイドのバーテンがのび太を指差し話しかけてきた。

 

そんなこと当たり前にわかってんだよ。

関わりたくないからシカトしてんだ!

何なんだよ。放っておいてくれよ!

 

なんて言いたかったが、

全ての感情が胸で止まって喉から出てこない。

気持ちを言葉にできないっていうのはこんなに辛いことなのか。

今まで小学校から勉強してきた英語って何だったんだ。

割とちゃんと勉強してきたのに全く役に立たねーじゃねーか。

異国現地で進む1秒1秒がストレスを促進させていった。

 

「へーーーーーーーーーーーイ!へーーーーーーイ!!!」

 

どれだけシカトしても手を振り続けるのび太。

エンドレスなこの状況に折れた私は恐る恐るのび太の元へ向かった。

 

※ここからののび太の会話はあくまで私の解釈は憶測です。

 

「何度も呼んだんだぞ!お前大丈夫か?どこか行きたいとこないのか?」

 

「いや、、、ない。疲れた。から、寝たい。」

 

「お前何言ってんだここはジャマイカだぞ!遊ばないとダメだ!俺が案内してやる!」

 

「いや、、、大丈夫。ホント大丈夫。」

 

「お前疲れてんるんだな!じゃあ夜クラブに行くぞ!ここに22時頃迎えにくるからな!」

 

のび太は一方的にそう言い残し何処かに行ってしまった。

22時からクラブ?行くわけねーだろ。

心身共に疲れ切り弱っていた私にはのび太の誘いは迷惑としか感じられなかった。

行く気なんて0。

外にいたら誰かしらに絡まれそうな気がして部屋にそそくさと戻った。

 

ホテルの部屋は最高だった。

別にスウィートルームとか高級ホテルだとかそういうことではない。

誰とも触れ合わなくていいこの空間が最高だった。

今振り返れば典型的な引きこもり思考。

悪いのは自分じゃない。自分に絡んでくる奴らが悪い。

黒人全員が敵に見える。

何でこんな所に来てしまったんだ。

日本での大学生活の方がよっぽど最高だった。

カーテンの隙間からジャマイカの日光が差し込む電気の消えた部屋。

目的地に着いた時にはもうすでに腐っていた出発前のワクワク感は、

ベッドの上でシーツに丸まり圧倒的な後悔に代わり爆発寸前だった。

マイアミもジャマイカも日本にいた時は憧れの場所だったはずなのに。

 

目を開けた時にはもう部屋は真っ暗だった。

いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

電気をつけ時計を見ると21時頃。

そういえばめちゃくちゃ腹が減ったな。

色んな事を考えすぎていたからなのか空腹すらも忘れていた。

今の時間ホテルのレストランもやっているのか分からなかったが、

とりあえず水を買いにプールサイドのバーに行って見ることにしたが、

バーはすでに真っ暗で1人の従業員が片付けをしていた。

 

「どうした?もう閉店だぞ。」

 

「水、、水が買いたい。」

 

「じゃあフロントの隣のバーに行け、あそこは12時までやってるから。」

 

言われるがままに、フロントの隣のバーに向かった。

バーの扉を開けると客は誰もいない。

黒人のバーテンが1人、テレビを見ながらカウンターに座っていた。

 

「何飲む?」

 

「水。水をください。」

 

「水?お前バーに来て水飲むのかw?」

 

バーテンはカウンター下から水のペットボトルを取り、

グラス一杯の水をくれた。

いや、俺が欲しいのはペッドボトルの水なんだけどな。。

ここで飲みたいわけじゃない。。

私はペッドボトルを指差し、バーテンに伝えた。

 

「それ!それが欲しい。」

 

「あーボトルウォーターが欲しいのか。だったらそう言えよ!何本?」

 

「4本。」

 

「これ2リットルだぞ?そんな飲むのか?」

 

「うん。4本ください。いくら?」

 

「4本でUS20ドル。」

 

一本US5ドル?高くないか?

ホテルの中だからなのか?海外では当たり前なのか?

でもそんなことすらも伝えられず泣く泣くUS20ドルを支払い、

両手一杯にペッドボトルの水を抱えて部屋に戻ることにした。

プールサイドを通り部屋に戻っていると後ろから誰かが叫んでいる。

 

「へーーーーーーーーーーーイ!!!」

 

もう考えるまでもなかった。

 

のび太だ。

 

そういえば約束の時間は22時。

行く気0だった私は完全にのび太との約束を忘れていた。

どうしよう。見つかってしまった。

とりあえず完全シカトを貫き通すか。

あいつは客じゃないからあそこからは入れないはずだ。

ただ振り返って目があってしまった。

忘れていたフリはもうできない。

その場はとりあえずのび太に手を振り返し部屋に戻った。

 

ヤバイ。どうしよう。

 

このままシカトしてなかったことにするか。

いやでも明日逆恨みされて面倒になるのはごめんだ。

もうこれ以上面倒はごめんだ。

今日だけのび太に付き合って明日からは予定があると伝えよう。

今日で終わりにしよう。

水を冷蔵庫に入れ、適当に着替えてのび太の元へ向かった。

 

「何だお前その格好?!今からクラブに行くんだぞ?もっとお洒落してこい!」

 

「いやこんな服しか持っていない。」

 

「ダメだな。ジャマイカではダンスに行くとくはお洒落すんのが当たり前なんだ。」

 

「そうなんだ。」

 

「まあいい。とりあえず車に乗れ!」

 

私はのび太の車に乗り込み夜中のキングストンへと繰り出した。

そしてこれが向こう一週間最後の外出になる。

 

殺風景なキングストンの夜道。

生暖かい乾いた空気の中、月明かりが野良犬と凸凹の道路を照らす。

日本では見たことのないレベルの貧困感が伝わってくる。

全く人が歩いていない。

これも後で知ったことだが、

ジャマイカでは現地民ですら夜道は歩かないらしい。

そして走り始めて15分ぐらい経った頃、

のび太は徐に車を止めた。

 

「ちょっとここで待ってろ。すぐ戻るから。」

 

そう言い残しのび太は車と私を置いてどこかへ行ってしまった。

それから約1時間。

のび太は全く帰ってこなかった。

人が一人もいないジャマイカのゲトーの路肩で私はただのび太を待っていた。

すると何軒か先の家からのび太が出てくる姿が見えた。

そこには女の姿も見えた。

玄関先でのび太は女にキスをし車に戻ってきた。

 

「悪い悪い。遅くなってしまった。」

 

「何やってたの?」

 

「あいつは俺の三番目の女なんだ。たまに抱いてやらないと怒るんだ。」

 

は?セックスしてたの?

今では理解できる日本人以外の価値観もこの頃はこんなことでも度肝を抜かれた。

クラブの前に車に連れを待たせてセックスしてくるってこいつ大分イカれてる。

 

「今日行くのはアサイラムっていうクラブだぞ!ジャマイカで唯一のファンシーなクラブだ!お前俺がいてよかったな!」

 

良かったのか悪かったのかは別にして、

確かにのび太がいなければそんなクラブ初日に行くことはなかっただろう。

それにのび太はよく考えたらいいやつかもしれない。

マイアミから流れでこいつに会ったから勝手なこっちの先入観が先行していただけで、

今のところただの陽気なジャマイカ人だ。

それにのび太って名前もきっと以前に日本人から教えてもらったんだろう。

こいつは信用してもいいのかも。

よく考えれば黒人全員が悪人な訳がない。

マイアミのバッドマインドが少しづづだが薄れていっていた。

 

それから車を走らせること20、30 分。

今自分がどこにいるかなんて全くわからない。

のび太の運転に身を任せキングストンの夜道をひたすら進んだ。

そのうちに“アサイラム”とデカデカと書かれた看板が見えた。

クラブの前には何件ものジャークチキンの出店が出ていて、

お洒落をしたジャマイカの若者達がクラブの周りに何百人もいる。

地面が揺れそうなぐらいのレゲエ特有のベースが響き、

リアルジャマイカ感に久々に興奮してきた。

きっと今日は楽しめる。

のび太もいるから何かあっても何とかなりそうだ。

見知らぬ地の見知らぬ場所。

現地人の連れほど頼りになるものはない。

一度は心を占領していた恐怖心も徐々に消えていくようだった。

 

「ここがアサイラムだ!すごい賑わいだろ?」

 

「うん、なんか少し元気になってきた。」

 

「そうか!じゃあ車止められる場所見つけるから少し廻るか。」

 

のび太はアサイラムを通り過ぎ、隣のブロックへ左折した。

キングストンは道を一本外れると景色が一変する。

さっきの賑わいの180度反対の景色がそこにはあった。

また人一人も歩いていないゲトー通り。

のび太はその通りを少し進んだ路肩に車を停めた。

何だかさっきまでと雰囲気が違う。

 

「着いたぞ。降りろ。」

 

「え?一緒に行くんじゃないの?」

 

「は?何で俺がいくんだ?俺は行かない。お前一人で行くんだよ。」

 

一人であんなギャング感全開の場所なんて行けるわけがない。

ただ黒人ってだけで怖いのにあんなとこ一人で行くなんて、

ネズミが猫の家をノックするようなもんだ。

 

「いやいや一人なら行きたくない。」

 

「じゃあ付き添い料払え。後ここまでのタクシー代は必ず払えよ。」

 

「いくら….?」

 

「タクシー代がUS100ドル。付き添い料がUS200ドル。帰りも送って欲しいならプラスUS100ドルだ。」

 

いくら何でも高すぎた。

さっきのホテルのバーで買った水も多分ぼったくりだが、

この値段はもはや脅しに近い。

 

「いやそんなお金払えない。そんなに持っていない….。」

 

さっきまで徐々に薄くなりつつあった黒人への恐怖心はこの時、

さっきの何倍にも膨れ上がっていた。

目も合わさず片手でハンドルを握りただ前を静かな目で見るのび太。

そして何も言わず車のセンターコンソールを開け、

同時に車の4ドア全てにロックをかけた。

 

 

車内密室のキングストンのゲトーの路肩。

背筋が凍りつくような光景が目の前にあった。

 

本当に終わったかもしれない。

 

今回はマジで殺される。

 

 

のび太は右手に刃渡り20センチほどのナイフを握りしめ私を直視していた。

 

 

中編 -完-

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第十二話「キングストンのギャングスターのび太」-前編-

5th Aug 2020 by

 

 

 

 

「ご無沙汰しています!インターナショナルマザファッカーです!」

 

 

先週このブログを読んだドイツの回で紹介した後輩本人からメールがきた。

全部読んでいます。は嬉しかった。

元気で何より。生きてて何より。

毎週読んでくれている皆さんありがとうございます。

メールくれる皆さん、それ一番やる気出ます。

 

今回で折り返しの十二話目。

 

この3ヶ月間今まで出会って来たいろいろな人達にフォーカスを当てて、

このブログの中で紹介してきました。

アメリカ生活から始まりその後一人旅に出て、

本当に様々な人達に出会ってきたと書いていて毎度実感しています。

 

出会いは財産だ。なんて言葉聞いたことがありますが多分それはホントです。

 

他人からすれば何でもない情景も自分にとっては特別な思い出が蘇る。

それがいい思い出なのか悪い思い出なのかは別として、

そんな経験は誰にでもあると思います。

私はそんな瞬間瞬間に豊かさを感じます。

大袈裟に言えば、生きててよかったなと思う。

なぜかはわからないけど。

 

豊さの実感は個々違う物だと思うけど、

物欲と性欲と食欲。

この3つ以外に幸福を感じられるのなら、

それは”豊か”な事だと個人的には思います。

匂いや気温や音のような形の無いものが引き金となり、

私の場合で言えば、ただのクソ暑い夏の日は朝からハッサンを思い出し、

グッチの蛇のデザインを見る度にマイクとサマンサを思い出すし、

競馬の音を聞くとじーちゃんを思い出し、

絵を描いている少女を見るとヤーイーを思い出す。

 

その度こんな幸せな事ないな。と思います。

 

過去に戻れるわけでもなく手に取ることすらできないものなのに、

幸福感でいっぱいになる。

経験って言ったら硬い感じがするけど、要は思い出。

失敗も成功も幸福も憎しみも思い出。

 

思い出は大切にしてください。

 

という事で今回は世界で思い出を集め始めた、

“初めての海外”の事を書いてみたいと思います。

 

Akilla君すみません。

やっぱり短く書けないです。

 

 

19歳、冬。

大学一年の夏休み。

人生初めての海外はジャマイカだった。

1人で異国での海外生活がしてみたい。

理由はいつも通りシンプル、ただそれだけだった。

 

2月上旬。

冬休みに入ってすぐに飛行機のチケットを買い、

先輩に海外用の大きなスーツケースを借りて準備を整えた。

当時はTSAキー付きのスーツケースなどもあまりなくて、

借りた緑色のスーツケースはプラスチックの箱みたいな感じだった。

 

ジャマイカへは日本からアメリカを経由して向った。

乗り継ぎの不安はあったけど、

初海外の興奮は余裕で不安を上回っていた。

当日は搭乗3時間前にしっかり成田に到着。

問題なく出国手続きを済ませて飛行機に乗った。

 

これが国際線か。

外人だらけじゃねぇか。。

 

初めての国際線に期待感しかなかった。

激狭のエコノミーシートにすら感激したぐらい。

今ではクソ不味い機内食すらその時はうまく感じた。

あの時窓際からみた初めて見たアメリカ大陸は多分一生忘れない。

機内では興奮しすぎて一睡もせず、10時間かけて経由地ダラスに到着した。

真っ新なパスポートのジャパニーズ小坊主は当然のように入国で足止めを食らう。

 

19歳日本人ジャマイカに2ヶ月滞在。

 

「何しにいくんだ?」

 

それ以外聞かれていることすら意味もわからず、

とにかくI don’t know. I don’t knowの応酬。

当たり前のように個室行きになった。

状況も理解できないまま連れて行かれた個室には、

すでにテンパリまくってる中国人の夫婦と、

イスラム系のターバン野郎のガチ勢が何人かいて、

何ていうか赤点の補習授業のような感じだった。

 

自分が入国管理官でもこいつらは止める。

そんな連中しかいない個室の入国審査室は怪しさ150パーセントだった。

 

それから根掘り葉掘り質問され何とか入国。

したはいいものの、入国に時間がかかりすぎて乗り継ぎ便に乗り遅れてしまった。

当初の予定ではダラスからマイアミ、

マイアミからジャマイカ。

アメリカでの滞在はない予定だったが、

急遽その日最終のマイアミ便に乗ることとなり、

マイアミで一泊することとなった。

 

マイアミに着いたのは午後7時頃。

眩しすぎるサンセットは着色料全開のオレンジジュースみたいな色だったのを覚えている。

目的地のジャマイカへは明日の早朝便。

ホテルを取る金も語学も度胸もなく、空港に一泊を余儀なくされた。

加えて全財産の入ったスーツケースだけはすでにジャマイカに飛んでいて、

持っていたのは小さなリュックサックと、

ポケットに米ドル数十ドルとパスポートだけだった。

トラブル続きで乗り継ぎ便の機内食は喉を通らず、

マイアミにつくなりスーパーを探しに空港近くを歩くことにした。

あの頃は今よりも各段に治安も悪くて、

全米中でも有数の犯罪シティーの空港近くを、

アジア人のガキが歩く方がどうかしていたと今では反省している。

 

携帯電話もGPSも当然ない。

言葉もほぼわからない。

歩けど歩けどスーパーもない。

あるのは戸建てのアメリカらしい家々だけ。

それでも初めて嗅ぐ海外の空気に気分は上がった。

同じ空でも日本と全然違う空と海外の匂い。

初めてハイになった高校生の時のように、

あの時のあの感覚は二度と味わえない気がする。

 

いくら歩いても一向にスーパーはなかった。

団地に迷い込んだ私は徐々に危機感が芽生えはじめていた。

さっきまでの空腹感から一気に恐怖心に変わっていき、

急ぎ足で来た道を戻りはじめた。

角を曲がるとさっきはいなかった、

黒人の二人組みがアメ車に持たれかかり屯していた。

 

やばい。

 

経験値激低の自分でも感じる危険な感覚。

平常心を強引に保ち、目を合わさずその場を過ぎようとした。

 

彼らは目でなぞる様に静かに私を見続ける。

 

大丈夫。いける。絶対大丈夫。何度も言い聞かせた。

 

願い通り何も起こらなかった。

炭酸の蓋を開けたような開放感に一気に安堵に包まれた。

だけど今振り返るのは危険だと思い

とにかく前だけを見て歩き続けた。

 

大丈夫。大丈夫。

 

一歩一歩急ぎ足で歩いた。

デニムが擦れる音がいつもより早い。

そしてその一定のデニムのリズムに、

後方から加速する足音が津波のように重なってきた。

 

終わった。

 

そう思った時には字面に叩きつけられ、頭を思いっきりぶつけた。

そしてマウントを取られて額に重厚感のある冷たいものが当たっている。

 

銃だった。

 

そこからはあまり記憶がない。

覚えていることは小便を漏らし、謎に半端じゃない勃起をしたことだけ。

人間は本当に死ぬと感じた時反射的に生命を残そうとするらしい。

 

黒人は物凄い勢いで怒鳴ってくる。

 

「ノーマネー!ノーマネー!ノーイングリッシュ!」

 

ただただ震えながら叫んだ。

胸ぐらを思いっきり掴まれ振り回される。

着ていた白の無地ティーも首元から肩にかけて裂けて、

小便を漏らした私にギャングは唾を吐き、

ポケットに入った数十ドルを取り彼らは車に一瞬戻った。

何言ってるか全くわからない。

とにかく今しかないと思った。

 

猛ダッシュした。

とにかくダッシュ。

 

撃たれるとか考えもしなかった。

ビショビショで重くなったデニムを引きずるようにとにかく逃げた。

彼らは追ってこなかった。

信じられないほど涙が出て、

一生こんなとこ来るかと思いながら泣きながら空港まで走った。

 

空港に着いた頃にはすでに空は暗くなっていた。

入り口の自動ドアから空港に入るなり、ほぼ全員が僕を見ていた。

そりゃあそうだ。

ビリビリに裂けたティーシャツにお漏らしデニム姿。

100%なんかあったやつの風貌だったから。

寝れそうなベンチを見つけて座ったら自分の情けなさにまた泣けてきた。

そこに150キロぐらいありそうな髭面の白人おじさんが歩み寄ってきて、Tシャツをくれた。

胸元にデカデカとシカゴと書かれたグレーの3xlの馬鹿でかいTシャツ。

 

デカすぎて笑えてきた。

同時に知らないおじさんの優しさにまためちゃくちゃ涙が出た。

ジャマイカに着くまで一文なしになった私は、

とにかく夜が開けるのを空港のベンチで待った。

寝られる訳もなく、近くに人がくるだけで恐怖だった。

黒人怖すぎ。って感じだった。

夜が開けてキングストン行きの便の搭乗が始まった。

小便くさいデニムに3xlのシカゴティー。

もう服装も匂いもクソも関係なかった。

とにかく早くこの場を離れたい。

マイアミなんて一生来るか。

 

飛行機に乗りキングストンへ向かった。

キングストンへは大体1時間30 分くらい。

40分くらいすると機内にいても感じる気温の変化を感じた。

カリブに向かっている実感が湧いた。

着陸した瞬間皆が拍手をする。

 

なぜ?

 

そんな賭けみたいな飛行機に乗っていたのかと思ったけど、

ジャマイカ便の恒例の行事だと後で知った。

 

ジャマイカ、首都キングストン。

入国審査は簡単に終わった。

頭の中はスーツケースの行方。

税関の前で流れるベルトコンベアーの前に、

見覚えのある緑のスーツケースが見えた。

生き別れた兄弟にでも再会したかのように嬉しくて、

久しぶりの安心感に抱きしめられた。

税関を抜けて出た先はまるで刑務所のようだった。

柵の向こうから無数のタクシードライバーが叫んでいる。

 

「ジャパニーズ!!!!!」

 

怖すぎた。

出発前に先輩からジュタという国営のタクシーを使えと言われていて、

ナンバープレートがピンクのタクシーだと知っていた。

とにかくナンバープレートがピンクの車だ。

もはや黒人恐怖症の私は360度黒人のこの国でやっていけるのか不安しかなかった。

そこにボーズ頭の背の低い丸々としたジャマイカ男が片言の日本語で話かけてきた。

 

「俺、のび太。」

 

びっくりし過ぎて立ち止まってしまった。

久々の日本語だったのもそうだが、その言葉に立ち止まった。

 

「のび太?あなたがのび太?のび?ドラえもん?」

 

「俺、のび太!タクシー?」

 

「そうタクシー。ジュタ?のび太はジュタ?」

 

「ジュタ!ジュタ!」

 

こんな面白い奴で国営タクシーなら乗らない手はない。

のび太に案内されて車まで向かうことにした。

車のナンバーは真っ白。

完全に白タクだった。

でも言葉が分からなくて上手く伝えられない。

出発してからまだ約48時間。

入国審査から始まり言葉の壁をすでに相当感じていた。

言葉が話せないだけでいつもの4倍くらい引っ込み思案になり、

会話の2秒後にはいつも堅い愛想笑いを浮かべていた。

もちろん何も理解していないのに。

この時も私はのび太に断ることもできずに、

そのままのび太の車でホテルまで行くことになった。

車内でのび太に話しかけてきても何もわからなくて、

何でもかんでも頷いていた気がする。

今思えばかなりキョドッていたと思う。

 

 

そしてなんだかんだでホテルに着いた。

 

 

 

ここからが最悪の始まり。

 

昨日のマイアミは序章に過ぎなかった。

 

ここから7日間私はこのホテルから一歩も出られなくなる。

 

 

 

前編 -完-

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第十一話「ニューヨークVS川村の皮肉」

29th Jul 2020 by

 

 

毎週水曜日。

 

今週は何を書くかスタジオの天井をボーッと見ながら考える。

 

当時の日記や記憶を辿っていると、

今では赤面してしまう様な行動もある反面、

今にはない当時の勢いだったり盲目なチャレンジ精神には、

昔の自分に喝を入れられる事も少なくない。

 

回転チェアーの上でクルクル回っていると、

記憶と伝えたい事が円の中のどこで出会うのか、

気が付けば自然とキーボードを叩いてきた。

 

今も天井は回っている。

 

4月から書き始めた週1のブログも今回で11回目。

友人の一言をきっかけに4年ぶりに書き始めたこのブログは、

私にとっても改めて自らの軌跡を振り返るいい機会にすらなっている。

 

NBT君ありがとう。

 

全24回。もう少しで折り返し。

プロローグでも書いた通り、これは若者達に向けた暇つぶしツール。

このブログを読んで誰かの次のアクションに繋がってくれたら本望です。

 

折り返し地点一つ手前の今回。

旅の話ではなく、旅に行く”前”の話を今回だけは書いてみたいと思います。

私が旅や移住生活の中で最も苦しい時や落ちていた時に、

常に頭にあった一つの言葉について。

 

ぶん殴りたいほどムカついたけど、その言葉あったから踏ん張れた。

 

 

ニューヨークへの移住を決めたのは大学2年の夏休み前。

当時20歳だった私はほとんど学校にも行かず、

1年間で4単位しか取得していないクソ野郎だった。

ただ、この頃勢いだけはものすごい。

大学2年の夏休み前のテスト前に、

喫煙所でタバコを吸っている時に急に思い立ち、

その日に学生課に行き大学を辞めた。

 

そしてその夜、両親に電話で大学を辞めた事を伝えた。

母親はブチギレ。一方父親はすごく冷静だった。

 

「そうか。それでお前辞めて何するんだ?」

 

「ニューヨークに行く。留学したいから辞めた。」

 

「いつから?」

 

「9月。それまでに金貯める。」

 

「そうか。まあ好きにしろ。でもかーさんには謝れよ。泣いてるぞ。」

 

その後、母親には泣きながらブチギレられた。

母親が泣いているのはどんな時でも好きじゃない。

申し訳なさと正直な気持ちが混ざり合い返す言葉が出てこなかった。

 

それから私は色んな仕事をして3ヶ月で金を貯めた。

大体200万くらい。

短期間で小僧が金を稼ぐには色々やらないといけない。

なのでこれ以上は書きません。

 

とりあえず金は用意できた。

次はビザの申請。

学生ビザの申請は思っていたよりも面倒くさかった。

最終的には赤坂のアメリカ大使館で最終面接を受けて、

その後郵送でビザ付きのパスポートが送られてくるが、

その前に揃える書類がめちゃくちゃある。

バンクアカウントの残高証明や戸籍、最終学歴の証明書…etc

提出する書類の重ねる順番が違っていてもダメで、

面接の日程も申請から1ヶ月後くらい。

後から聞いた話では大体皆エージェントや弁護士を通して申請するらしい。

そんなエージェントがいる事すら知らず、手探りで全て自分で準備を進めた。

 

ビザの申請に必要だった最終学歴の成績証明書をもらいに、

卒業した高校に学歴証明を取りに行った時のこと。

まだ卒業して2年ほどしか経っていなかったが懐かしい感じがした。

職員室に行き、担当の先生に書類をもらいに行った。

その時、当時の担任だった川村が私に話しかけてきた。

 

「珍しい奴がいるな。何だ?お前何しに来たんだ?」

 

私は正直川村からかなり嫌われていた。

当時はもはや話もかけられない感じ。

学校に行かなくてもほっとかれていたし、

ホームルームでもほぼ空気みたいな感じで扱われていた。

実際自分自身もそれを望んでいたところはあった。

しかも奴は私の家の一本裏の道沿いに住んでいて、

休日もたまに見かけるぐらい。

私も川村が大嫌いだった。

 

「9月からアメリカに行くんで成績証明書もらいに来ました。」

 

「なんだ?お前大学辞めたのか?」

 

「はい、辞めました。」

 

「お前はやっぱりどうしようもない奴だな。次はアメリカに逃げんるのか?お前なんてアメリカに行ってもどうせ何も身にならずにすぐ帰ってくるんだろ。」

 

 

殴ってやりたいほど頭にきたが、

シカトして担当の先生に証明書を貰いさっさと高校を後にした。

図星だったのか、ただムカついたのか。

自分の無力さにも気がつき始め、

どれだけ怠け者なのかは自分が一番知っていた。

多分相当悔しかったのだろう。

それからこの言葉はいつまでも頭の中でループし続け、

13年たった今でもはっきりと残っている。

 

それから無事にビザを取り、私はニューヨークに移住した。

当初1年の予定で行ったはずが結局4年滞在。

この4年間の中で何度もニューヨークという街に食われそうになった。

そしてその度にあの川村の言葉がでかい顔でニヤニヤ出てきた。

 

「お前はやっぱりどうしようもない奴だな。次はアメリカに逃げんるのか?お前なんてアメリカに行ってもどうせ何も身にならずにすぐ帰ってくるんだろ。」

 

今聞いても鼻につくこの言葉は、

壁の前で体育座りしている私をいつも笑った。

そしてその顔を見る度怒りがこみ上げてくる。

 

あいつにいつか認めさせてやりたい。

あいつに笑われるぐらいならまだ踏ん張る。

あいつには絶対負けたくない。

 

正直その気持ちのおかげで何度も壁を超えられたと思う。

人を励まし元気付けるような人道的な言葉ではなく、

私の場合は元担任から言われた皮肉がいつも逆境への着火剤だった。

怒る気持ちはきっと使い方一つだ。

怒りのパワーはうまく使えばいつもの何倍もの力になる。

受け取った怒りは投げ返すんじゃなくて、

消化して壁を壊す力に使うまわすべきだ。

それはもしかしたら”頑張って”とか”応援している”みたいな言葉よりも、

本当に辛い時は役に立つかもしれないと今は思う。

ただムカついてるど真ん中ではそんな冷静になれない。

その時は一回寝る。これに限る。

判断は起きてからしたほうが比較的物事は上手くいく。

 

ニューヨークVS川村の皮肉。

負けなしの川村。

 

ニューヨークでの生活でも、

それから出た旅の中でも、

川村の皮肉は無敗だった。

今このブログを書いていても、

何度奴の言葉で奮起できたかわからないくらい、

辛かった時の記憶が蘇る。

 

あれから13年たった今、

川村に会ったら言ってやりたい。

 

「先生のおかげで一度も逃げませんでした。」

 

毎朝スタジオに向かういつもの道。

車で通る川村の家。

いつも心の中で中指を立てている。

 

 

今に見てろ。

 

 

-完-

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第十話「STAY SEXY by ホーランド」

22nd Jul 2020 by

 

 

先週のルックブックの撮影は無事終了。

スタッフさんやモデルの皆には感謝です。

来月頭にはアウトするみたいなので、皆様是非。

撮影の時にAKILLA君からブログが長いと指摘をもらったので、

今回は短く書いてみたいと思います。

助かりますw

 

先週の撮影で10代や20代前半のモデルの子達を撮って、

帰りの高速の車内、何かノスタルジックな気持ちになり、

数年前あるモデルからもらったこの言葉を思い出した。

 

「STAY SEXY」

 

これが今回のキーワード。

なるべく短く書きますw

 

 

カメラマン。

フォトグラファー。

写真家。

 

三つともカメラで飯を食う職業に変わりは無く、

言葉でカテゴライズされた同じようで全く違うこの三つの肩書きに、

数年前、自分の中に大きな葛藤が生まれ始めた。

 

ただ”好き”が先行して始めたカメラ。

撮りたいものを撮りたいように撮る。

何でも始めた頃は発見の連続で私がカメラを始めた頃も同様、

カラーフィルム、白黒フィルム、リバーサルフィルム…

色んなフィルムを使い暗室で徐々に浮き上がってくる画に興奮の連続だった。

自分が何者なのか?

とかそんな大それたトピックなど考える事もない。

むしろ肩書なんてファックだった。

 

それからそんな真っ直ぐな気持ちは変わっていった。

すごくシンプルで今では正解に見えるほどの初心の無心な情熱は、

時間とステージが比例して進むと共に、

責任や金、抑えても湧き上がる名声欲によって冷めていった。

 

クライアントは何を求めているのか。

皆どんな画が好みだろう。

何を撮ったら皆驚くだろう。

 

指紋がべたべたのくもったレンズのように、

ピカピカの初心は汚れていき、

撮りたい被写体を見つめてきた自分の目は、

いつの間にか他人の目を見るようになっていった。

 

ストリート写真も風景写真もポートレートも、

コンテンポラリーな抽象的な画や構図も、

セクシーな女性の写真や、著名人の撮影も、

とにかく何でも撮った。

全て意味があったし学ぶ事も多かったが、

色んな撮影に挑戦しても自分が何者なのかはいつまでもわからないまま。

相手からは次のレベルを求められるから進まないといけない。

そんな空中で背伸びを繰り返す日々はそれから数年続いた。

 

だが変化のタイミングは不意にやってきた。

それまでいつまでも吹っ切れなかったモヤモヤが一瞬で吹っ切れた瞬間。

 

ある何でもないいつもの撮影現場。

ブルックリンのハウススタジオでアパレルのカタログ撮影をしていた時の事。

モデルはアメリカで初めてポートレートを撮らせてもらったホーランド。

もう5、6年前に学生時代の友達に紹介された背の高い白人の女の子。

その日も何の問題もなくいつも通り撮影は進み、無事に撮影は終わった。

帰り際ホーランドと世間話をしていたら彼女は唐突に確信をついてきた。

 

「KIKI最近自分の作品撮ってないでしょ?」

 

「うん。最近はクライアントの仕事が多くて自分の作品撮れてない。」

 

「だと思った。初めてポートレート撮った時の方が写真家って感じしたもん。今の方が仕上がりは綺麗だし、いろいろ考えられてると思うけど。」

 

「実はなんか最近ずっとわかんないんだよね。別に今に不満があるわけじゃないんだけど、なんかモヤモヤしてる。クライアントに合わせてるからかな。」

 

「私は色んな写真家に撮られてきたけど、別に綺麗に撮るのが写真家じゃないと思うし、上手ければ上手いほどつまんないっていうか。色とかスタイルがあるって言い方変えればセクシーじゃない?男も女も関係ないと思う。アーティストはセクシーじゃないとダメ。あなたはアーティストなんだから。相手になんて合わせなくていいじゃん。自己中で真っ直ぐな方が型にはまったハンサムよりよっぽどセクシーよ。作品には全部出るから。」

 

この時自分の目線が人の目から被写体に戻った瞬間だった。

フィールドが変わるにつれてカメレオンの様にその色に染まってきたこの数年。

モヤモヤの正体はブレブレの芯だった。

別にどの現場でも自分でいれば良くて染まる必要はなかった。

相手が気にいる作品は染まったら撮れるかもしれないが、

相手の度肝を抜く作品はブレない芯からしか生まれない気がする。

 

これは自分しか撮れない。

今でも決めのメインカットではこれを常に心がけている。

 

「KIKI! STAY SEXY!」

 

ホーランドは最後にそう言い残し、迎えにきた彼氏の高級車に乗り込み帰って行った。

 

笑えた。

 

ホーランドの彼は型にどっぷりハマった典型的なハンサムだった。

 

 

まあ世の中そんなもんだ。

 

 

-完-

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第九話 「大阪のギャンブラー藤井孝」

15th Jul 2020 by

 

 

明日からLafayetteのルックブックの撮影が始まります。

ここ数年ずっとニューヨークでやってきたルックの撮影。

今回は日本での初めての撮影という事もありいろいろ楽しみです。

ご期待ください。

 

 

今回の主人公、藤井孝。

 

半年に一度定期的にやらせてもらっているルックの撮影は、

私にとって毎度彼を思い出すタイミングでもある。

彼が死んだのは5年前の2015年。

Lafayetteのニューヨークでのルックブック撮影の当日だった。

 

藤井孝は私の母方のじーちゃんだ。

つまり私の母の父にあたる人で、

彼は桁違いの自己中で亭主関白全開の昭和の男。

私はそんなじーちゃんが大好きだった。

アメリカに住んでいた頃も一時帰国する度に大阪までじーちゃんに会いに行っていた。

じーちゃんは生まれも育ちも大阪の高槻。

6人兄弟の末っ子で、戦争に行きたかった。が彼の口癖だった。

 

「僕も兄弟達と一緒に戦いたかったですわ。今でもそれだけは悔いが残ってるな。」

 

戦時中じーちゃんはまだ幼く、戦争には駆り出されず実家で母親と過ごしていたらしい。

6人兄弟の内、上の3人は戦争で戦死し、じーちゃんはいつまでもこの兄弟達を誇りに思っていた。

戦争で戦うということに関して私達の世代とは全く違う価値観を持っていて、

戦争時代を経験したじーちゃんの口からまさか参加しかったという言葉がでくるのには私自身正直驚きもあった。

戦争が終わり、やがてじーちゃんが結婚した私のばーちゃんにあたる人は警察官。

ばーちゃんはじーちゃんとは正反対の性格で人格者の代表みたいな人だった。

警察を退職後は日本舞踊の先生をしていたり、

私や兄にもとにかく優しくて亭主関白全開のじーちゃんの世話も文句一つ言わずにしていた。

 

そんなばーちゃんも私は大好きだった。

 

じーちゃんは何年も職業訓練場に通い、

仕事については辞め、また訓練学校に通い、

一行に定職につかない現代の言葉で言えばニート。

何でそんなじーちゃんと勤勉な警察官のばーちゃんが結婚したのかは幼い頃から不思議でならなかった。

ちなみに私の母はばーちゃんによく似ている。

 

その点の関しては本当に良かったと思っている。

 

じーちゃんの趣味はパチンコと宝くじと競馬。

私がまだ下の毛も生えない小学校低学年の時から、

私と兄を連れて行くのはいつも大阪市内の馬券場だった。

 

「ここで待っとき。」

 

そう言われいつも私と兄は馬券場の大きな柱の前で待たされていた。

ちなみに勝ったところは一度も見たことはない。

別の日は甲子園の決勝戦に連れて行ってやると言われ、

また兄と3人で行ったのは良いものの2回表ぐらいで暑いからもう帰ろうと言い始め、

そのまままた馬券場に連れて行かれた。

あれは沖縄尚学が初めて優勝した夏だった。

 

また別の日は、ばーちゃんが私と兄が来ているから、

 

「あんたこれでこの子達に何か美味しいものこうてきて。」

 

じーちゃんに1万円を渡しボロボロのママチャリで出かけて行ったじーちゃん。

買ってきたのはスーパーで特価になっていた500円の寿司のパックと宝くじだった。

お釣りの¥9500で宝くじを買っていた。

 

今書いていても笑えてくるじーちゃん。

 

こんなギャグみたいなじーちゃんはスーパーヘビースモーカーでもあり、

縁側で寝転びながらずーっとタバコを吸っていた。

そして後に肺がんになった。

私が15歳の頃、タバコを吸い始め、母にもばーちゃんにも辞めろと言われる中、

 

「純ちゃんタバコを始めたんか?!それはええ事やな!庭で一緒に一服しよか。」

 

一人だけ孫の喫煙を喜んでいた事も思い出深い。

肺がんを宣告された医者にもタバコを辞めろと言われてブチ切れていた。

 

「先生、タバコ辞めたら僕は生きてる意味ないですわ。せやから辞めません。それで死ぬんやったら構いませんわ。」

 

もうめちゃくちゃだった。

病院から帰ってきたじーちゃんは母とばーちゃんにも同じような事を言っていた。

 

「タバコ辞めろ何ていう医者にロクな奴おらへんわ。あの先生はあかんわ。」

 

肺がんの患者にタバコを辞めろと言わない医者がいるなら教えて欲しい。

それからもタバコは辞めず、私が遊びに行く度に嬉しそうに一緒にタバコを吸おうと誘ってきた。

じーちゃんの身体は心配だったけど、

嬉しそなじーちゃんを見ていたらこの方が幸せなのかもなとも思った。

今でも縁側でタバコを吸うじーちゃんの後ろ姿は目蓋の裏に焼き付いている。

 

それから数年後、じーちゃんは白内障にもなり、家で過ごすのも困難になった。

介護施設付きの老人ホームに入り、じーちゃんの元気がなくなっていくのは目に見えて分かった。

見舞いに行くたびに、耳も遠くなっていっていたし、目も見えているのかわからない様子だった。

それでも禁煙とデカデカと書かれた老人ホームの部屋でタバコだけはずっと吸っていた。

もうシカトを超えて完全にアナーキー。彼を支配できる者などいなかった。

 

それから1年後くらいの夏。

私はニューヨークに向かう前にじーちゃんに逢いに老人ホームに向かった。

もうこの頃にはじーちゃんは寝たきりになっていて、ラジオから流れる競馬の実況だけが部屋に響いていた。

 

「じーちゃん元気?大丈夫?また週末からアメリカ行くよ。」

 

「純ちゃんが行ってるのはアメリカの東ですか?西ですか?」

 

「ニューヨークだから東だね。」

 

「東はええとこや。」

 

「え?知ってるの?じーちゃんニューヨーク行ったことあんの??」

 

「いやないけどな、わかんねん。東はええでー。」

 

1人笑いながら話すじーちゃん。

こういう意味不明なところも大好きだ。

話している時から気になっていたが、

じーちゃんの布団の隣には30、40枚くらいの散乱した万券があった。

 

「じーちゃん金が散らかってるよ。ちゃんとしまわないとダメだって。またばーちゃんに怒られるよ。」

 

「純ちゃんな、金なんて死ぬ前はただの紙切れや。こんなもんに振り回されたらあかんで。あと純ちゃんがこれからもし何か迷った時はな、その時は奥さんの意見に従ったほうがええで。あの人たち女の人はな答えを知っとんねん。男はいつまでもアホやねん。おじーちゃん見てたらわかるやろ。あとな、人生は一歩前進二歩後退や。ええか?」

 

「じーちゃん、一歩前進二歩後退じゃ一歩も前に進んでないじゃんw」

 

「それでええねん。いつも一歩進む事に意味があんねん。振り返るのはあかんで。後ろに下がれば自分が見えるやろ?進むだけやと皆天狗になんねんで。人生そんなもんやで。」

 

じーちゃんはゲラゲラ笑っていた。

そしてこれが最後に私がじーちゃんと交わした最後の会話になった。

 

その一週間後、私はニューヨークでの撮影当日の朝に妻からの国際電話でじーちゃんが死んだ事を知った。

覚悟はしていたがやっぱりめちゃくちゃ悲しかった。

私の中でじーちゃんとの最後の思い出のロケ地はニューヨークとなった。

帰国してからすぐに大阪に向かい、

じーちゃんの墓に妻と母とばーちゃんと共に線香をあげにいった。

帰り際に皆で喫茶店により、ばーちゃんに聞いてみた。

 

「ばーちゃんは何でじーちゃんと結婚したの?」

 

「何でやろなwわからへんwせやけどあんたらが生まれてきてくれたからそれだけでおばーちゃんはええねん。あの人無茶苦茶な人やったけどなおもろいやろwおばーちゃんはもう人生に後悔は一個もないわ。」

 

いつか私もこの境地までたどり着けるだろうか。

幸せっていう感覚はタイミングによってツボが違う気がする。

子供の頃は夜親父とコンビニにアイスを買いに行くだけで幸せだった。

外の夜の匂いを嗅ぐだけで興奮できた。

今はどうだろう。

正直金を生み出すことで快感を感じたり、

いい写真をとれた瞬間が興奮の瞬間だったり、

またあの頃とは違うツボに幸せというか快感を感じている。

ただ私もこのまま運良く寿命を迎えることができるのなら、

最後は妻と過ごせたことが人生で一番の幸せだったと言っていたい。

 

ばーちゃんが言ったように後悔は一個もない人生だったと言っていたい。

 

女性は答えを知っている。

じーちゃんの言った通りなのかもしれない。

本当に迷った時は妻に相談しようと思う。

 

 

明日から始まるLafayetteのルックブック撮影。

 

私にとってこの仕事には特別な思いがある。

 

気合入れて撮ってきます。

 

RIP my crazy grandpa.

I love you.

 

-完-

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第八話「ベルリンの拾う神ダニエル」-後編-

8th Jul 2020 by

 

 

 

人類皆兄弟。

差別の時代じゃない。

 

誰がそんな寝言言ったんだ。

 

今だって世界中ガチガチの白人至上主義じゃないか。

自分自身そういう意味では白人を差別している。

差別している奴を差別している。

 

 

ベルリンのどこなのかもわからない警察署。

パトカーから下され署内の取調室的な個室に連行された。

すれ違う警官達全員が敵にしか見えなかった取り調べ室に行くまでの間、

突き刺さるような白い悪魔達の冷たい視線は今でも忘れられない。

神にでも捨てられたかのように最悪な状況だったのは間違いない。

 

個室に入れられてからもドイツ語で質問を重ねてくる警官達。

シラフに戻りさっきまでパニック状態だったのも束の間、

理解不能の言葉でひたすらに責め立ててくる警官達にイラつきが生まれてきた。

何度か経験してきた感覚だが怒りにはパニックを超える力がある。

 

「だからドイツ語はわからないって何回言ってんだ。英語か日本語ができる通訳を呼んでくれ。」

 

この言葉を一点張り。

何を聞かれてもそれしか言わなかった。

担当の警官は呆れたのか数分で部屋を出て行き、代わりに白人女性の警官が入ってきた。

 

「あなた日本人ね?私が今からあなたの状況を通訳するから、わからないことや、違う点があったら私にその都度言いなさい。いい?」

彼女は流暢な英語で説明を始めた。

 

「まずあなたは今傷害罪で逮捕されている。あなたには黙秘権があって、ここでの取り調べの発言は証拠として記録されます。仮に起訴になった場合、その発言は証拠として法廷で使用されるから。あとあなたには弁護士を呼ぶ権利がある。わかった?」

 

「は?傷害罪?ふざけんな。黙秘なんてする気はない。まず俺は向こうに最初に殴られたから殴り返しただけだ。あと何で俺だけが逮捕されるんだ?これは紛れもない人種差別だろ。」

 

「あなたが殴った相手が被害届を出したから逮捕されてるの。相手が言うにはあなたがビール瓶で殴ってきたと言ってる。あなたが言うように向こうから手を出してきたと言うのが事実なら、あなたも被害届を出しなさい。それから裁判で争うことになる。明日国選の弁護士を呼んでるから弁護士まず話しなさい。」

 

「裁判?国選弁護士?その弁護士は英語わかるの?」

 

「それはわからないわ。とにかく明日弁護士と話して決めて。取り調べも明日。もう今日は寝なさい。」

 

「そいつが英語わからなかったらどう説明すんだよ?あんたが通訳してくれるのか?まずこんな状況で寝られるわけねーだろ。」

 

通訳の女性は罵声を飛ばす私に感情を見せるわけでもなく、

ただ何も言わず部屋を出て行った。

 

逮捕当日の夜はそこで取り調べは終わり、

そのまま署内の留置所にぶち込まれた。

頑丈な柵がぎっしり詰まった4人部屋。

汚れまくった便器一つに低い仕切りがあり、

もはやベッドと言うかベンチぐらいのサイズの

折りたたみ式の金属板が簡易的に壁に付いているだけ。

ぶち込まれた部屋の中には2人のドイツ人らしき奴らがいた。

奴らは2人とも柵に寄りかかり体育座りをして下を向き、

一切話もしてこない。

私も彼らを真似るように柵にもたれかかり、

自然と同じポーズになっていった。

 

これからどうなるのか。

 

日本大使館に連絡してもらったほうがいいのか。

いやでも判断を焦るといい方向に行ったことがない。

特に隠すこともないんだ。

ありのままを伝えて戦ってやろう。

 

まずは明日の朝、弁護士と話して全てを決断することにした。

柵の向こうに見えるA4サイズぐらいの小窓は少し明るく、

金属板の上に寝転び目を閉じたのは恐らく朝方だった。

時折目を開けると見える留置所の天井をただぼーっと眺め、

現実逃避を求めてまた目を閉じる。

この繰り返し。

全く寝付けない逮捕初日は、

目蓋の裏に滲むように浮かぶこの先の不安達を、

強引に一つ一つ潰していくことしかできなかった。

マジ最悪だ。

 

 

「おい日本人。弁護士が来てるぞ。出ろ。」

 

ほとんど寝れなかった初日は去り、

早朝看守から呼ばれ体を起こした。

看守に言われるがままに昨日の個室に連行され、

そこに70代ぐらいのおじーちゃんが座っていた。

 

まさかこのじーちゃんが弁護士なのか。。

 

「おはよう。昨日は眠れたかな?私が君の弁護人だ。私との会話は誰にも聞かれていないから全て正直に話してほしい。いいかい?昨日説明されたと思うけど、君は今相手側が被害届を出しているから傷害罪で勾留されている。私は示談に持っていこうと思っているんだが君はどうしたい?」

 

おじーちゃん弁護士は英語ペラペラだった。

助かった。

昨日からの一番の不安要素だったのもあり、

その点に関しては一気に安心が込み上げた。

あとは正直に話せばいいだけだ。

 

「いやいやまず示談とかじゃなくて、俺は相手に殴られたからやり返しただけだし、今でも悪いと思っていない。こっちも被害届を出して裁判で戦いたいと思っている。」

 

「なるほど。ただ君は自分が殴った相手が何歳か知っているかい?18歳だよ。未成年。この時点で裁判になった時、君の方が正直分が悪い。しかも君は外国人だ。実際は相手が悪かったとしても裁判の結果が君にとっていい方向になるかは保証できないし、相手と裁判で争うならそれなりにお金もかかる。その覚悟はあるかい?」

 

「18歳?だから何なんですか?事実最初に手を出したのは向こうだし、目撃者もたくさんいる。年齢とか関係あるんですか?俺は今でも正当防衛だったとしか思っていないし、まず示談して何で俺が平伏さなきゃいけないんだ。しかも金なんてない。」

 

「私は君の言っていることが間違っていると言っているわけじゃないんだ。ただ落ち着いて考えて判断するべきだと言っている。選択しやすいように簡単に説明するよ。仮に裁判で負けた場合、君は強制送還になるだろう。強制送還になった場合恐らくシェンゲン協定に基づいてこの国に加えて隣県3カ国に5年間もしくは10年間は入国できなくなる。それでも戦いたいかい?」

 

弁護士が淡々と伝えてくる今後の予想は、

自分の予想を遥かに超えたものでもう意味がわからなかった。

示談なんて言葉だけで結局金で解決するってことだ。

しかも何で俺があのガキに頭を下げて金まで払わなきゃいけないんだ。

意味がわからない。

当然すぐに納得できるわけもなかったが、

裁判になった時の金のことなんて考えてはいなかったのも正直なところだった。

金もない自分が裁判もできないのは認めざる得ない事は、

弁護士との会話の中で薄々わかってきていた。

 

しかも裁判で負けた場合のリスクもデカすぎる。

無力でもどかしい悔しさに頭を抱えることしかできなかった。

 

「…仮に示談に持っていくとしたらどうなりますか…?」

 

「まだ交渉していないからわからないが、相手に怪我の治療費と慰謝料で数千ユーロ払うのが通例だろう。」

 

「数千ユーロ?そんな金持っていないです。しかも裁判する金もないです。」

 

「なるほど。金を貸してくれる知人はいないかい?それか日本から送金してもらうことはできない?」

 

「この国にも友達はいるけどそんなこと頼めないし、日本の友達家族にも頼みたくないです…」

 

「友達はドイツ人?」

 

「そうです。ダニエルっていう私が泊まってるユースホステルで働いている奴がいるんですけど、そいつに言って着替え持ってきてもらえませんか?」

 

「わかった、取りに行ってみるよ。まあとりあえず今日相手側の両親にあって話をしてみるから。何とか被害届を下げてもらえるように交渉してみるよ。」

 

「ありがとうございます。」

 

弁護士はそう言い残し部屋を出て行った。

絶望感に抱きこまれた私は個室の机の上でただ頭を抱えた。

そして数分もしないうちに弁護士と入れ替わるように昨日の女性警官が入って来た。

 

「じゃあ取り調べ始めるわね。昨日の出来事の一部始終をこと細く教えて。」

 

もう半分どうでも良くなっていたのかもしれない。

私はありのままの昨日の出来事を包み隠さず冷静に伝えた。

多分このまま起訴されて強制送還だ。

もし時間にコマンドZがあるなのら今すぐに押したい。

そんな気持ちだった。

投げ続けられる質問にも全てありのままに答え、

昨日の出来事を改めて振り返りながら細かく話した。

 

だが話しを続けているうちに別の後悔が生まれてきた。

 

それは昨日自分がした事への後悔ではなく、

示談という選択を考えてしまった後悔だった。

 

自分の正義に嘘ついて賢さを選択しようしたら、

気持ちも弱くなり迷いが生まれてやがて後悔に変わった。

今でも間違っていなかったと思ったなら迷う必要なんて無くて、

貫き通さなかったから後悔に追いつかれて背中を追いかけた。

賢く生きるか正直に生きるか。

どちらを選択しても失うものと守られるものがあるのなら、

私はその時正直に生きたいと思った。

今の状況を受け入れよう。

取り調べも裁判でも本当のことをういうだけ。

示談もしないし、金も払わない。

 

取り調べは1時間くらいで終わり部屋に戻された。

部屋では全くやることなんてない。

何をするわけでもなくただ柵に持たれ地面を見たり天井を見たり。

柵の向こうの小窓が暗くなるまでの間が永遠かと感じるほど長く感じた。

でも気持ちは何かが吹っ切れたような感覚で、

あれだけ荒れていた心は中心で静かに座っていた。

 

240pのスーパースローで流れる時間。

 

いつもの何十倍もの遅さで日は沈み夜は明けた。

 

三日目の朝。

また朝から看守に呼ばれ個室に連行されると、

おじーちゃん弁護士が座っていた。

 

「おはよう。着替え看守の人に渡しておいたから。昨日早速相手の両親のところに示談の交渉に行ってきたよ。示談金は治療費含めて全部で3600ユーロ。示談には前向きな印象だったからお金があればすぐ出れるんだけどねぇ。やっぱり無理そうかな?」

 

「行ってもらってすみません。昨日考えたんですけどやっぱり示談はいいです。金もないんで。」

 

「そっか。昨日相手側の両親に会った後にユースホステルに寄ったんだけど、皆相当心配していたよ。ダニエルはあいつは無実だってずっと言っていたし。どうにか日本からでも送金してもらえないのかい?」

 

「いやいいです。もう強制送還になってもいいんでこのまま進めてください。」

 

「そうかぁ。じゃあこのまま進めるよ。また何かあったら連絡しなさい。」

 

「ありがとうございます。もし会う機会があったら、ダニエルに大丈夫だっていっておいてください。」

 

「伝えておくよ。」

 

おじーちゃん弁護士が出て行き、後はまた昨日と同じ流れ。

取り調べで同じ質問を何度もされる。

昨日と言っていることに相違がないか確認しているのか、

昨日話聞いてた?ってぐらい同じことを何度も聞かれた。

取り調べをする警官ですら最後の方は飽きている様子にも見えた。

部屋に戻り、やることもないから筋トレを始めてみた。

映画でよく見てきた囚人が異常に筋トレをする意味が少し分かった気がする。

多分とにかくなんでもいいから身体を動かしたいのだと思う。

狭い監獄の中で全身が疲れ切るまで筋トレをひたすらにやった。

昼飯で配給されたカピカピのパンと一口サイズのチーズとミルク。

汗だくでがっついて食べていたら看守に呼ばれた。

 

「おいジャパニーズ。釈放だ。」

 

「え?マジ?何で?」

 

「早く出ろ。」

 

理解不能だった。

この5時間ぐらいで何があった?

相手の両親が同情でもしてくれたのか?

訳もわからないまま留置所から出され、所持品を返されて釈放された。

 

一階の出口にはダニエルとおじーちゃん弁護士が立っていた。

 

「いやびっくりしたよ!何で俺出られたの?」

 

「ダニエルが相手側に慰謝料全額払ったんだ。」

 

ダニエルは何も言わず少し笑みを浮かべハグしてきた。

 

「ありがとうダニエル。絶対金返すから。」

 

「金はいいからとりあえずユースホステル戻ってパーティーしようぜ。オリバーも他の従業員もいるから。」

 

この後、私とダニエルはおじーちゃん弁護士にユースホステルまで送ってもらい、

深夜まで一階のバーで盛大にウェルカムバックパーティーをした。

久々にここまでぶっ壊れるかぐらい皆も酔っ払て、

オリバーの目なんてほとんど開いていなかった。

ずっとニヤニヤしながらオリバーはつまらない冗談を飛ばしてくる。

そしてベロベロのオリバーは私の肩を組みこう言った。

 

「KIKI、ダニエルはマジでいいやつだぜ。あいつ皆に自分が借金してお前の慰謝料集めたんだ。もちろん俺も500ユーロ寄付したんだぞ。俺は貸しじゃない。寄付だぞ。寄付。お前は俺の友達だからな。」

 

オリバーの気持ちも凄く嬉しかったが、

何も言わずそこまでしてくれたダニエルに何より感謝した。

出会ってまだ1ヶ月ぐらいの外国人に自分だったらそこまでやってやれるだろうか。

口では多くを語らず行動で語るダニエルに憧れさえ抱いた。

この数日で起こった事は私の価値観のピースが一つ動いたタイミングでもある。

白人のネオナチをきっかけに逮捕されて、白人の友達の助けで釈放された。

留置所では白人全員が悪魔に見えて、

このパーティーで私の目に前の白人達は仲間に見える。

 

ありふれた言葉こそ経験しないと身にはならない。

やっぱ人間中身だ。

色や国で人を判断するのは間違ってる。

ダニエルの行動は想像を確信に変えてくれた。

 

パーティーも終盤。

大声でビリヤードをやってるやつ。

カウンターで楽しそうに酒を飲んでるやつ。

もうソファーで寝ているやつ。

外の喫煙所で一服してるやつ。

 

最高のパーティーだった。

終わり際にオリバーとビリヤードをしていると、

ダニエルが一緒にチルしようと誘ってきた。

私とダニエル、ベロベロのオリバーは外の喫煙所で一服した。

 

「ダニエルマジありがとう。俺明日から働くからちょっと待ってて。」

 

「金はいつでもいいよ。お前が返せる時でいい。でももしまた捕まっても俺に連絡しろよ。」

 

こいつは神なのか。

 

拾う神に私はベルリンで出会った。

 

 

 

後編 -完-

 

 

「ダニエルマジありがとう。俺明日から働くからちょっと待ってて。」

 

「金はいつでもいいよ。お前が返せる時でいい。でももしまた捕まっても俺に連絡しろよ。」

 

チルしながら3人で会話をしていると背の高い白人男2人が近づいてきた。

 

「いい匂いするじゃん。ちょっと俺らにも吸わせてよ。」

 

 

このなんでもない会話が最悪の事件に発展する。

ベルリンの本当の悪夢はまだ始まったばかりだった。

釈放当日に私はまたどん底に突き落とされる。

 

 

この続きは17話あたりで書きます。

 

 

 

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第七話「ベルリンの拾う神ダニエル」-前編-

1st Jul 2020 by

 

 

「どこがいいっすかねー?」

 

「んーアメリカ方面は今回はいいかな。やっぱヨーロッパがいいな。パリとか?」

 

「じゃあ俺フランスでパン職人にでもなりますかね。」

 

「は?お前パン勉強したことあんの?まず”じゃあ”ってなんだよ。」

 

「www いやっないっすよ。でもフランスって言ったらパンじゃないですか。」

 

「意味わかんねー事ばっか言ってんじゃねーよ。てかヨーロッパならどこでもよくない?」

 

「まあ実際そうなんすよねwとりあえず日本出たいです。」

 

「じゃあベルリンは?ベルリンめちゃくちゃアートがやばいって聞いたことあるよ。」

 

「いいですね!じゃあ俺ソーセージ職人になりますかね。」

 

「何でもいいよ。お前がやりたいようにやれよ。じゃあベルリンに決まりな。それで現地着いたら個人行動な。」

 

「そうっすね。俺はとりあえず向こう着いたら仕事探します!」

 

 

アジア大陸の旅から帰国して3ヶ月くらいが経った頃、

ヨーロッパに行く計画を地元の後輩と立てていた。

アジアから帰った私の興味の針は、

真逆に跳ね返えるように、

貧困や現実のリアリティーとは反対側の世界に振り切っていた。

 

何気ない会話の流れから今回一緒に行くことになったこの後輩。

ニューヨークでも1年半生活を共にしていた元ルームメイトだ。

この男もこのブログで深く紹介したいくらいの、

正真正銘のインターナショナルマザファッカー。

ニューヨークでの滞在中も、

オーバードーズをきっかけに統合失調症になり、

散々イかれ狂った挙げ句敢なく帰国して行った。

帰国後も結婚したのはいいものの、

ある日嫁さんと不意に喧嘩になり、

自分の指を詰めて嫁さんに投げつけるというイカれガチ勢。

その時嫁さんは指を拾ってすぐに氷に入れ、

急いで奴を病院に連れて行ったらしいんだけど。

 

嫁さんの肝の座り方もかなりクレイジーだと思った。

 

奴は迷惑かけまくりのクソ野郎だったが、

昔から何故か見捨てられない存在でもあった。

 

そんな後輩と何となくで決めたベルリン行き。

出発前からお互いの認識は一致していた。

現地に着いたら後は自由行動。

どこの国にどのタイミングで移動してもいいしお互い行動は共にしない。

奴も旅では常にパルプンテが起きる事は知っていた。

予定通りじゃなくなった瞬間から旅行が旅に変わる。

 

ロシア経由で目的地ベルリンまでは20時間。

まあ何か困ったらお互い助け合おうぐらいの気持ちで成田を出発した。

機内で隣の席だった後輩は、ギャグなのかまた発病したのか、

アイマスクをしながら本を読んでいた。

もう奴の意味不明には慣れすぎていてツッコミもしなかった。

激狭のエコノミーシートと、

最低のアエロフロートの機内サービスにイラつく中、

私と後輩は夜9時頃、ベルリンティーゲル空港に到着した。

税関を抜けると、開いた自動ドアから一気に吹き込んでくるキンキンの冷たい風。

香水と金属の匂いが混ざったような独特な異国臭が漂う空港は、

寒さを超えた痛々しいほどの冷たさが好奇心さえも凍らせていくようだった。

 

11月の極寒のベルリン。

 

ここから2ヶ月間のドイツ生活が始まった。

 

 

「ようやく着きましたねー。ユースホステルどんな感じなんでしょうね?」

 

空港でタクシーを捕まえ、ベルリン市内のユースホステルに向かっていた。

 

「俺もわかんない。でもいい感じだって言ってたから大丈夫でしょ。とりあえずそこに何日か滞在して、どっかいいところあったら移ればいいじゃん。」

 

出発前にニューヨーク時代の友達にユースホステルを紹介してもらった。

期待もしていなかったが、不安もなかった。

正直寝られれば別にどこでもよかった。

タクシーに乗り30分程でユースホステルに到着した。

レンガ造りの外観に、一階はバーになっていてビリヤード台が一台あった。

壁にかけられたアートも一つ一つの家具も細い部分までセンス抜群。

清潔で文句一つない想像以上のレベルの高さだった。

 

フロントで空室を確認すると、8人部屋のベッドが2つ空いていた。

一日1200円。値段も衛生レベルも最高の条件。

案内された部屋には二段ベッドが4台あり、

男女混合で世界各国からのバックパッカーが集っていた。

バスルーム、シャワールームは共同。

私と後輩は一つの二段ベッドを与えられ、

上下に別れとりあえずベルリンでの寝床を確保した。

 

それから始まったユースホステルでの生活とベルリンライフ。

後輩とは別々に行動していたから、奴が外で何をしていたのかはわからない。

結論から言うと10日ぐらいで後輩は帰国した。

理由はわからないが奴の中で何か決断があったのだろう。

やっぱり奴の考えていることはよくわからない。

元々別行動だったからか正直何の変化もなく、

またいつも通りに戻った。それぐらいでしかなかった。

 

ベルリンに来てからの毎日は完全にルーティーン化していた。

毎日朝から晩まで街をとにかく歩いて写真を撮る。

噂通りのアートの街に衝撃の毎日だった。

なんて言うかアメリカとかとは全く違う。

伝統的なヨーロッパ調の建築にストリートアートが描かれて、

クラッシックにヒップホップが乗っかってると言うか。

グラフィティも多かったが、その頃はバンクシーが世に認知され始めた頃。

ステンシルアートが街のそこら中に溢れていた。

毎朝、写真屋でその日の天気や撮りたいものに合わせてフィルムを選び、街をただただ夜まで歩く。

夜は一階のバーで宿泊客達とビールを飲んでビリヤード。

 

ベルリンに着てからのルーティーンはそんな感じだった。

 

その内ユースホステルの従業員達にも顔を覚えられるようになり、

皆と次第に仲良くなっていった。

中でもバーテンをしていた一人の男とは一番仲良くなった。

 

それがダニエルだ。今回の主人公。

 

ダニエルは背が高く細身でクールだがユーモアのあるドイツ人。

とにかくいい奴で、笑いのツボも一緒だった。

仲良くなってからは毎晩のように酒を飲みながら、

二人でビリヤードに明け暮れていた。

そんなルーティーンを繰り返していたら仲間が増えて、

ずっと同じ部屋にいたフランス人の大学生オリバーも加わるようになった。

全員違う国の出身。

話す言葉も習慣もバラバラの3人だったが、

私達は日々仲良くなっていった。

外でも遊ぶようになり、ダニエルの家にも行ったり、

まるで小学生の頃のように毎日飽きもせず、

ずっと一緒に遊んでいた気がする。

 

そしてそんな日々が2週間ぐらい続いた、

ベルリンに来て4回目の週末。

 

今回のドイツ旅行が旅に変わる。

 

 

週末土曜の夜。

ダニエルとダニエルの友達数人とクラブに行くことになった。

ベルリンでは平日も休日も関係なくパーティーがたくさんある。

この街の夜は荒れていた。

クラックやスピードでおかしくなった若者達が、

有り余ったエネルギーを爆発させるかのような熱気があった。

その頃の私にはそれがめちゃくちゃカッコよく見えた。

ドラッグ云々ではなく、そのエネルギー自体がもはやアートに感じていた。

街で荒れ狂う若者達とストリートアートが混ざりあい、

本当にトレインスポッティングの中にでも来たような感覚だった。

尖る白く冷たい凶気が最高にクールに見えた。

 

ダニエルに連れて行ってもらったクラブは、

アリの巣のように地下に降ると何個もフロアがあり、

各フロア別ジャンルの音楽が流れるかなりでかいクラブだった。

フロアは熱気で溢れ、トイレではラインを引く現地の若者達。

ジャッカス乗りと言うか、とにかくクレイジーだった。

客のほとんどは現地のドイツ人でアジア人は自分だけ。

90%白人の9%黒人に1%のアジア人という感じだった。

ダニエルに連れられて皆でバーカンに向かい乾杯をした。

ドイツではイエガーマイスターを最初に皆で乾杯する習慣がある。

初めて会う奴も何人かいたが皆いい奴ばかりで、

この日も笑いが絶えないいつも通りの夜になるはずだった。

 

が、そんな雰囲気を次の瞬間一瞬にして最悪の展開に一変される。

 

私はバーカンの前で連れのみんなと二杯目のビールを飲んでいた。

そこに入り口から突如5、6人の白人のスキンヘッド集団がやって来て、

一人が私を思いっきり突き飛ばして来た。

 

「おい!お前みたいな奴が何でここにいんだよ?アジア人がここで何してんだ?」

 

「は?何言ってんだお前?」

 

突き飛ばして来た奴の首元には卍字のタトゥーが入っていた。

よく見るとそいつら全員に卍字のタトゥーが身体のどこかに入っていた。

 

奴らはネオナチだった。

白人至上主義のヒトラー志向を継承した現代のナチス達。

まだいるとは聞いていたが実際に会ったのは初めてだった。

しかも奴らは見るからにまだ若かい。

 

「早く帰れよ。チャイニーズがいる場所じゃないんだよ。」

 

何度も肩を突き飛ばしてくるネオナチのクソガキ。

その内ダニエル達が様子に気が付き止めに入って来た。

それでも果敢に私に詰め寄り、次は頭を手の平で突き飛ばされた。

 

この瞬間何かが切れてしまった。

 

持っていたハイネケンの瓶でそいつの頭を殴った。

そこからはもう乱闘騒ぎ。

火がついたように奴らは殴りかかって来た。

ダニエル達も全員私に加勢してくれ、

ネオナチのガキ共とバーカン前で乱闘になってしまった。

一瞬にして始まった乱闘はクラブ全体が反応し始め、

セキュリティー達が総出で止めに入る。

私も誰にやられたか覚えていないが、

何発も殴られ、口からも鼻からも出血が止まらなかった。

私含め乱闘に加担した全員がクラブから引きずり出され、

外に出ると警察が来ていた。

ドイツ語で何かと質問してくる。

私はドイツ語は皆無に等しく、英語で何度も聞き返したが、

警察は私に聴く耳も持たずネオナチ共に事情聴取を始めた。

ダニエルが必死に警察に何かを叫んでいた。

多分私を庇ってくれていたのだと思う。

クラブの外で血を拭きながら壁に寄りかかり座っていると、

3人の警察官が私のところに歩み寄って来た。

 

そして腕を掴み無理やり後ろを向かされ手錠をかけられた。

 

は?

 

逮捕?

 

しかも手錠をかけられているのは自分だけ。

ダニエルは最後まで警察に何かを訴えかけていた。

警察は熱くなっているダニエルを宥めながら、

私をパトカーに乗せそのまま警察署に連行した。

パトカーの中、もう目の前は真っ暗だった。

人生初めての逮捕がドイツだとは思っていなかった。

車内でも何を言っても話すら聞いてくれない警察官達。

乱闘で出ていたアドレナリンも徐々に引き、

シラフに戻るに連れて恐怖に飲み込まれていくのがわかった。

同時に初めてここまで強烈に味わった人種差別に悔しさみたいなものもあった。

 

ここからどうなる。

 

冷たい黒の手錠がものすごく重く感じた。

 

 

 

前編 -完-

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第六話「Made In Cambodia. 地雷孤児ヤーイー」-後編-

24th Jun 2020 by

 

 

ここにいる子ども達には、

親と住めない何かしらの理由がある。

 

来ざる得なかった子もいれば、

望んで来た子もいる。

 

まだ学校にも通っていない子供から、

高校卒業寸前の青年まで、

幅広い年齢層の子供達が共同生活を送っていた。

 

家というかほぼ外で暮らす子供達。

ゲストハウスの裏庭に彼らの寝床はあり、

赤土の地面に屋根だけがある大きな小屋の下、

カラフルな人数分のハンモックだけが揺れている。

屋根以外何もなく、部屋どころか机もなければ椅子もなかった。

 

ヤーイーに出会った翌日の朝、

部屋を出ると子供達はもう学校に向かった後だった。

静かなカンボジアの朝はパタヤとはかけ離れた穏やかな空気感。

二階の私の部屋からロビーを覗くと、

小さい子供が数人と、パソコンの前に座る眼鏡をかけた少年が一人だけ。

ロビーに抜ける時に挨拶してみたが、子供達は全員フルシカトだった。

 

昨晩あの瞬間からヤーイーの言葉が頭をループする中、

コーヒーを買いに昨日のカフェバーに向った。

今まで散々スルーしてきた貧困の現実だったが、

今回は昨晩から奥歯に挟まったまま中々取れず、

どこか気持ち悪い感覚に付きまとわれていた。

 

確かにヤーイーに起こったことは悲しいことだと思った。

言葉を聞いた瞬間何かしてあげたいと瞬発的に思ったのも事実だが、

ただ一つ一つの貧困に感傷的になっていたらキリがない。

一人にあげたら他の子にはあげない理由を探さないといけなくなるし、

先を何も考えない適当な施しが不平等を生むんだと思う一面もあった。

今までボランティアや慈善活動に全くノータッチだった私は、

初めてあげる側になろうと試みた時、

こんなにも平等という観念が正義に見えるとは思っていなかった。

 

自分は無力で何かを変えられるほど力のある人間ではない。

全財産も十万くらいしかないただのリハビリ患者の自分にここで何ができるんだ。

 

向かったカフェバーには一人の若い現地の女性が働いていた。

彼女は笑顔で私を迎えてくれて、気さくに話しかけてくれた。

 

「あなた初めて見るね。昨日から泊まってるの?」

 

「そうだよ。色々な経緯はあるんだけど、流れ流れて昨日タイからここに来たんだ。」

 

カンボジアに着いてから出会った人の中でも彼女は抜群に英語が上手かった。

 

「あなた日本人?」

 

「そうだよ。」

 

「へー珍しい。ここあんまり日本人来ないんだよ。どうやってここを見つけたの?」

 

「そうなんだ。実はあの部屋にいるベルギー人のおっさん達とたまたま国境で一緒になって、ここを紹介されたんだ。」

 

女性の顔つきが明らかに変わった。

でもそれは怒りというより真剣な表情にみえた。

 

「じゃああなたもあの人達と同じ目的?」

 

「いや、違うよ。たまたま来ただけ。昨晩実際この目で見たよ。あいつらがどれだけクソな奴らかは今はわかってる。君はここで働いているの?」

 

「そう。子供達の学校が終わるまでここで働いて、放課後は勉強を教えてる。あなた今あのベルギー人達をクソだって言ったけれど、何がクソなの?」

 

「あいつら児童買春してる鬼畜でしょ?人としてどうかしてるよ。」

 

「確かにそうかもね。でもあの人たちのおかげで飢え死にしないで暮らしていける子供達がいるのも事実よ。この国では生きていく事だけで皆精一杯なの。だから私はあの人達は嫌いだけど、否定はできない…」

 

彼女はとても辛そうに見えた。

実際彼女の満更否定できない言葉に圧倒されたのも事実だ。

でも児童買春を肯定することはどうしてもできなかった。

 

「確かに君が言うことは頷ける部分もあるけど、どんな理由でも俺はあのおっさん達がしている事が正しいとは思わないね。人道的におかしいだろ。」

 

「そんなの皆分かってる。でも親もいない孤児院にも入れない子供はどうやって生きていけばいいの?ここの孤児院にいる子はまだラッキーな方なの。あなたはここに何しに来た?アンコールワットを見に来た?ほとんどの観光客はここに来て世界遺産を見て、観光客しか行かないクラブで毎晩の様に豪遊してただ帰国していくの。それに比べたらあのベルギー人達は方法はおかしいかもしれないけど、何人もの子供の飢えを救っているとも私は思ってしまう。やっている事は吐き気がするほど気持ち悪いことだけど、人間死んだら終わりじゃない。違う?」

 

図星も図星だった。

パタヤで豪遊して頭がおかしくなりそうになって、

逃げてきただけだった私には返す言葉もなかった。

ただそれでも児童買春は肯定できなかった。

 

「そうだけど…児童買春はやっぱり見るに耐えられない。まあ…それしか言えないけど。」

 

「別にあなたを責めてる訳じゃない。ただこの国の現状を観光客の人達は見て、同情みたいな言葉を並べるだけで何も行動には移してくれない。私はあなたの様に児童買春を否定する人も何人も見てきた。だけど皆それを言葉で否定するだけで何もしてくれなかった。この国の子供達がなぜ貧困から抜け出せないかわかる?絶対的に教育が足りないの。会話はできても字を書けない子もたくさんいるし、英語も話せる子もほんの一握りしかいないの。国自体にお金がないこの国で、そんな子供達が大人になって給料のいい仕事につけると思う?学校では生徒2500人に対して、先生は数十人しかいない。放課後はほとんどの子供が親の仕事の手伝いをするの。そんな環境で育ってどうやってこの状況から抜け出せばいいの?」

 

彼女は落ち着いた口調で的確にこの国が抱える問題を伝えてくれた。

そしてその言葉達は昨晩から今まで奥歯に引っかかっていた何かを抜いた。

与える側の平等なんてもらう側からしたらどうでもいい話で、

お前の正義とか平等とかどうでもいいから、金くれよって思うのは当然かもしれない。

ロジカルに言葉ばかり並べて結局何もしない方が、

よっぽど正義でも何でもないように思えた。

全員に平等になんて端から無理なんだ。

私がランダムで出会う子供達が私が手を差し伸べる事で一瞬でも救われるなら、

それが不平等だと言われたとしてもやるべき事なのかもしれない。

平等に与えるなんて正義感は捨てるべきだと私はこの時初めて思えた。

観光客全員が小さなラッキーをそれそれが落とせばいい。

無力だと決めつけていたのは自分自身のエゴでしかなくて、

とにかく自分が出会った子供達には何でもいいからやれる事をやってやりたい。

何の考えもなく突発的な思いつきを言葉にしてみた。

 

「放課後ロビーを俺に貸してくれない?正直金は微々たるぐらいしか持っていないから、金をあげることはできない。でも英語と日本語を子供達に教えることはできるかもしれない。もし良かったらチャレンジさせて欲しい。」

 

「喜んで協力する。私からオーナーに話しておくから今日から使っていいわよ。きっと子供達も喜んでくれると思う。」

 

「ありがとう。教えたことなんて一度もないけどやってみるよ。ところで先週からここにきたヤーイーを知ってるよね?7、8歳ぐらいの一人で絵書いてる女の子。」

 

「もちろん知ってるわ。ちなみに彼女は13歳よ。彼女はここにきて以来ずっと一人でいるの。まだ親と離れて間もないから誰にも心を開かないの。」

 

え?

13歳?

別のヤーイーがいるのか。

明らかに見た目は7歳ぐらいの少女に見えた。

 

「彼女どう見ても13歳には見えなかったけど。ヤーイーって子2人いる?」

 

「ううん。ヤーイーは彼女だけよ。確かに彼女はその中でも小さいけど、これがこの国の現状なの。子供の時からまともに栄養もとっていないし、毎日ハンモックで寝るから身体が丸まってくるの。気がつかない?この国の人は身体が皆小さいでしょ。」

 

気にして見ていなかったが、確かに見てきた現地民の大人達も小さかった。

私自身166センチしかないが、この国では背が高い方だ。

彼女から 返ってくる言葉は全てが衝撃の連続だった。

子供達が帰ってきたら今日の18時から英語の授業があると伝えて欲しいと彼女に頼み、

飲みかけのコーヒーを片手に部屋に戻った。

言葉を教えた経験もないのに、

彼女との話の中で熱くなり急遽やる事になった授業。

まず子供達は来てくれるのだろうか。

 

不安要素しかないまま予定の18時を迎えた。

ロビーに集まったのは4人。

ヤーイーの姿もない。

他の子供達はお前誰だよ?

ぐらいの感じで別の場所でサッカーをして遊んでいた。

 

そりゃあそうだった。

 

昨日来た謎の日本人が今日から英語教えますって言われても自分でもいかないだろう。

教えるの前に仲良くなるべきだった。

初日は授業はやめて皆と遊ぶ事にした。

私は幸い子供の頃からサッカーをずっとやっていたから得意でもあった。

遊ぶ子供達の輪に入っていきボールを奪い、取ってみなと挑発した。

威勢のいい子供達から順に果敢にボールを取りに来る。

最初は笑いもしなかった子供達も途中から笑顔に変わってきた。

散々ボールの取り合いをした後、次はみんなの遊びを教えて欲しいと伝えた。

 

???

 

子供達は頭の上にクエスチョンマークが三つ並んでいるような表情だった。

彼らは全く英語がわからなかったのだ。

見かねた近くでその様子を見ていたカフェバーの彼女が、

カンボジア語で彼らに通訳してくれた。

すると一人の少年が私の手を引き裏庭に連れられた。

そこにはボロボロのチェス盤があり、

コマの代わりにペットボトルのキャップが置いてあった。

続々と子供達はチェス版を囲み、チェスのやり方を教えてくれた。

実際何を言ってるかは全くわからなかったんだけど。

日も完全に暮れて、初日は授業ではなくただの遊びで終わった。

皆と距離が縮まった気がして、少しは前に進んだ感じがした。

 

明日は皆授業に来てくれるかな。

 

大体の子供達とは今日交流することができたが、

そこにヤーイーはいなかった。

今日子供達と遊んで痛感したことだが、

英語を教えるにもカンボジア語で通訳してくれる人が必要だ。

カフェバーの彼女に頼めば早い話だったが、

私はその役をどうしてもヤーイーにやって欲しかった。

それが彼女が皆と打ち解けるきっかけになるとも思ったからだ。

昨日と同じくらいの時間にカフェバーに行くと、

ヤーイーは同じ席で絵を描いていた。

 

「元気?今日から英語の授業を始めたんだけどなかなか難しいね。4人しか来なかったよw」

 

「知ってる。」

 

絵を描きながら目も合わせずヤーイーは話をする。

 

「明日からもやるつもりなんだけど、君に通訳してほしいんだ。」

 

「…何で?別にいいけど。」

 

「本当?!助かる。君は英語が上手だから手伝ってほしいんだ。俺一人じゃきっと皆何言ってるかわかんないから。でも君は何で英語が話せるの?」

 

「お母さん英語の先生だったから。」

 

「そうなんだ。俺もまだ勉強中だけど君の英語はとても上手だ。一緒にみんなに教えてあげようよ。」

 

「いいけど…私友達いないから皆聞いてくれるか知らないよ。」

 

「大丈夫、俺が英語で話す事をカンボジア語でみんなにそのまま伝えてくれればいいから。しかも俺はもう君を友達だと思ってるよ。」

 

ヤーイーは顔を真っ赤にして、絵を描くのを辞め私を見た。

 

「明日何時…?」

 

「18時。明日はハローから教えようかなw」

 

「みんなハローぐらい知ってるよ…w」

 

ヤーイーが初めて少し笑ってくれた。

 

次の日の放課後、私は気合いを入れて授業に望んだ。

今日は昨日より来てくれればいいんだけど。

18時になり、部屋からロビーに向かうとほぼ全員の子供達が集まっていた。

 

めちゃくちゃ嬉しかった。

 

やっぱ一緒に遊ばないと心は開いてくれない。

その中にはヤーイーもいて、ロビーの隅で一人不安そうにこっちを見ている。

私は手招きをしてヤーイーを呼んだ。

皆の前で初めての授業。

実際私自身も緊張していたが、

不安そうなヤーイーを見ていたら自分の緊張なんてどっかに飛んでいった。

 

「まず自己紹介するね。俺はKIKI。日本人。旅をしていてタイから一昨日カンボジアに来ました。それで今日から英語と日本語を教えます。隣にいる彼女はヤーイーで、彼女は英語を話せるので通訳してもらいます。」

 

ヤーイーの背中を軽く押して、通訳を頼んだ。

震える小さな声で話始めるヤーイー。

私の言葉をヤーイーを通して理解した子供達が、

元気よくそれぞれが知っている英単語を返して来た。

 

「ハロー!」

 

「マイネームイズ!」

 

「サンキュー!」

 

昨日とは打って変わって縮まっていた子供達との距離。

皆の元気の良さにヤーイーにも笑顔が見えた。

それから通訳するヤーイーの声のボリュームはどんどん大きくなった。

素直に私が教える英単語を復唱する子供達。

ヤーイーもふざける子供達と一緒になりずっと笑っていた。

二日目の授業は大成功に終わった。

授業の後も、沢山の子供達が私の周りに集まって来て、

一緒に遊ぼうと誘ってくる。

初めて味わった教師の感覚だった。

救われたのは私の方だったのは言うまでもない。

 

それから毎日続いた授業。

観光なんて忘れて、まるでここに赴任した先生かのような生活だった。

ヤーイーも最初の授業以来皆と打ち解け、

それ以来一人でいることは無くなった。

毎日学校から帰っってくるなり私の部屋をノックし遊ぼうと誘ってくる。

女の子との遊びは正直なかなか難しかったが、

ヤーイーが心を開いてくれたことは心底嬉しかった。

他の皆とも日に日に仲良くなっていき、

夜は高校生達とこっそり一緒に酒を飲んだりもした。

思春期の男達は世界共通だ。

ある日キャバクラに連れて行って欲しいと言われ、

高校生を数人連れて原付でキャバクラにも行った。

まずカンボジアにキャバクラがある事自体驚きだったんだけど。

カンボジアのキャバクラは外にあって、

土の上にソファーが置かれただけの場所。

全員同じ真っ赤のドレスを着たカンボジアの女性が接客する。

高校生達は浴びるほどビールを飲んでいた。

会計は確か全部で2000円ぐらい。

破格すぎて何度も確認してしまった。

とにかく全員めちゃくちゃ楽しそうだった。

 

この件に関しては、後日オーナーにバレてしこたま怒られたが。。

 

そんな生活を1ヶ月続けた頃、私自身に心境的な変化が出てきた。

 

いつまで続けるか。

 

このまま一生ここにいるわけにもいかないのはわかっていたが、

ただ子供達と仲良くなった分、別れを切り出すのは難しくなっていた。

いつも通りカフェバーにコーヒーを買いに行くと、

今回のきっかけをくれた女性がいつも通り働いていた。

 

「そろそろシェムリアップを出ようと思うんだけど、これは逃げかな。」

 

「全然。あなたは本当によくやっていると私は思ってるわよ。ヤーイーなんて今じゃ皆の中心よ。それだけでもあなたのしてきてくれた事は素敵なことだと思う。でもあなたが出ていくと言ったら皆間違いなく止めるでしょうね。皆まだ子供だから。」

 

「こっちがもう泣きそうだよ。でも別れはいつか来ることだから進まないとね。時間あけちゃうと日に日に悲しくなるから急だけど明日出発する。早朝に行くから皆には言わないで。多分俺が絶えられないから。」

 

「了解。」

 

「今日は最後の授業になるから、皆をレストランに連れて行ってあげたいんだけど、どこかいいところないかな?」

 

「この街に一つだけショッピングモールがあるの。そこにイタリアンレストランがあるわ。きっと喜ぶはずよ。ここにいる子は誰も行った事ないはずだから。」

 

「じゃあそこに決まり。俺からオーナーには許可をとっておくよ。」

 

部屋に戻りパッキングを始めた。

一ヶ月住み続けた部屋は一人暮らしの学生アパートのように散らかっていて、

一つ一つ荷物をしまう度に沢山の思い出がフラッシュバックした。

本当にここに来て良かった。

今じゃあのベルギー人のおっさん達にも感謝したいぐらいだ。

パタヤを初め数々の国で馬鹿みたいにぶっ飛んでいた今までの旅の途中。

今は断言できる。

ドラッグで見える景色なんてただの虚像に過ぎない。

金で買える快楽は結局自己満に過ぎなくて、

寂しさや自信のなさを埋め合わせるものでしかなかった。

シラフじゃおかしくなりそうで、ただ現実から逃げていたいだけだった。

そして結局それが原因でまたおかしくなりそうになって。

負のルーティーンも甚だしいぐらいだ。

私は無宗教者だし、今でも神は自分の中以外に存在しないが、

パタヤから導かれる様にここにきて、

人の為に何かしてみなさい。

と自分の中の神に言われたような気さえした。

そして結果私自身が救われた。

この時が最も旅に対しての価値観が変わった瞬間であり、

助けることは、助けられることでもあると学んだ瞬間でもあった。

 

最後の授業。

子供達はいつもの授業だと思っている。

いつも通り振る舞った。

 

「今日はこれから全員でレストランに行きます。でもここから出た後は英語のみ。OK?」

 

子供達は優勝した瞬間のようにブチ上がった。

皆裏庭の小屋に走っていき、こぞっておしゃれを始めた。

孤児院では服を全員で着回している。

その中からみんな一生懸命にカッコつけたり、お粧ししたり。

本当に素直でピュアな子供達ばかりだった。

オーナーがタクシー手配してくれ、

引率でカフェバーの女性もついてきてくれた。

タクシーに乗るとヤーイーはいち早く私の隣に座り、

ずっと私の腕を組んで離さない。

歳の離れた妹のようで、可愛らしかった。

ショッピングモールに着くや否や、

アゴでも外れそうなくらい子供達は圧倒されていた。

私からすればボロボロの日本で言う昭和のデパートだったが、

子供達は初めてディズニーランドに来たかのようなキラキラした目をしていた。

レストランは最上階の4階にあって、入口からエスカレーターに向かった。

だが何故か皆エスカレーターの前で列になって止まってしまった。

 

「どうした?なんで乗らないの?レストラン4階だよ。」

 

カフェバーの女性が耳打ちしてきた。

 

「乗らないんじゃないの。乗り方がわからないの。」

 

子供達はエスカレーターに乗ったことがなかったのだ。

それから私とカフェバーの女性で両脇に立ち一人一人の手を取って、

エスカレーターに一人ずつ乗せた。

子供達はエスカレーターにも、まるで未来に来たかのようなブチ上がりだった。

ヤーイーは最後まで残っていて、私の手をとり恐る恐る一緒に乗った。

 

「ねーKIKI。私KIKIの事好き。KIKIいなくなっちゃうの?」

 

胸がズキっとした。

なんで明日いなくなる事を知っているんだ。

カフェバーの女性が言ってしまったのか。

 

「俺もヤーイーのこと好きだよ。ヤーイーは俺の妹だから。」

 

「ねーKIKIいなくなっちゃうの?」

 

今にも泣きそうな声で何度も聞いてくる。

 

「何で?いなくならないよ。ずっといるよ。」

 

あまりにとっさのことで嘘をついてしまった。

 

「嘘だ。最後だから今日ご飯食べにきたんでしょ。」

 

この子には伝わってしまっているのかもしれない。

ヤーイーには正直に言う事にした。

 

「ごめん嘘ついた。本当は明日の朝プノンペンに行く。だから今日でお別れなんだ。」

 

ヤーイーは瞬く間に泣き始め、

カフェバーの女性に抱きついて泣き止まなかった。

この時胸が苦しいという意味を肌で実感した瞬間だった。

カフェバーの女性は私を他の子供達のところに向かわせ、

ヤーイーとレストランの外でずっと話をしていた。

そのまま2人はレストランには来ず、結局食べ終わるまで外にいた。

子供達はご飯を食べ終わると、同じフロアーにあったゲームセンターに直行した。

一人ずつに100円ずつあげ、皆思い思いにゲームに夢中になっていた。

私はヤーイーの元に向かい、手をとり買い物に行こうと誘った。

泣き疲れた様子のヤーイーは何も話さず、私について来た。

何かヤーイーとお揃いのものを買おうと思った。

当時私の髪は胸の辺りまで伸びきっていて、お揃いの髪留めを買う事にした。

ショッピングモール内のお店で、赤い髪留めを二つ買いヤーイーに渡した。

 

「これは友達の証ね。これからこれをずっとつけて旅するから。だからもう泣くのお終い。」

 

ヤーイーは黙って髪留めを受け取り、

付けていた髪留めを外し、私があげた髪留めを付けた。

私もその場で髪留めをつけて、ヤーイーを連れて鏡の前に行き、

 

「ほらお揃い。みんなには内緒ね。」

 

ヤーイーはニコニコしてただ頷いた。

そして他の子供達を連れて孤児院に戻り、最後の授業は終わった。

 

翌朝の午前6時。

子供達が起きる前に出発する為、オーナーにタクシーを呼んでもらった。

 

「10分ぐらいで来るよ。KIKI本当に色々ありがとう。」

 

「こちらこそありがとうございました。キャバクラの件はすみませんでしたw」

 

オーナーは笑っていた。

すると裏庭から子供達全員とカフェバーの女性がヤーイーを連れて走ってきた。

走ってくる彼らを見ていたら涙腺が崩壊した。

嗚咽が出るほど涙が止まらなかった。

あんなに泣いた経験は今でも無いかもしれない。

皆にありがとうと言われ、全員とハグをした。

最後にヤーイーのところに行き、最後のハグをした。

なかなか離れないヤーイー。

彼女の涙が肩に染みてくるのがわかった。

胸が裂けるほど苦しかった。

 

「ヤーイーまたね。」

 

「KIKIありがとう。KIKIのおかげで私友達いっぱいできたよ。」

 

彼女のこの言葉はパタヤで汚れきった私の心を一気に洗い流した気がした。

そして皆に別れを告げバスターミナルに向かった。

次の目的地のカンボジアの首都プノンペン行きのバスに乗り込む。

昨日ヤーイーとお揃いで買った真っ赤の髪留めを外し、

手に取るとシェムリアップでの思い出が今一度蘇った。

普段一切出ない涙がこの時は無限に出るような気がした。

続々と乗客が乗り込んでくるプノンペン行きのバス。

満席になったバスの車内で蘇るこの街での思い出にも別れを告げ、

感傷的になった気持ちを整えてヤーイーとお揃いの真っ赤の髪留めをきつく締め直した。

 

 

ブチッ

 

 

キツく結ぼうとした髪留めが一瞬で切れた。

このタイミングかよ。。

泣きながら思わず笑ってしまった。

 

現実は映画のようにはいかないらしい。

 

さようならシェムリアップ。

さようならヤーイー。

 

 

 

後編 -完-

 

 

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